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無職で迎えた正月にこたつで物思いに耽る。

年末の大掃除や家族の集合、お墓参りなど。
新年を迎えるにあたり、イベントがてんこ盛りで疲れが出たのだろう。今日は一日中、こたつでごろごろしていた。
テレビのリモコン、スマホ、ペットボトルの水、みかんなどなど。手の届く範囲に置いたら準備完了。
「なまけもの」という魔物が棲んでいるこたつへ潜り込む。一度入ったら最後、二度と出ることはできない。もちろんこの記事も、こたつで書いている。

そういえば、無職で正月を迎えたのは今年で2回目である。
以前は4年前。4年に1度、オリンピックと同じ頻度で無職になっている。
どこにも属さず、何者でもなく、無職のニート。正月休みという実感があまりないまま(毎日休みだからそりゃそうだ)、ぬるっと新年を迎えた。
「ここれから仕事が始まるぞ!」という緊張感や休みが終わってしまう気怠さがない感じが、4年ぶりで逆に新鮮である。

テレビを点ければ特番がやっていて、外へ出るとどこも混んでいて、正月飾りや福袋が目に入ると、なんとなく正月ならではの世間のソワソワとした空気感を感じる。
が、どこか自分がいる世界とは別世界の出来事のような感覚がある。
自分だけ時が止まったまま、何も変わらないまま、けれど周りではものすごいスピードで時間が駆けていく。少し置いてけぼりにされているような、浮世離れしているような感覚だ。

浮世離れといえば、4年前に無職だった時のこと。
当時は外界をシャットアウトして、自室に引きこもっていた。テレビやSNSには触れず、現実逃避するように自分の興味がある極々限られた世界に浸っていた。
再就職して同僚と話していた時、「髭男ってなんすか?」と聞いて驚かれたことに驚いた。
テレビや新聞、ラジオ、雑誌、SNSに触れていれば自然と入ってくる流行りの音楽やドラマ、映画、ファッション、店や商品といった「カルチャー」の部分がすっかり抜け落ちていたのだ。浦島太郎の気持ちが少しだけわかった気がした。
そんな世の中のトレンドに疎い状態で、よくぞ企業の広報として就職しようとしたなぁ、と自分の奇行(?)が不思議である。

だが、こうして過去を思い返してみると、やっぱりちょっとは変わっているんだなぁと思う。
こうしてnoteという媒体を通じて小さいながらも声を上げ、自分という存在を発信しているのだ。コメントを通して交流をしているのも、4年前の自分を思えばものすごい進歩である。

こういう時にふと思うのは、比べるんだったら周りと比べるのではなく、過去の自分と比べることが大切だな、ということ。
ついついできないことに目を向けがちだけれど、よくよく思い返してみると、過去にできていなかったことが今はできていたりするのだ。

なーんだ、少しずつでも進んでるじゃん!

そう思ったらなんだか安心した。
でもやっぱりこたつは気持ちいいから、このままもう少しごろごろしていよう。


イラストbyあっこ
久々に我が家にこたつが登場。
こりゃ出られないぜ〜


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