見出し画像

Beginner

パジャマとも私服とも言えるパジャマのボタンをせめて閉じながら9時50分、画質に捉えられるギリギリの寝癖だけを整えてパソコンを立ち上げる。10分後にはオンラインミーティングだ。裸足とパジャマで仕事ができる日を夢見ていたんだ。人々にとって新しい業務形態はビジネスマナー形成前夜、こういうことが起きるから夢は夢として距離をとっていたものが一瞬実現する。眠たくも清々しい朝。ミーティング相手の顔に差す5人それぞれの光の色と角度に気を取られて、左から右へ入ってこない内容を頭に入れていく。こぼれた内容を拾い上げるごとに仕事のありがたさを思い出す。右脳から左脳へ左脳から右脳へ、すこしずつ回転する頭。


ふるえる携帯。

メールと電話、いくつかのSNSの他に、飛行機発着の通知だけオンにしている。その飛行機に乗っていないことを知らないアプリは、私たちが今空の上にいるのだと勘違いして、親切に旅の工程を告げる。10時間後に着陸するらしい。もはやパラレルワールドを旅する自分からの連絡、いつの間にか私たちは並行した別の世界の住人になってしまったよ、と通知を切る。新しい景色を眼に、皮膚に、ジャブジャブと浴びせてゆくような無敵の自分からすぐには身体を切り離せず、熱した眼のフラストレーションを宥めて分岐し切るまでに1週間はかかった。

道と呼ばれる芸能をかじるときの、所作の根拠を知らないで動きだけを繰り返し真似てゆくような経験、道にならずただただ理由なく日常であったルーティンをなぞるだけになっていないか。棚の本、音楽の好み、美術館、全部彼女の好きだったことだ。芸に向ける情熱、愛情、逢瀬の形すら。いま空の上を飛んでいる私の置いていった〆切をひとつひとつ片付けながら思う。早く帰ってこないかなあ、とはもはや思えない世情でもあるし、その上、強く疾い自分に今まで全てを任せてきたことに気がついて、今は彼女にとっての休暇なのかもしれないとも思う。全ての延期が実現した先にまた再会できるだろうか。今は弱く柔い自分が持ち場を守る。不思議なもので、魔法が使えないと認めた状態で過去の絵をめくっていくと、当時は素晴らしいとは思わなかった「地味な絵」にかかっているじんわりとした魔法に気がつくもの。これはこれで良い状態だよね、と言い聞かせて。

受け入れたとはいえ、筆を持てずなんとなく開くSNS、友人のライブ配信が目にとまる。疲労と暗さに簡単に塗り潰されて忘れてしまう感情に、潤いが与えられてふと蘇る記憶。


画像1

画像2


2017年ブルガリア、ソフィア。終演後に女性トイレで鉢合わせたことから、その人が女性なのだと知った。彼女はその日暗転明けの拍手の中まっすぐこちらを見つめ、ひとりスタンディングオベーションをしてくれた人だ。

シンクの鏡越しに目が合う。

「とってもよかったわ」と言いながら、明るい紫色の口紅を直している。
紫色という漢字と音の印象よりも、ずっと鮮烈で軽やか。ライラックとかピオニーパープルとか、花の名前がよく似合う。

友達申請が携帯に届く、綺麗な声で鳴く小鳥の名前だ。自分に似合う名を命名し直したのだそう。アイコンは彩度高めに加工され、花冠をしている。名の小鳥よりもずっと華やかなつけまつげ、羽ばたくように笑っている。ひとつひとつ選ばれた色彩や、身につけるさまざまなアクセサリー、振る舞い、言葉、エレガンスのなかに強い意志を感じる。これらは私に相応しい。私はこれらに相応しいと。

カーテンコールには鑑賞者があらわになる。唇にライラックを選んで外を歩くこと、女性トイレの鏡で化粧をなおすことに、最初の最初は勇気を出したのではないか。私は私よとそこに立つ勇気を奮い立たせてきた人だからこそのスタンディングオベーション、たった一人目立っていた。あの気高さにどれだけ励まされたか。

・・・

3年が経ち、鳥の名前から (おそらく) 本名にアカウント名を変えた彼女はやはり花冠をして、やはりライラック色のスーツを身に纏い、自室には異世界のフルーツが成るようにペールピンクの電飾がほのかに光っている。こちら側に届く歌の意味を理解できないものの、音の転がり方にこれがブルガリア語なのだと気がついて懐かしく思う。紐解かれた記憶のきらめきは、遠くに感じていた元気な私を手繰り寄せるようにこの心身に帰してくれる。気負いも思惑もなしにそのひとがそのひとらしく生きているのを見るだけでふと救われてしまうことがあるものだ。実現し得ないからこそ夢のフォルダに仕舞っていた大小様々な夢たち、現実がひっくり返ったならひょんなことで実現し得ると知る。寝巻きでミーティングする日本人、季節の感じられる庭、呼吸を取り戻す星、境界をいくつ越えようとも気にすることなく歩いていける平和。そこにも通う何か形なき美しさが振り向くときの、あの儚いきらめきを
綺麗だねと鑑賞者と共有しながら絵を描いていると、技術や癖ではないところで私らしさが現れることを思い出す。すぐに忘れてしまうことばかり、まずは今日思惑のない色の混ざりをただ素朴に見つめるところから。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?