Akiko Nakayama

Akiko Nakayama

最近の記事

日月記#2

1月6日 一晩にして登場した塗りたての横断歩道は紅白の縞模様で、パン屑のようにほろりと千切れたアスファルトがその道の上に転がっている。ぴっちりと丁寧に均一に塗装された面と、赤白黒のコンポジションが目に飛び込んでくると、こうして文章が湧き上がるよりはやく胸を打つ鮮烈さがある。 1月20日 CMの仕事をするときは、個人ではなく、クライアントからのフィードバックを受けて、世間全体の快不快を軸にして調整する時間がある。ゆえに自分の「良し」とのズレも多々生じるものだけど、自分はトカゲ

    • 日月記#1

      2022年11月13日 フラメンコ、ビートの行間のような、今まで知らなかった時間の狭間から湧水がわくようにギターやパルマがみずみずしく溢れてきてとても素敵だった。強固な柱の立つ建築に流れる風のように、絶対が連続する方眼紙にやわらかい線を走らせる、というのはテクノの現場で味わうライブペイントの醍醐味かつ相性のいいオーディオ×ビジュアルの形だとある日の現場を思い出しつつ、フラメンコはまた違う、なにか今まで知ってきた音の捉え方と異なる間があることが面白い。木から離れて落ちた葉が演奏

      • 一輪の花を手向け

        なんていい曲なんだろう。 ジョバンニがある夜無くしたチケットが、瞬間自分の手のひらに現れたようであった。銀河鉄道に生きながら同乗できる機会などそうそうない。それにこんな月夜である。ヘッドホンから流れる仮音源に、あらためて絵を描こうという覚悟を決め、いつか図書館で読んだ詩集をもう一度買い直して持ち歩く。文庫本はいいな。黄身を帯びた白の直方体を指でずらせば、くっと意識を引っ張られて、眼は紙の白とインクの黒を認識しているはずだけど、紙を離れた文字列は網膜を伝ってあたまのなかに色彩を

        • 蒸気

          病院の待合室ひとつおきに知っている顔が並んでいる。快晴の日向はぽかぽかと暖かい日、心に日が差さず背中にひとつカイロを貼ってあたたまる。身体は熱くなりすぎて白い紙コップに水をそそいで飲み干した。空のカップは役を終えても手の中に置いて心なしか安心感を与えてくれる。そういえばこれも白い紙だなあと思う。まっさらな白い紙は机に置くだけでまるで息を吸える空間を広げてくれる窓であった。今はコートのポケットの中でほのかな希望を溜めている。 親戚に仕事の成果を褒められて、なんだか声をかけられ

          名前

          忘れ難い美しい悪夢と、そこから何かメッセージを読み解こうとするはたらき。ゆりかごのように、抽象、具象、抽象、具象、、と傾きながら、その真ん中に眠る生命力を育んでゆく。 文芸誌の挿画のために、旅の写真を一枚一枚グレースケールに変えてゆくと、何が写っているのかわからない曖昧なグレートーンが生まれる。意味の余白は液体の表情と相性が良く、しりとりのように1つの共通点、一致するグレーによってのみ接続される。白地に鳥のシルエットが浮かび上がり、足元の水面を認識するが、目線を移せば次第に

          デリバリー明晰夢

          瞬きとともに瞼に焼き付いて絵が現れる時があり、しかしだいたい何のメディウムなのかわからない。頭の中の何を支持体として、何を色材として、一瞬のイメージが形作られるのか。その二つがどう構成されているのかわかったならば、明晰夢へのライブペイントもできそうだ。まずは観客を夢と現の狭間に連れていって、脳の状態を・・・と空想していたら、そういえば数百年も前から能楽が実現していたことだった。板を踏み鳴らす音が鼓膜にとどく頃には、すっかり夢幻に迷い込んでいる。 物理法則という堅牢な地盤を優

          デリバリー明晰夢

          翼の構造

          栄養を包み風を待つ。 綿毛をひとつ捕まえて透明のベッドに寝かしつける。光を灯し影を見つめる。あたたかいランプの中で微睡む自然の形。 構成する気力もなく、ただ覚えているのは花が咲くかなと種子のまわりに水を差し入れたこと。生業と人間、二つの異なる無意識が並んで走り、奇妙でちぐはぐな行動を起こすものの、芸術はまっとうな芸術家不在でも姿を現し、うつくしいと声をかけた瞬間かたわらにいっとき腰掛けてほほえむ。 遠泳、心身の揺らぎに日々こんなにも向き合って泳ぐ日々があっただろうか。私

          Beginner

          パジャマとも私服とも言えるパジャマのボタンをせめて閉じながら9時50分、画質に捉えられるギリギリの寝癖だけを整えてパソコンを立ち上げる。10分後にはオンラインミーティングだ。裸足とパジャマで仕事ができる日を夢見ていたんだ。人々にとって新しい業務形態はビジネスマナー形成前夜、こういうことが起きるから夢は夢として距離をとっていたものが一瞬実現する。眠たくも清々しい朝。ミーティング相手の顔に差す5人それぞれの光の色と角度に気を取られて、左から右へ入ってこない内容を頭に入れていく。こ

          自粛連夜の過ごし方

          街を白紙に返してゆくような大粒の雪が、フロントガラスに伝ううちに透明になり、落ちるころには半球の膜となって水に揺れる。薄暗い路地裏の塗装の凹凸に寄り添うような水際、硬質な一本の光の筋が輝いている。人の中に立つ骨格の緩やかな捻りのように堅牢で柔らかい白。今日はその水溜りが光の鏡となり、コンクリートを揺らす波紋。 広い世界へ旅することができないフラストレーションは、ベクトルを逆にして小さな世界へ旅立つエネルギーに。顕微鏡に火を灯して、花弁の内側へ内側へ潜ってゆく。雄蕊と雄蕊

          自粛連夜の過ごし方

          別府を終えて

          床の間の百合が首からボトンと落ちて、それが造花であることを知っていたからこそすっかり驚いた。プラスチックでも、本物の寿命よりも長く百合として振る舞っているうちに、自壊する際にもまるで花のように散るのかと。咲いていた時には色と形を真似ただけの偽物で、際立つ空虚さに造花は苦手だったけれども、崩れる瞬間にだけ本物になったような、瑞々しい美しさを見つけた。 KASHIMA Artsidt in Residence での新しい作品のタイトルは「Drawing」と仮に名付けているけれど

          別府を終えて

          もののけの好きな色

          儀式の中で「白」が「代」の役割を担ってきたように、それぞれの色彩が時代によって色彩美以外の願いを持って使われてきた。 ある日、色材研究の専門家に話を聞きにいったときに、おおよそ全ての植物からは何らかの色彩が現れて繊維が染まるけれど、草木染めとして残ってきている代表的な植物には、色の綺麗さだけではなく漢方としての薬効を期待されて衣類として纏われてきたようだ。藍染めの虫除け、茜草根の滋養強壮、聞いてみればそのとおりだよなあと思うし、今まで知らなかったことを恥じつつも、合成染料育

          もののけの好きな色

          Dear Glenn

          ARS ELECTRONICA に機会をいただいて「Glenn Gould as A.I. x Akiko Nakayama」という公演を終えた。 Glenn Gouldの演奏を学習した自動演奏するA.I. ピアノとの共演。もう逝ってしまったひとを思いながら、そのひとを楽器という依り代に呼び込んだ存在と共演するのは、本当に危険なことだと思った。連れていかれそうなんだ。通り道にすでに水が滲んでいるから。 黄泉の湖畔に赴いて、死者とふたりでボートを漕ぎに ステージに登る

          別府途中経過

          KASHIMAという別府のアーティストインレジデンスに来て2週間と少し、滞在期間を折り返そうとしている。芯から冷えるような真冬のある雨の日を超えてからは、朝のキッチンに暖色の日差しが差し込んで、今日から春だな、と感じてはまた冬に戻るような2月の半ば。貪欲に別府の特徴たる火口や、源泉や、海をまわり、なにもかもがすでに美しすぎて、作品にならない。 大戦後に湯にも入ることのできない負傷兵を蒸気浴で癒し、ゆえに早い段階から鉄道が敷かれ、そしてなにより作物が育たずに地獄と呼ばれた地を

          別府途中経過

          新しい2週間の滞在先へゆく前に、展示プランと作品の名前を教えて欲しいと言う。そんなのわかるわけがない。何と出会ってなにが生まれるのかなんて、ありもしない思い出を捏造しながら語るようなものなんだ。と思いながらも、なにかの希望という形にして空欄を埋めてゆくんだ。喪失を先回りして想像するなんて今はできないから、500単語と指定された文章も、もはや持ちうるだけの英単語を、雑に頭からガチャガチャと落とした先で自然と繋がったものをピリオドで区切っていくだけの作業だ。精神を切り裂くようなこ

          血としての赤、海としての青

          小学2年生のときのことだ。根から茎へ水を吸い上げるように滲む赤色を赤色色鉛筆で追っていく、広がった葉から根へ遡るように緑色で塗っていく、赤と緑の出会ったところのグラデーションを塗り重ねるうちに、あるときに絵から植物をすり潰したような匂いがして、その生々しさに驚いた。なぜ葉っぱは緑色で、なぜこの茎は赤いのか?そして色が混ざり合った時に、絵が本物よりも剥き出しの状態で命があるような、みずみずしいものになる感覚が、どうしても不思議で魅力的だった。 そういう不思議をなんで、なんで、

          血としての赤、海としての青

          須崎途中経過

          「茶色いところと、深緑のところがあるでしょう」と言う視線の先を見つめると、山脈が確かに二色の毛糸で編んだセーターを着ているように見えてくる。ぽつぽつと点在して見える茶色い木々はもとからの自然、山を覆う大部分の緑部は戦後に植林したヒノキや杉なのだそうだ。 緑色の山、という印象を構成する要素が、人が一本一本手で植えてつくった色彩の集合体ということにおどろく。 かつて印象派の画家たちが、光の粒子ひとつひとつを網膜から取り出してはキャンバス上に再構成する、砂漠を一粒ずつ運んでつく

          須崎途中経過