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学而1-5 で あそぶ

子曰く、千乗の国をみちびくに、
事を敬(つつし)みて信、
用を節して 人を愛し、
民を使うに 時をもってす。

「大きな組織を率いる リーダーの心得。
 事を起こす際には 熟慮をもって
 始めたうえは やりきって
 みなが必要と思えることに投資し
 私的な特権を濫用せず
 部下には 人としての敬意をもって接し
 仕事は 
 部下の意志と事情をよく理解して 
 オーダーすること 」
 

多くの人から成るのは、国も企業も同じ。
そして、国や組織を率いるリーダーは常に多くのステークホルダーから見られている。自分たちの運命を託すに足る人か?と。

「事をつつしみて 信。」

めったやたらと思いついたことを手あたり次第やり散らかして、ただ単に国民や部下を振り回す人、信頼できません。そうすると、リーダーから出る指示も「どうせ思いつきで 他のネタが出たら立ち消えになるんでしょ」なんて受け止められて、国民も部下も真剣に取り組まなくなるよねぇ。

やるべきこと×やれること リーダーとして考え抜いて精査して、事を起こしたからには謙虚に丁寧に粘り強く取り組み、ちゃんと実を成す。そこで初めて国民や部下に信頼が芽生え、その後のリーダーの指示がスッと受入れられるっちゅーもんやないですかね?
そもそも、限られた資源でやるべきことを取捨選択する「決断」こそが悩ましく葛藤を生むものであり、正しい見識や志をもとに覚悟を持って「決断」し「事」を絞ることこそリーダーの仕事のはずじゃない?
なんでもかんでもやりたいこと・思いついたことを部下たちに放り投げるだけなら誰でもできるし。
(ま、そんな無責任な在り方は恥ずかしくて情けないから多くの人はリーダーたることに怯むけど、逆に厚顔無恥な人はそれでも恥じないというある意味の凄さを持ってリーダーの座に居座っているというケースも散見されるのが滑稽にすら思えるけど。。)

「用を節して 人を愛し」

用を節するには2つの観点がありそう。
一個は、リーダー層の金の使い方。リーダー層の経費の使い方はみんなが見てますよ。リーダーが無自覚に特権を行使しているかどうかは、時間とお金の使い方に表れますから。
もう一個は、投資の選択と集中。そもそも、リーダーがちゃんと取り組むべきことを絞れば、お金もそこに集中させられるし、めったやたらと費用項目が膨れ上がるなんてことにはならないはず。
国の借金1000兆円なんて、リーダーもリーダーを選ぶ国民も真剣に向き合ってない証しのようなもんですよね。。。

そして、国民や部下を愛し、その気持ちに寄り添いその成長を促す。凸凹を受け容れ人の可能性に着目する。人間を人間として敬意をもって扱う。つまり、「俺の思い通りに動け」とか「人は目的を果たすための部品だ」という思いが(仮に無意識であったとしても)透けて見えたら、人はついてこないということ。

「民を使うに 時をもってす」

事に人を動員するときは 人の生活を無視するなってこと。
いまや幸いに、特定のリーダーが国民を無理やり動員するなんてことは、しにくくなってるけど(でも、このコロナ禍や台湾有事の危機感の煽り方を見ていると、あながちあり得ないとも言えなそうで怖いけど)、仮に現代に置き換え、組織に置き換えても、実際に事に臨む部下の生活費や家庭事情を考慮せずに無理やり仕事させてたら、やっぱり人は離れていくということ。
生活水準や家庭事情、価値観というものは時代とともに移り変わるものだから、今、国民や部下が置かれている状況・望んでいる状況をどのように見極めて、制度や実行計画を作るか?は、リーダーにとって極めて重要なことだよーってことかな。ま、漸次的に進展する外部環境の変化って認識しにくことではある(ゆでがえる現象)ので、リーダーは大きな変化の流れに気を配る必要があるという風に捉えればいいかな。

全体を通して、孔子は「リーダーたるもの 大きく かつ 細心 であれ」と言ってるような気がします。



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