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「もうひとつの顔」が露わになった時、人はどう生きるべきか

主人公が無言で車を飛ばすラストシーン、無音のエンドロール…
最後まで見終わった時、背筋がひやりとした。
もしかしたら、この主人公と同じ状況に自分も追い込まれるかもしれない。そうなったら果たして自分はどうなるだろう…?
映画「よこがお」は、そんな恐怖を身近に感じさせる作品だった。

主人公の市子は、患者やその家族にも慕われる優秀な訪問看護師。医師である恋人・戸塚との結婚を控え、連れ子との関係も良好。担当患者の孫である基子やサキとも仕事を超えて友人のような関係を築き、順風満帆な毎日を送っていた。しかし自身の甥っ子が引き起こしたある事件をきっかけに、市子の日常は激変することになる。

「加害者の身内」は、決して加害者ではない。しかしそういう立場になってしまうのが現実だったりする。市子はマスコミの執拗な追い込みにより、まるで加害者であるかのような存在に仕立て上げられ、心を通わせていたはずの基子にまで裏切りとも言える仕打ちを受けてしまう。誇りを持っていた仕事も、新しく家族になるはずだった大切な人も、すべて失う羽目に…そんな市子の転落していく様は、目を覆いたくなるほど悲惨だった。

事件前の穏やかで幸せな日々と、事件後の闇に引き摺り落とされていく日々。2つの時間軸のシーンが交互に描かれていたことで最初は若干混乱したものの、結果的には市子に起こる悲劇がより色濃く伝わってきた気がする。表情の変化、感情の起伏、夢と現実の境界線が曖昧になっている不安定さ…異なる2つの顔を持つキャラクターを作り上げた筒井真理子さんの演技は見事で、引き込まれた。

そんな市子と対比して描かれる基子は、また一筋縄ではいかない女性だ。仕事をせず、家に引きこもっている…なぜそんな状況にあるのかは明確に描かれていなかったが、たぶん様々なことに不器用なんだろうことは想像できる。そして市子に対して、特別な気持ちを抱いている。市子が結婚すると知り、自分の気持ちが受け入れられないことを悟った基子は、消化しきれない想いから市子を傷つけるという選択を取ってしまう…これが悲劇を更に増長させる。

基子の歪んだ愛の示し方を理解するのは難しい。ただ基子自身も市子への気持ちについて、きっと多くの悩みを抱えていたに違いない。だから市子に突き放されたことで後悔し、時を経て市子と同じように介護の仕事に就いて真面目に働くようになった姿を最後に見せてくれたことに救われた。その姿を見た市子も、複雑な思いに駆られながらもきっとかつての自分の姿を思い出したんじゃないだろうか?
ラストシーンは人それぞれ異なる解釈ができると思うが、個人的に市子には元の平穏な暮らしを取り戻してほしい…周りの人に温かい笑顔を向け、献身的に支えていた頃の自分を取り戻してほしいと切に思った。

人は誰でも、ふたつの顔を持っているとよく言われる。表向きの顔と、自分しか知らない裏の顔…そしてもうひとつ、自分すら知らない顔を持っている可能性もある。

市子の場合は、事件に巻き込まれたことで今まで知りもしなかった自分の「別の顔」を知ることになった。そのことに苦しみ壊れていく彼女を見るのは辛かったけれど、わたしも自分の与り知らないことが原因で、同じような状況に陥ることはあり得るんだと感じた。いくら正しい道をまっすぐ生きていても、避けられないことはある。そうなった時、わたし自身がどうなるかは正直分からない。だけど自分がどう行動するか、周りの人とどう関わるかでその先の人生はきっと変わると信じたい。

無言で車を走らせた先に、市子の新たな未来が広がっていますように。

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