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日月記#1

2022年11月13日
フラメンコ、ビートの行間のような、今まで知らなかった時間の狭間から湧水がわくようにギターやパルマがみずみずしく溢れてきてとても素敵だった。強固な柱の立つ建築に流れる風のように、絶対が連続する方眼紙にやわらかい線を走らせる、というのはテクノの現場で味わうライブペイントの醍醐味かつ相性のいいオーディオ×ビジュアルの形だとある日の現場を思い出しつつ、フラメンコはまた違う、なにか今まで知ってきた音の捉え方と異なる間があることが面白い。木から離れて落ちた葉が演奏を通してまた木にもどってゆくように逆再生されてゆく、踊りの始まりに本当の演出と呼応を感じ、返歌しあうダンサーと演出家の姿を見た。

2022年11月15日
スーツケースを開けたらビーカーが割れていて、ずさんな運び方をしていたことを恥じた。カメラに映して見てみると、割れたての断面はエメラルドグリーンに輝いてカットしたての宝石のようだ。その報いではないが、私がガラスを割ったことの反作用は、思わぬところから返ってきた。片付けをしていると、あるお客さんに話しかけられ、およそ5分にも満たない間に、顔の痣、容姿、年齢、結婚、出産 について捲し立てられて絶句してしまった。短い会話の中でよくこんなに詰め込めた。もはや芸事のようにすら感じて、この方の長い人生の中で、あらゆる舞台で披露してきたであろうことがわかる。同じようなことを言われて、心を傷つけられてきたのだろうか。第4のアクトレスの登場に、ライブ本編の余韻はすっかり飛んでいった。ビーカーは3つの破片となったものの、1つはまだ水の器になりそうだ。鋭すぎる角をまるくやすってしばし使おう。



11月17日
急に冬は乾燥することを思い出した。ガラスの縁で指を切る。皮膚が切れるってどういうことだろう。実際どんなことが起きているのだろう。

12月2日
キルギスで見た鷹が兎を捕まえるときの、命を瞬間に握ってしまう的確さと恐ろしさ、しかしその瞬間が来るまではとてつもなく優美であることを思い出す。Eivind Aarsetのライブでも、老犬を撫でるような優しいギターを見たけれど、素晴らしい演奏家はまるで生命に触れているように音を奏でる。

12月4日
MICHIYO YAGI TALON が素晴らしかった。
今この瞬間の音に渾身なのに、箏の残響は過去から現在と未来に滲み、現在の音は過去からの響きと未来に絡まり、時の混ざりの妙技は仙崖の⚪︎△◻︎が思い出されて、世の理を少し垣間見るような気さえした。 八木さんの箏は、視覚がグッと濃い紺色に溶けたり、風が吹いたり、香りが立ったり、極上。

12月14日
オンラインミーティング、隣り合う窓から覗く人々はそれぞれ異なる大陸にいる。日本から語りかけるときには大体の場合、未来の夜から昼の人たちに話している。地球は1つの大きな日時計のようだ。

12月19日
同じ動画が流れても、プロジェクターの「光を差す」ということと、LEDの「発光する」は、まったく別物で、実はまだLEDの力強さを扱うのが少し不得意だ。自分の意見だけ好きなだけ話してしまった時の会話を振り返って、やっちゃったなと思うようなことをLEDでよく経験している気がする。プロジェクターは会場の明るさに影響を受けやすいので、勝手に空間内の光の粒同士がなにか譲り合ったり混ざり合ったりするところがあるので、機材の特性が幸いして絶対的主役になるケースは少ない。とはいえLEDでは黒の黒さが確保される気持ちよさがあり、シェイプドキャンバスが作りやすく、プロジェクションで出にくかった色も出やすいし、その点機材側が色に対して平等な印象がある。プロジェクターは光源と像を結ぶところに距離があって、LEDは光源と像が同じところにある。プロジェクターは反射した光を見て、LEDは発光しているから周りが明るくても良くて。月と太陽のようだ。月見の方が性格とはあっていると思いつつ、慎ましい光の扱いをLEDでできるようになったらいいな、と来年のいくつかの機会に思いを馳せる。

12月21日
山田英春さんのサハラ砂漠の様々な先史時代の壁画を集めたウェブサイト、作者不詳ののびやかな線に奇妙な獣人、ダンスをする人、少し疲れた夜によく効く。

12月23日
Shinpei Ruike × Hachiya Maki × Akiko Nakayama
自分らしくいられる家のようなトリオ。今日濃い紺のインク溜まりに、白でひたひたになった筆を走らせたところ、紺色が見事に誘導され「導く」の意味のドローイングが目の前に現れた。色を率いるのは久々な気もして、とても感動した。

12月24日
地球から十億光年以上離れた銀河をハッブルが捉えた画像を見た。国東半島の砂丘で拾ったちいさな巻貝をつまんで重ねてみると、瓜二つの双子みたい。自然という単語に柔らかい印象を持っていたけれど、こうして強い秩序を見てゆくうちにいつからか、今人間でいるときだけ渦を乱すことができる唯一の時なのかもしれないと思う。

12月30日
今年の描き納めは全身打楽器レオナと札幌でした。素晴らしいアーティスト。今年はこの人のような、未知に向かって冒険してゆく勇気と突破力のある人と共演できてとても幸せだった。この先もずっと、勇気が表れている線を引いてゆきたいし、期待に震えながら待つような余白を見極めてゆきたい。パリのゲテリリでのkuniyukiさんとのライブでは、黄金と青の流動が満ちた時に自然と涙が溢れてきて、音と光に身を浸す喜びを感じた。今年はパンが膨らむような表現によく出会った気がする。来年もそのような豊かな変容を気づいてゆけるだろうか。

12月31日
少し喉の風邪をやってしまって、体を休めながら、年明すぐの青森の準備をしている。少し特別な年の瀬も、いつも通りメンテナンスと準備をして過ごす。

今年もいろいろな方にお世話になりました。2023もよろしくお願いいたします。


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