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12月12日 何により憶えられたいか

12月12日ですね。

師走になると、この一年間に亡くなった方、訃報の数々が振り返られるのが毎年の恒例です。

今年も様々な著名人の方がなくなり、皆さんの記憶から早速風化し始めました。

ピーター・ドラッカーによる「何によって憶えられたいか」という言葉を、私自身、今意識し始めています。


20代前半の頃の私は、歴史の教科書に載る位のことを目標に掲げていました。が、その後は社会の荒波に揉まれ続け、日々の仕事に追われるうちにそれを忘れてしまっていました。

「何によって憶えられたいか」

そんなことは考えても無意味だから、自分のやりたいように振る舞い、後悔しないように生きるのもありです。

私も30代から40代にかけては、日々の辛さもありましたが、自分が成長する実感や子育てのやり甲斐もありましたし、楽しいこともあったので、そうした考えに傾いていました。

個人としての目標を設定し、ただ、それを目指すといったような。


が、自分個人の成長速度が鈍り、経営者の立場になって経営の難しさに苦しむうちに、「何によって憶えられたいか」と言うことを考えるようになっています。

もちろんこの方向を突き詰めると、名誉欲や栄誉欲にまみれた老害になってしまうこともわかっています。

が、何か成果を上げてこの世を去りたいとの欲はやはりあります。そのためにはより一層、努力のギアを上げていかなければ成果を挙げられないことも分かっています。


今の私は「経営する」「人を雇う」の二つでは実績の解除は成し遂げました。
この先、経営する上で目指すべきステージは上場なのでしょう。しかし、私に上場の意思はありません。


となると、何を目標に生きるか、です。

個人としてのいきたい場所や読みたい本、みたい名所や経験したいことは無数にあります。それはそれで別に目指します。
ただし、それらは自分の中の経験値に過ぎず、死ねば終わりです。


「何によって憶えられたいか」をどう設定するか。それを私は「人を育て人に影響を与える」とという目標に定めようと思います。

「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」
そんな後藤新平翁が残した言葉も考えつつ。


幸いなことに私はkintone界隈ではある程度の認知度をいただけています。それを生かし、kintoneエコシステムがより盛り上がるように尽力することに残りの余生を捧げるのもありかな、と思っています。

この国のビジネスや、組織のあり方をより良いものにすると言うミッションのもと。


ありがとうございます。 弊社としても皆様のお役に立てるよう、今後も活動を行っていこうと思います。