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【日記】最初で最後の重要事項説明

前置き
この文章は5300字の長文ポエムですので、読み終わるまで8分くらいかかります。お時間のある方とご興味のある方のみご覧いただければ幸いです。

不動産業界で働いているといろんなお客様と接する機会がある。

まさに一期一会。

感じのいい人もいれば、約束を反故にしたり罵倒されたり、理不尽な要求を突き付けられることもある。

今まで出会ったお客様は「9割いい人、1割嫌な感じの人」といった割合だ。

昔はそうでもなかったが、最近は変なお客様に振り回されて疲れ果てることはあまりなくなってきた。

申し込むつもりもないのに冷やかしで内見を何件もしたがるお客様もいるし、無茶苦茶な条件を言ってくるお客様も中にいる。

小さな不動産屋で働いていると、飛び込み客というのはそう多くなく、だいたい土日が暇というウチは珍しい会社である。

学生バイトの吉田君

昨年1月人手不足により4人採用することになった。

この業界は人手不足が当たり前であり、人が定着しないとよく言われる。

かくいう私の会社も人の入れ替わりは多く、ほぼ毎日といっていいほど、新人教育をしているという現状である。

社長の独断で4人も採用したものだから、新人教育の時間で自分の仕事が回らなくなり、いつも定時で帰る私もさすがに残業を強いられるようになった。

教育係として学生バイトの吉田くん(仮名)の担当になった。4人全部まとめて教えれば効率がよいのだが、皆それぞれシフトがバラバラのため個別に教えなければならない。

吉田くん(以下“彼“とする)は当時大学2年生。不動産業界に興味を持ち宅建の資格を取ったばかりだ。

私も受験した一回目の年、彼は見事一発合格を成し遂げた。

合格した彼、不合格の私、年次的にも年齢的にも私の方が先輩なのだが、その努力について私から聞き出すまで、彼の口からは一言も聞くことはなかった。

彼が入社してからは、私が主担当で動いている業務を優先的に教えた。

今までフードコートなどの飲食店で働いていたため、オフィスワークは初めてだという。

彼は私の作った拙いマニュアルを読み込み、自分なりのマニュアルを作り上げていた。

今までの担当が適当な人だったからというのもあり、必死に覚えようとしてくれる。その姿勢に私もちゃんとしなければ、と身を引き締めた。

メールのチェック、物件の入力チェック、電話が鳴ったら都度相談、とにかく彼はよく相談してくれた。

自分の仕事は全然前には進まないが、勝手に物事を進められても困る。

しかしプライドもあるのだろうか、「駅名」が読めない時は自分でググって調べようとしていた。聞いたほうが早いのに、と思うがその分人の手を煩わせまいと気を遣っていたのだろう。

1月から3月までは繁忙期と重なり、小さい不動産屋でも電話やメールの対応に追われ、来店対応や内見対応が増えてきた。

「そろそろ内見に行ってみる?」

店長が彼を連れて一緒に内見に出かけることが多くなった。

最初のうちは「GAP」とデカデカとプリントされたダサいトレーナーなどを着ていた彼だが、店長から「さすがに接客だからジャケットくらい着てきなさい」と釘をさされていた。

彼は両親が離婚しており、片親で育った母子家庭。

大学は奨学金が無料で借りれる制度を利用している、いわゆる優秀な学生だ。

「ジャケットですか・・・、わかりました。」

と彼は小さく頷いた。お金に苦労しているのか。もっと余裕があれば色褪せたGAPは着ないだろう。

翌日から彼はグレーのジャケットを着てくるようになった。

どうやらユニクロで買ったという。どこで買おうが似合っていれば問題ない。そのユニクロのジャケットは洗えるのか知らないが、毎日必ずといっていいほどそのジャケットを着ていた。

店長と一緒に内見に行く姿は、傍からみるともはや保護者会に参加する母と息子のようだった。

そんな姿を皆ほほえましく見守っていた。

喋ることが苦手で、字が小さく読みづらく、店長からは
「もっとはっきり喋りなさい!業者にもお客さんに失礼だよ!」とよく怒られていた。

「オフィスワークは初めてなんだし、段々慣れていけばいいんじゃない」といつも庇う私と店長の関係は「飴と鞭」だった。

圧倒的年下でみんなから可愛がられてはいたものの、若くて使いやすい立場であることから、彼の仕事の量がどんどん多くなっていった。

ある日はお昼ご飯が4時まで食べられず、内見の嵐。

ある日は営業終了後にいちゃもんをつけてきた入居者からのクレーム担当で何時間も不満聞きの相手をさせられた挙句、割られたお茶碗の後始末。

またある日は退去立会い時に放置されたゴミの分別作業を一人でやらされていた。

キッチンハイターの残り、カビキラーの残りなどいろいろな生活用品の廃棄だけでなく、粗大ごみの処理を全部彼一人にやらせていた。

パワハラとまではいかないが、店長は彼に厳しかった。

「不動産屋なんて大抵はブラックだよ!昼休みなんてまともに取れたことなんてない。有給は悪だと教え込まれてきた。だから這ってでも言われたことだけはやって!」と。

いや、普通にそれブラック会社じゃないか・・・。

そういう突っ込みは置いておいて、てんてこ舞いの彼を見ながら時給に見合わない大変な会社に来てしまったなと不憫に思っていた。

雑用は任せるのに、重要な仕事は任せることができない。なぜなら学生なので4年生になったら辞めてしまうことが確実だからだ。

だからせっかく宅建士になっても宅建士らしい仕事をさせられないという。

たまに一緒に案内に行き。電車やバスの中で話すこと機会があった。
ここぞとばかり、彼にどのように勉強したら宅建に合格できるのか、と詰め寄った。

「僕は学校に行ったんです。だから合格できたんです。独学だったら受からなかったと思います。」

彼らしく謙遜していたが、藁にも縋る思いで私は彼の勉強法を細かく聞き出すことができた。

思った以上に壮絶な勉強をしていた。専門学校に行くと膨大な答練が待ち受けている。学校の自習室で夜の9時まで居残って勉強していたそうだ。それを6ヶ月毎日続けたという。

その体験談を聞いて自分が情けなくなった。正しい道でちゃんと努力をした人は必ず受かるのに、私はただ手抜きをしていただけだったと気付かされた。

インターンと学校とバイトの生活

学生の夏休みは長い。

しかし今の学生はとても忙しい。

彼は東南アジアの中でもマイナーな国へ職業体験、いわゆるインターンに行くため3週間の休みを取った。成長した彼は帰国後も頻繁にインターンでバイトを休むようになった。

学生だから仕方がないとはいえ、有給休暇も支給できないほど勤務日数が不足するようになっていた。

それに加え、テスト期間もバイトを休むようになった。

奨学金の査定があるのかきちんとテストで点を取らないといけないらしい。お昼休憩はテスト勉強か本を読んでいた。そして同じ空間の別の場所で私は宅建の勉強に燃えていた。

秋のインターンは企業との面接が度々リスケとなり、そのたびに予定が狂い、当日欠勤こそはしなかったがあからさまに欠勤が多くなってきた。つまり勤怠実績が悪くなっていた。

ある日、彼から相談を受けた。

「このままでは会社に迷惑をかけてしまうのではないのでしょうか、しばらく休職という形で来年の就職活動が終わるまで休みをとることはできないでしょうか。それとも辞めるしかないのでしょうか」

休職でもいいと私は思ったが、さすがに来年の就職活動が終わるまでの間に何が起こるかわからない。それまでの間に会社が潰れているかもしれないし、逆に会社が発展しすぎて移転することもあるかもしれない。

結局社長との面談により、彼には辞めてもらうことになった。仕方がないけど人生を左右する就活のほうがバイトよりも優先順位は高いのは事実。

12月頃から引継ぎを行い、1月末を目処に彼は正式に退職することになった。

その頃試行錯誤を続けていたあるサイトより初めて反響があった。そのお客様の案内、申込み、契約の準備を進めていた。

そのお客様は来店時に「私は病気を持っています。薬でコントロールはできていますが、審査に影響するのであれば前もって断っていただいても構いません」と正直に言ってくださった。

病気だろうが何だろうが、ちゃんと規則を守り家賃を滞納しない人であればこちらとしては何の問題もない。恐らくそのように最初に申告してきたあたり、他の業者で断られてきたのだろうな、と胸が痛くなった。

入居申込書に見覚えのある会社名が書かれていた。特例子会社である。特例子会社とは、大企業が一定数障害をある人を確保するために作られた子会社である。

そんな病気と闘いながら自立生活をするなんてきっと苦しい思いをしながら努力してきたのだろう、とその入居申込書やメールのやりとりを思い出した。

契約にあたり重要事項説明を行うのは宅建士の義務である。むしろ宅建士しかできない独占業務である。

店長が彼に言った。

「たぶん最後だけどやってみる?」

「はい、やらせてください。」

そしてその契約日まで彼は重要事項説明と契約書の読み込みを始めた。

最初で最後の重要事項説明、そんなシーンが遂に訪れる日が来るとは思わなかった。バイト生活が雑用や内見で終わってしまうのはもったいない。

最初で最後の重要事項説明

彼はまたいつものグレーのジャケットを着てきた。その手にはぎっしり付箋がついたルーズリーフが握られていた。わからない法律用語に関して書き留めたオリジナルのカンニング帳らしい。

時間通りに契約が始まった。その日は会社にいる人数は少なく、お客様と店長と彼と私しかいない。4人だけの重要事項説明。

練習に練習を重ねて読み込んできたであろう重要事項説明はグダグダだった。言葉につまる、緊張して声が上ずる、明らかに聞き取れないか細い声。たどたどしい説明。思わず会社のBGMをオフにした。

それでもいつも厳しい店長は何も言わなかった。

「何かあったらフォローするから」の一言。あとは何も言わずに黙って見守っている。

6畳の洋室とキッチンとトイレと浴室しかない単身者マンションの一部屋とはいえ、重要事項説明はそれなりに時間がかかる。それだけ説明責任と義務を果たさなければならないからだ。

その約1時間の間、彼が入社してからもうすぐ退職する過程の出来事を回想していた。

私は彼のアドバイスのおかげで無事に宅建に合格した。心より感謝している。

そして彼はもう二度と重要事項説明を行わないかもしれない。

なぜならインターンに行き始めてから不動産業界だけではなく他にもいろいろな世界を見てみたいと心境の変化があったからだ。

最初で最後の重要事項説明。

一時間以上かかったがようやく終わった。
最後に質問はありますかと聞いていたが、「特に大丈夫です」とのことだった。

店長がと母性の塊のような優しい目でお客様に伝えた。

「彼のデビュー戦にお付き合いいただき、ありがとうございました」

そして緊張が解けたのか

「ドキドキしました・・・」とお客様に対して伝える彼。

お客様に対して言う言葉じゃないよ!と盛大な突っ込みを心の中で入れながら、契約が無事終わった。

かつてないほどの静寂な時間だった。

退職の日

1月24日

彼はテストの都合により少し前倒しに退職した。

寂しくなるな、と思いつつ皆でお金を出し合って用意した少しばかりのプレゼントを渡した。

リクエストは「可愛い色が入ったブルーのネクタイ」だった。

なんだその抽象的なリクエストは、と一瞬思ったが、店長と一緒に近くのモールで可愛いピンクのストライブが入ったネクタイを見つけることができた。

定時が近づくと忘れ物はない?と店長は最後に握手を求め、私はただ頑張ってね、と言うことしかできなかった。

また会えるからね・・・。

「寂しくなってきちゃいました。」と涙ぐむ彼をみて、

(そんな風に思って辞めるのは貴方だけだよ!ほかの人は喜んで辞めていくのに何ていい人なんだ)とじわじわ泣けてくるのであった。

その後のこと

彼が去っても仕事の量は変わらない。

その日は席替えがあり、仕方なく残業をしてデスクや袖机の移動を遅くまでやっていた。

ついでに荷物も減らし、要らない文具を整理するため、袖机の1段目を開けた。

私の袖机は常に整理整頓ができておらず、いつも付箋やらが滅茶苦茶な状態で置かれている。

その付箋で見慣れないものがあった。付箋でキャラクターものは使ったことがない。例外として業者から配布されるのは、決まって赤色だ。

何だろう、と気になってその付箋を手に取る。
開いてみると彼からの一言メッセージが書かれていた。鉛筆で。

「今までお世話になりました。いつも教えてくださって本当にありがとうございました。」

それだけだったが、その心遣いと、「何でそんなわかりにくいところに置いたんだ!」という理不尽な対応に笑いと涙が止まらなくなり、会社のトイレでこっそり泣いた。

そして人が誰も居なくなった夜、システムに登録してあった彼の宅建士番号を消去した。

彼は、就活と学校の勉強を頑張っているに違いない。

大きく成長し、自分の適性を生かした分野で活躍してほしい。

頑張れ若者。未来は明るい。

ここまで長文を読んでくださりありがとうございました。

(お断り:この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)











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