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心理学者がブランドの力について実験してみた

悪夢のソーダ実験

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T大学の3年生であるYは、暇を持て余していた。遊ぶ時間はあるが、金がない。何か手頃なアルバイトはないものかと、大学構内の掲示板を眺めていた。すると、一枚の奇妙な貼り紙が目に留まった。

「炭酸飲料の味に関する実験、参加者募集中。お礼にクオカードを差し上げます」

大学には妙な実験をしている人間もいるらしい。とはいえ、授業の空き時間に飲料を飲んで、それだけでクオカードがもらえるのであれば、悪くない話だ。Yはすぐさまメールを送り、実験参加の予約をとりつけることにした。

実験当日、空きコマの午後。Yは約束の時間に、指定された実験室を訪れた。ノックをして扉を開けると、簡素で広い部屋の奥に眼鏡の男が立っていた。

「お越しいただきありがとうございます。実験を担当する大沼です」

奇妙な薄ら笑いを浮かべた男はそう言うと、Yを部屋の奥のデスクへと案内した。どうやら、お世辞にも笑顔が上手ではないこの男が実験を取り仕切っているらしい。

「この実験は、炭酸飲料に対する大学生の好みを調べることが目的です。そのため本日は、二種類の炭酸飲料を順番に飲んでいただき、感じられる味について評価をしていただきます」

男はそう告げると、背後に立てられたパーティションの向こうへと消えた。男の姿は隠れていて見えないが、箱か何かを開くような音だけは聞こえてくる。少しして戻ってきた男の手には、飲料の缶らしきものが握られていた。

「最初に飲んでいただくのはこちらの飲料です。まずは缶を見ながら、どんな味がすると思うかを予想していてください。その間に、冷やしておいた飲料をカップでお持ちします」

手渡された缶には、「A&Wルートビア」と書かれている。聞いたことのない飲み物だ。ルートビアとは一体どんな味だろうか。コーラともまた違うのだろうか。

うしろのほうで、冷蔵庫を開け閉めする音がする。ふいに「プシュッ」という場違いに爽やかな音が響いた。続いて、炭酸を含む液体が容器に注がれるときの、立ち昇る泡の音が聞こえてきた。

間もなくして戻ってきた男の両手にはトレイが握られており、その上では、透明なカップにおさまった液体が琥珀色に輝いていた。

「お待たせしました。それでは、こちらの飲料を味わいながら飲んでいただき、感じられる味について評価をしてください」

男はそう言うと、カップをYの目の前に置いた。

期待と不安が混ざった不思議な心持ちで、Yはカップを手に取る。よく冷えているのがわかる。Yはそのまま勢いよく、未知の液体をぐいと口に流し込んだ。

不味い———。

なんだこれは。コーラのような味をかすかに期待していたが、まるで違う。薬のような強烈な味、というより匂いだ。これはなんだったか。どこかで嗅いだことがある匂い・・・。

サロン○スだ。

Yは心のうちで静かに動揺しながらも、あらかじめ手渡されていた質問票を使って、自分が感じたおいしさや甘さの強さ、炭酸感の強さなど、いくつかの項目について評価をした。それにしてもこの男は一体何を企んでいるのか。こんな不味いものを飲ませるとは、ふざけているのだろうか。

「ありがとうございます。それでは、次の飲料をお持ちしますので、少々お待ちください」

男はそう言うと、空になったカップを回収し、またもや何かの缶を持ってきた。

次に飲む飲料だというその缶のラベルには、「A&Wクリームソーダ」と書いてある。これもまた聞いたことがない飲み物だ。クリームソーダという名前だけは理解が可能であることに、Yはささやかな安堵を覚えた。

口直し用だという水を飲みながら、言われたとおり味の予想をしていると、トレイを持った男が戻ってきた。

「それでは、こちらがその飲料になります。先ほどと同じように、味わいながら評価をしてください」

渡されたカップを見ると、先ほどよりもやや明るい透き通った琥珀色の液体が、シュワシュワと音を立てている。

もはや、これを飲む以外に道はない。決意を固めたYは、カップを力強く掴むと、その液体を一気に口に流し込んだ——。

・・・

実験の真相

とまあ、実験に参加していただいた方の体験談をもとに、参加者の目線で実験の様子を書いてみました。ちょっとしたホラーですね、これは。

数年前のこと。「炭酸飲料に対する大学生の好みの調査」という名目で実験を実施し、約60名の方に参加していただきました。しかし、この名目はウソで、実のところは「ブランドが炭酸飲料の味の評価に及ぼす影響を調べる心理学実験」だったのです。(※参加者の方には後できちんと説明をしました)

どういうことか、詳しく説明します。

参加者の方には、はじめに「不味い」飲料(A&Wルートビア)を飲んでもらい、感じられるおいしさや味の特徴を評価してもらいました。その後、今度は「まあまあ」な飲料(A&Wクリームソーダ)を飲んでもらい、同様に評価をしてもらいました。

この「不味い」「まあまあ」という分類は私個人の主観ではなく、数十名の学生に対する味見調査の結果から客観的に定めました。

補足:A&Wルートビアは、一部にはコアなファンもいるようですが、実験の舞台であった東北地方ではほとんど見かけることのない飲料です。そのため、全く馴染みのない学生たちにとっては、驚くほど不味い飲料として感じられていました。

とにかくここでは、先に飲む飲料のことを「プライマー(先行するもの)」、後で飲む飲料のことを「ターゲット」と呼ぶこととします。

これが最も重要なのですが、実はこの実験には、冒頭のYさんが参加したものを含めて3つのバージョン(実験条件)が存在していました。その違いは、下の図にまとめているように、飲料を飲む際に缶を見せられるかどうか、あるいは、何の缶を見せられるかという点にあります。

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それぞれ具体的に説明します。


①ブランドなし条件
カップに注がれた状態の飲料だけを渡され、缶は見せられない。そのため、飲料やブランドに関する情報は一切知ることができず、純粋に味だけを評価することになる。

②別ブランド条件
Yさんの場合のように、飲料がカップに注がれて出てくるのを待っている間、缶を見せられる。ただし、プライマーのときはDAD'sルートビアの缶を(= 嘘の情報)、ターゲットのときはA&Wクリームソーダの缶を見せられるため、「これらの飲料は別々のブランドのものだ」という認識のもとで評価をすることになる。

③同ブランド条件(冒頭のYさんのケース)
②と同じく、待っている間に缶を渡される。プライマーのときはA&Wルートビアの缶を、ターゲットのときはA&Wクリームソーダの缶を見せられるため、「これらの飲料は同じA&Wブランドのものだ」という認識のもとで評価をすることになる。

もう一度言いますが、実際に飲んで評価をする2つの飲料は全員で共通です。そのうえで、それらの飲料のブランドを知らされているかどうか、そして、その2つの飲料が同じブランドのものだと思っているか、別のブランドのものだと思っているかによって、ターゲット飲料への評価がどのように変わるかを検証するのが、この実験の真の目的です。

嫌がらせのような実験を何度も繰り返して、それぞれの実験条件につき20数名分のデータを集めました。それではいざ、結果の検証です。

実験の結果

はじめに、不味いプライマーに対するおいしさ評価の得点を、実験条件ごとの平均値として算出しました。得点は100点満点に換算しています。

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どの実験条件でもやはり、プライマー(A&W ルートビア)は不味いという評価をされています。なにせ、サロン○ス味ですからね。

ひとまず、この実験の大前提である「不味いプライマー」という操作は、うまくいっていたようで一安心。

で、問題となるのはこの次です。

この「不味い経験」をした参加者たちは、その次に飲んだターゲットをどのように評価したのでしょうか?その評価は、実験条件によって異なるのでしょうか?

その結果がこちら。

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事前の調査で「まあまあおいしい」と評価されていただけあって、ターゲット(A&W クリームソーダ)のおいしさ評価の平均得点は、だいたい60点あたり。プライマーと比べるとずいぶんマシです。

ところが、どの条件も一律で同じというわけではありません。同ブランド条件の平均得点が、他の2つの条件と比べて10点ほど低いようにみえます。大ざっぱに見ても、15%ほどの減少です。

このことをより厳密に確かめるため、詳細は省きますが、分散分析という統計検定を行ないました。その結果、統計学的にみても、同ブランド条件のおいしさ平均得点は、他の2つの条件と比べて有意に(偶然では説明がつかないほどに)低いということがわかりました。

実験の結果が意味すること

全員が全く同じ飲料を飲んでいたにもかかわらず、同ブランド条件の参加者は、ブランドなし条件・別ブランド条件の参加者と比べて、ターゲット飲料のおいしさを低く評価していました。

この結果は何を意味するのでしょうか?

他の2つの実験条件とは異なり、同ブランド条件の参加者は「先に飲んだ不味い飲料と次に飲む飲料は、どちらも同じブランドのものである」と認識していました。このことから、同ブランド条件では、先立って飲んだ不味い飲料へのネガティブな評価が、同じブランドの飲料であるという認識ゆえに、ターゲット飲料にまで引き継がれてしまったと考えることができます。

こころの中では何が起こっているのか?

では、プライマー飲料へのネガティブな評価は、一体どのようにしてターゲット飲料に引き継がれたのでしょうか?

先に飲んだA&Wルートビアは恐ろしく不味かった。次に飲む飲料も、同じA&Wブランドだ。したがって、このA&Wクリームソーダも不味いに違いない。

と、参加者が論理的に考えて評価をしたことに原因があるのでしょうか?

この実験では、飲料が出てくるのを参加者が待っている間、缶を見ながら味を予想してもらった、と先ほど書きました。実は、この味の予想についても、質問票を使って評価・数値化をしてもらっていました。上記のような論理的な思考が作用しているのならば、当然この予想評価の段階でも、というかこの段階でこそ、同ブランド条件の参加者はターゲットをネガティブに評価するはずですよね。

ところが、ターゲット飲料のおいしさの「予想」評価得点は、同ブランド条件も他の条件もほとんど変わらなかったのです。ということは、「このブランドは不味いはずだ」という理屈や論理的な思考に原因があるとは考えにくい。

そうではなくて、自分がいま直面している経験や感情をどう捉えるかに関する、何か直感的な、無意識的なこころのはたらきに原因がありそうですね。

心理学者の解釈

これらの結果は、心理学的な視点からは「転移 (transfer)」という現象によって理解することができます。転移とは、簡単に言うと、何かについて経験・学習したことが他の対象にも引き継がれる、という幅広い現象です。

たとえば、こんな経験ってありませんか?

あるグループのメンバー・Aさんに嫌な思いをさせられた。するとその後、そのグループの別のメンバー・Bさんに対しても、モヤッとした気持ちを抱くようになった。AさんとBさんは全くの別人だと頭ではわかっているのに、なぜかBさんにもモヤっとしてしまう。

Aさんという一人の人物への感情が、「所属グループ」という共通カテゴリーを通じて、全くの別人であるBさんにも移ってしまったわけです。これは感情や態度の転移の例ですが、転移は他にも実に様々な場面・内容で起こります。

なお、このような転移が起こるために、論理的な思考や判断は必要ではありません。転移は無意識のはたらきでなかば自動的に起こるからです。それゆえに、しばしば理屈とは矛盾するやっかいなものとなるのです。

まとめると、今回の実験の同ブランド条件では、先行するプライマーによって経験したネガティブな感情・評価が、2つの飲料に共通する「ブランド」という情報をきっかけとして、ターゲットにまで転移してしまったのだと考えられます。

ブランドの力について改めて考える

そもそもブランドというものには、選択の拠り所としての機能やブランドイメージによる効果など、様々な機能があると言われています。しかし、心理学的に考えると、ブランドの原始的かつ根本的な機能はこの「転移」にあると私は思います。つまり、ブランド内のある商品・サービスの経験によって生じた感情や評価を、ブランドというつなぎ目を介して他の商品・サービスにまで転移させるという機能です。

ポジティブな感情・評価の転移であれば、ありがたい話ですよね。ところが今回の実験のように、それがネガティブな感情・評価の転移であったとしたら・・・。ブランド内の「伝染病」を食い止めるのは、なかなか難しいように思われます。

というのも、この転移という現象は、ほぼ無意識的に起こります。しかも、人間だけでなくイヌやネズミなど、他の動物たちの間でも普通にみられる現象です。言い換えれば、転移とは、人間を含む動物の脳に古くから組み込まれた学習・認知機能でもあるため、そのはたらきを意識や理屈でキャンセルするのは難しいといえます。

ブランドというもの、その力について考えるとき、この「転移」という視点を一つ取り入れてみてはいかがでしょうか。

まとめ

悪夢のソーダ実験を通してわかったことは、以下のとおり。

ある商品に対するネガティブな感情や評価は、なかば無意識のうちに、ブランドを介して他の商品にまで引き継がれてしまう。すなわち、ブランドを介した感情・評価の転移が起こる。

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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↓  今回紹介した私の研究論文(英語)は、以下からアクセスできます。



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