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体験を味わい尽くすことの学び

先日、私を幼い頃から知っているとある人から

「◯◯(私)は苦労ばっかりだな」

と言われました。
なんのことやら分からず頭の中は「?」だらけ。
苦労?くろう?
確かに生い立ちを話すと聞き手の方に引かれることは多々あります。
でも、思い返してみるとその経験があり、今になって語れるからこそ苦労というより宝であると感じています。

先の記事にも書きましたが、今私は大切な友達を亡くした悲嘆のプロセスにいます。

正直全く実感がありません。
明日近場で会おうよ!と言えば、すぐにでも会える気がしています。
悲しいわけじゃないのに、涙も出ず、感情も沸かない。
でも、それらにフタがされているような違和感も感じています。

これから更に共通の友人達と会って話をしたり、お墓を訪ねたりとすることで、このフタはいずれ開き、感情の荒波がやってくることでしょう。

そして、時を重ねて「友人の死」を仲間とともに受け入れていくことになるでしょう。


自分の経験を、事柄だけでなくどのような気持ちの移り変わりがあるのか、どのようなプロセスを経て私は受け入れていくのかを自問自答しながら味わい尽くすことが、人としての深み、カウンセラーとしての学びの場でもあると思っています。
しかしながらこれは「とあるひとりの物語」。
私はこうだった!と経験から「指南」する立場ではないことからです。

わたしは、傷だらけの沢山の勲章を持つカウンセラーでありたいと思います。


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