【読書感想】ただ自分でいられる存在になるために『列』中村文則
「その列は長く、いつまでも動かなかった。」で始まる物語の第一部は、ただ行列が存在するだけの設定で描かれている。その他に具体的な要素は少なく輪郭を掴みきれないような空気感が漂うシーンが続く。先頭に何があるのか分からないまま列に並ぶ語り手、前後に並ぶ人々との間に自然発生的に生まれるやりとりから人生における教訓めいたものを読み解こうとし、物語に向かう姿勢は自然と少し前のめりなりいつもより丁寧に読み始めていた。
この列は一体何を示しているのだろうか。その疑問を抱きながら二部へと入っていく。これまでの抽象的なシーンが続いた第一部と変わり第二部では、研究のために猿を観察する非常勤講師の草間とその手伝いをする大学院生の石井を中心に展開していく。一部とは違ってよりシーンの解像度がはっきりとしているが、頭の中に残る第一部で読んだ列の存在によって、猿の描写を勝手に人間に重ね、「列」という存在が少しずつ見えてくるような感覚になり、物語は最後の第三部へと続いていく。
この作品を読み終えて考えるのが、列が一体何を意味しているのかということだった。そこで、少し前に行列に並んだ出来事を振り返ってみたくなった。
12月末に大阪を訪れた際、有名なチーズケーキを買おうと百貨店の地下の売り場行った。そこには遠目からも分かるような行列ができていた。立札には60分待ちの表示。それでも60分はかからないだろうと決めつけ、最後尾に並ぶ。列はどうやら途中で曲がっているらしく、先頭の様子が確認できなかったが、行列の実態を確認するよりも並ぶことを優先した。そしてすぐに自分の後ろにも新たに人が並び、少し安堵する。途中で列の後ろを確認すると自分が並んだ時よりも長い列になっているように感じた。
自分より後ろに人が並んでいようがいまいが、チーズケーキの価値が変わるわけでもなく、手にするまでの時間も変わらない。それでも、自分よりも後ろに多くの人が並んでいることで、どこか安心感を覚える。この圧倒的な安心感の正体は比較から生まれるもので、列は人と比べることで生きる人間を描いた作品のように思えてくる。
列の先頭には自分の望むモノがあり、それを手に入れるために並ぶ。前に並んでいる人々は自分より理想に近く、羨ましいと思える存在で、逆に後ろにいる人たちを見て「この人たちより自分は前にいるから大丈夫だ」と安心する。自分よりも裕福で豊かな暮らしをしている人を見ては羨む。逆により厳しい暮らしをしている人を見ては不思議と安心感を覚え、決して裕福ではないがましな暮らしを送れていると感じてしまっている自分を不健全だと思うこともある。
その一方で、他人の比べることで自分の立ち位置を明らかにするのは悪いことなのだろうか? この小説に出てくる列のように、どれだけ自分の人生が前に進もうと、先頭は一向に見えてこないものだろう。際限の無い欲求によって、いつまでも自分よりも前の人間を羨み、後ろの人間を見てはよく分からない安心感によって気持ちを落ち着かせる。ただそれのくり返し。そんなことが当たり前の世界に生きていて、比べることで生まれる確かに前進する感覚は悪くないような気もする。
ただそうして後半を読み進めていると、やはりこの感覚は間違っていて、周りを見渡しながら立ち位置を確認するような生き方ではダメだということに気が付く。そしてヒトは周囲と比較することなく、一人で正しく生きようとすることはなんて難しいのだろうかという思いに至る。ただ自分でいるということは、簡単そうに思えて難しい。そんなことを考えた1冊だった。
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