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中島義道_怒る技術①

戦う哲学者 中島義道先生

の本を読むのは5冊目です。感想が長くなったので2回に分けます。
感想というか、解説に近い内容です。

私は好きな作家の作品をどっぷり読むタイプではありません。飽きっぽくて、一貫性のない読書をしてしまいます。

なので、5冊読むというのは、かなり気にいっているのだと思います。

唯一無二の自分の『怒り』をねちっこく育てる

この「怒る技術」という本ですが、怒りをコントロールするための自己啓発本のような甘っちょろい本ではありません。

自分の怒りとそれを向ける相手に逃げずに向き合い、コミュニケーションを取っていくことを目指しています。『怒り』をコミュニケーションの手段としているわけです。それは、絶え間ない自己への探求心と人間への飽くなき好奇心でもあります。(決して中島氏は人間が好きというわけではありません)

そこまで出来るようになるにはかなり高度な技術が必要であり、万人に勧めることはできない、と中島氏は語っています。

まずは、自分固有の、唯一無二の自分の『怒り』をねちっこく見極めていくところから始めなければいけません。

だれでも、怒りにまで特定された感情は持たないとしても、漠然とした不快感は感じているはず。それを、丹念に追求して大切に怒りの感情にまで育てるべきなのです。(中略)怒ることができない人は、それを育てずに、怠惰にも思考から、感受性から、振り落とすように動いています。

「嫌なことを考えても時間がもったいない!楽しいことを考えよう!」とか言う人は多いですが、逆行してます。しかも、この本ではそういう人たちは自分の中に芽生えた感情を切り捨てる『怠惰な人』であると言うのです。

怒らないことの弊害

怒ることを我慢したり、素通りする人のほうが日本人には多いようです。(ヨーロッパ人はものすごくよく怒るらしいです)

じゃあ、怒らない人たちは、どういう弊害をもたらすかというと、自分の不快感や怒りを切り捨ててきているので、「そんなことで怒るなんて!」とか「気にしすぎだ!」とか「我慢すべきだ」と他人に対しても感情を切り捨てることを強要します。

そして、「私が悪い」という思考に陥ることも、自分の感情を切り捨てていることになります。自罰的思考は、ただひたすら怠惰であり、目の前の不快感から逃げているだけと自覚すべきとのこと。

あと、怒りが『腐敗』する弊害です。これは、あまりに怒りをため込みすぎてその正体がつかめなくなっている状態。
例えば、何人かの女性から嫌な思いをさせられた場合は、いつのまにか「女性全体が憎い」になったり、「社会が悪い」とになったり怒りの思考対象が分からなくなることです。こうなると、犯罪に走ってしまう危険をはらんできます。

なので、怒りは「生き生き」とした状態で育てるべきとのことなのです。

怒りを見極めることは危険なこと

中島氏は、怒る技術の習得はきれい事ではないと言います。
人間の暗黒面に近づくからです。
他人の中の悪に敏感になるのと同時に、自分の中の悪にも敏感になります。もしかしたら誰かを殺したいと思う自分に気づくかもしれない。

しかし、自分の中の悪に常に向き合うことによって、他人を軽薄に裁くことだけはしなくなる。善人のように、世の中の悪行や悪人を自分とは関係ないこととして切り捨てることだけはしなくなる。これは最高の収穫です。

最近、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を読んだのですが、登場人物は10人全員なんらかの殺人を犯している人たちでした。
私はたまたま殺人を犯すような状況や世界にいないだけで、いつでも彼らのように誰かを殺してしまうのではないかと感じました。そういう感覚と近いものなのかもしれない。

突然ですがテラスハウスの話

いま、ちょうど、テラスハウス出演中の木村花さんがご逝去されたニュースを見ました。SNS上での誹謗中傷に耐えられなかったのではという噂が飛び交っています。

私はテラスハウスが大好きでした。
下世話と言われようとも、たとえやらせだったとしても。

テラスハウスでは、ガチの喧嘩が見られます。このガチ喧嘩は折り目正しい善良な日本人にとっては、刺激が強いものなのかもしれない。でも私はこのガチ喧嘩こそテラスハウスの醍醐味だと思っていました。

テラスハウスは、中島氏の言う、コミュニケーション手段となる「怒り」をリアルに見ることが出来る貴重な番組でした。

若い未熟な人たちが他人と暮らすのだから、ぶつかり合うのは当たり前です。

一緒に住んでいるので、嫌いだから離れる、ができません。仕事の仲間とも違います。たまに会う友達とも違います。家族や恋人とも違います。

単に生活を共にする人間として、否応にも必死に他人と向き合うところに、テラスハウスの面白さがありました。

本心を言わず、当たり障りなく器用に過ごす人もいる。根っからのポジティブ体質で嫌なこともすぐ忘れるタイプの人もいる。そもそも、自分にも他人にも鈍感な人もいる。

木村花さんは、語気は強いが、繊細で傷つきやすく、自分の怒りを決して切り捨てることが出来ない人でした。

番組では器用に自分を演出できる人も多い中、不器用でも真っ直ぐ感情と向き合う花ちゃんがわたしは結構気に入っていました。
彼女の怒りの強さは、傷の深さと比例していました。

SNSで誹謗中傷する人は、他人を軽薄に裁きます。

日常で「怒り」は、ヒステリック、感情的、心が狭いなど、批判の対象となり切り捨てられやすい。切り捨てられた怒りは、陰口やいじめ、誹謗中傷と形を変えしまう。

中島氏は、人間の感情を切り捨てることを徹底的に憎んでいます。

でも、決して人間が好きというわけではないのです。

つづく

https://note.com/ako/n/n446472772ccf








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