あ

別府途中経過

KASHIMAという別府のアーティストインレジデンスに来て2週間と少し、滞在期間を折り返そうとしている。芯から冷えるような真冬のある雨の日を超えてからは、朝のキッチンに暖色の日差しが差し込んで、今日から春だな、と感じてはまた冬に戻るような2月の半ば。貪欲に別府の特徴たる火口や、源泉や、海をまわり、なにもかもがすでに美しすぎて、作品にならない。

大戦後に湯にも入ることのできない負傷兵を蒸気浴で癒し、ゆえに早い段階から鉄道が敷かれ、そしてなにより作物が育たずに地獄と呼ばれた地を油屋熊八たるカリスマが「面白い」と言って整備して観光地にし、人がたくさん訪れた。すでにパラダイムシフトが起こって数十年が経っている。私にはこの自然は美術館の常設物ように完成してみえる。

中でもとろけた粘土を水中からぽこぽこと押し上げては弾ける泥湯、鬼石坊主地獄の様子はいつでも会えるミューズ。あまりにも美しい。

リサーチや、学びとしては十分な1週目だったけれど、完全無欠の美しさの前に、それは富士や桜を描く勇気がないように、立ちすくむような経験でもあった。

滞在先の古民家でぼおっと、今日は雨か、今日は晴れているな、今日は風が強いな、ということを考えるでもなく感じて外に目をやると、縁側というのはとても素敵だなと思う。色とりどりの緑が綺麗で、世話をするでもされるでもなく、植物が私と並行して生きている。

葉を一枚拾って、スライド映写機に挟む。
プラスチックや硝子にも透明度というものがあるのだということを確認し直す。綺麗だな、と思ってからは、富士や桜に手を伸ばすことを厭わない。きっとこれも美しいだろうと思って、野蛮に花を手折る。

繊維を断ち切る
何色か見定める
線を寄り添わせる
水を引き入れる
厚みを確かめる
それはどのくらい透明か
今日と明日で違うのか
刻々と失われてゆく赤色
花を摘む

ベッドに落ちた髪の毛は 自分であるか
線を引くことによって外気と分断される
隣り合ったスライドには、別々の出自がある

白い部分は光、なにも物質がない
ものに光が当たるから、そこにものがあるから形が

空の空間にものを招き入れる
そのものの水分や色彩が刻々と変化していく
線を引くことによって外気と分断する そういった水分量や分断する行為として実体に干渉してゆく
物事に触れてゆく行為
影で触れながら実体を確かめてゆく
像はあるが物理的に触れることはできない
しかし形のない、うつりかわる実体そのものに影で触れてゆくことができる

およそ150のスライドが一周する以上のサンプルを日々眺めて、さて、ひと段落した頃には、坊主地獄の写真に手を入れてゆく。

距離をとっていたミューズの頰を撫でてゆく。形を捉えるために犠牲にしたノイズの乗った表面を、すべすべとデジタルのペンで研磨してゆく。美しいものを台無しにしてゆくような私のドローイングは、この美しさを台無しにする代わりに何を引き入れているのか。一筆一筆、迷いなき自然に迷う私が現れてゆく。それを赦していったらどうだろう。素晴らしい伝説的なアーティストたちに遠く及ばない、普遍性を持たずに揺らぐ線を引いてしまう私への怒りを私自身宥められるわけもないけれど、触ってみないと始まらない。とはいえ手は進まない。

足りない絵の具でもあったらいいけど、と、まったく心構えなく入店した画材屋は、およそ百年の歴史を持ってなお革新的な店で、店をまるごと買い占めるような勢いで画材を買い漁った。明石文昭堂という。ここオリジナルの、別府の景観をもとに作った「湯上りピンク」「明礬オレンジ」「鉄輪セピア」等々15種類のインクは、安易に色をピックアップしただけの試みとは全く異なって、紺碧の空だけで3色、さらにその3色から、塗布すると知らない星にかかる虹のようにユニークな光輪が現れる。こうなる、ことは知っているけれど、それにしても綺麗だ。「地域によって色の意味はさまざまありますね」ということを、話してきたけれど、見つけるまでもなくここでは実践されて、そして完璧なプロダクトになって広まっている。

すでに実践されているプロジェクト。だけれどもとてもワクワクするから、まずは一筆線を引いてみたら?とインクに誘われる。Draw する主体だったはずなのに、導き入れられている不思議。もう満ちているコップ、新しく水を注ぐには、先に飲み干さないといけない。飲み干せるとは思えないくらいに恵みが湧き出る土地。面白い。面白すぎて頓挫してしまう作品未満に囲まれ折り返し地点。

こういう闘いも楽しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?