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西成弁護士の奇妙な事件診療録(最終話 銀輪躍動)


#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

【目次とリンク】

第1話 神様と小さな天使
第2話 オーバーカム・ザ・バイアス

第3話 怪異の復讐劇
第4話 時を止めた研究者
第5話 ふたりの過去
最終話 銀鱗躍動

診療部門特別相談室には暗雲が立ち込めていた。

消化器内科の准教授である鈴木すずきは、背中を丸めてうつむく青年の前に仁王立ちしていた。

相談室の秘書である前田は、鈴木の怒りがいつ爆発するのかと肝を冷やしていた。鈴木は黙り込んだままの青年に耐えかね、ついに怒号をあげた。

「お前なんか研修が終わり次第、この病院から追放してやる!」

鈴木が声を荒らげた相手の青年の名は水村海太みずむらかいた。消化器内科の入局を表明している研修医の若者だが、その希望の診療科をローテーション中に上司から大目玉を食らうことになった。

彼が責め立てられる理由は、医療アクシデントを起こしたからというわけではない。ただ、患者のひとりから猛烈なクレームを受けたからだ。その理由は――。

「研修医の分際で腕に彫り物なんかしやがって!」

「まあまあ、鈴木先生。彼にも言い分があるかもしれません。まずは腰をかけて、落ち着いて話しましょう」

青年に助け舟を出して鈴木をなだめたのは、この相談室の室長であり、医療弁護士である西成仁にしなりひとしだった。

「くっ、西成先生がそうおっしゃるなら、言い訳ぐらいは聞きますよ。許すかどうかは別として、ですが」

腹の虫がおさまりそうにない鈴木だったが、西成に諭されれば口をつむぐしかない。叱責を止め、ソファーに深々と腰を沈めた。

西成は青年に向かいあって座り、穏やかな口調で話し始める。

「水村先生、今回のクレームについて確認させていただきたいと思います。とはいえ、けっして非難するためにお呼びしたわけではありません」

「はい……」

事の発端は院内のルール変更にあった。数日前に白衣の着用義務が緩和され、「スクラブ」と呼ばれる医療用作業衣での業務が許可されたのだ。

「スクラブ」は半袖で動きやすく、頻繁に洗濯できるため清潔である。また、カラーバリエーションが豊富で職種を区別しやすい。多くの医療ドラマで「スクラブ」が採用されたことで、「医療従事者は白一択」という固定観念を持つ執行部もようやく折れた。

けれど軽装になったせいで、いままで白衣に隠されていた左上腕の絵が姿を現したのだ。

深緑色のそれは、水しぶきをあげて跳ねる魚の姿だった。隣には『銀鱗躍動』という四文字が記されている。それは医師という立場にそぐわない、まさに『刺青いれずみ』そのものであった。

その最初の発見者は、よりによって患者、それも重要人物だったのだ。

患者は胃潰瘍のフォローアップ内視鏡検査を受けていた。鈴木が病変の改善を確認し、水村に交代したところだった。鈴木にとって、手技を交代したのは研修医を成長させるための親心にすぎなかった。しかし、それが裏目に出て、患者が刺青の第一発見者となってしまった。

横たわっている患者は、袖の奥に黒光りする模様を見て憤激し、みずから内視鏡を引き抜いた。そして、指導医である鈴木を責め立てた。

「あんた、この研修医の指導医なんだろ? ったく、あんな非常識なやつ、よく患者の前に立たせられたものだ。どれだけ図太い神経しているんだ! ああ!?」

「申し訳ありません、私も刺青については承知しておりませんでした……」

「はんっ! この病院は上から下まで駄目な奴の集まりなのかよ! しかも、よりによって私の検査を研修医にやらせるなんて信じられん!」

「あ、ええと、その……」

不運なことに、その患者は病院の予算を決定する議員のひとりだった。いかなる患者にも差別なく接することを信条としていた鈴木にとって、立場を振りかざす人間への対応は困難を極めた。特別な扱いを受けて当然と思っているから始末に負えないのだ。

結局、指導医である鈴木はしどろもどろな対応しかできず、患者が納得することはなかった。

その直後、痛烈なクレームの投書が病院の執行部宛てに届いた。名指しで非難されていたため、当事者が誰なのかその場で特定された。しかも、専門の医療弁護士にも相談したところ、病院自体の体質を問題視するような辛辣なコメントを受け取ったとのこと。その医療弁護士の名は――『石渡密いしわたりひそか』と書かれていた。

聞いた前田は背筋が冷たくなった。その弁護士の放つ厭な雰囲気は、黴のように前田の記憶にこびりつき、いまだに消えないのだ。

「鈴木先生、水村先生、狭山茶です。気持ちが落ち着きますので、温かいうちにどうぞ」

三人分のお茶を運び、テーブルの上にそっと差し出す。前田は緊張で指の震えが止まらない。しかし、鈴木と水村のふたりは、前田の動揺に気づく余裕はなかった。

「すみません、いただきます」

鈴木は茶に口をつけたが、水村はじっと湯飲みを見つめたままだった。思い返すと、さきほどからほとんど口を開いていない。周りがこれだけ騒いでいるのに、いったい何を考えているのだろうか。前田にとって、水村はあまりにも不可解な男に思えた。

「ところで」

西成が話を進める。水村を気遣うような、落ち着いた口調で。

「クレームの原因が『刺青』にあるのは明白ですが……水村先生はなぜ刺青を?」

水村はかすかに顔を上げた。能面のような表情を浮かべており、西成でさえその心中を推し量るのは困難に思えた。

「……刺青って、そんなにいけないものなんですか」

水村はぼそりと小声で尋ね返す。すかさず鈴木が声を荒らげた。

「あたりまえだろ、お前には常識ってものがないのか! 誰だって、刺青を彫っている医者がまともな奴だと思うはずがないだろうよ」

「あの、刺青は業務規程の禁止事項に記載がなかったので、大丈夫だと思ったのですが……」

「お前、上司に対して屁理屈を言うつもりか! 社会的通念って言葉を知らんのか!」

鈴木は立ち上がり拳を握りしめた。反抗を企てる若造が許せないのは当然のことだ。

しかし、鈴木はそれ以上言葉を続けられなかった。なぜなら、水村の主張も一理あったからだ。西成が割って入る。

「鈴木先生、たしかに身なりの規定は難しい問題です。最近では、多様性ダイバーシティを尊重する考えが主流になっています。型にはめることの方が批判される時代です」

「でも、西成先生、ここは命を預かる病院です。それぞれの職員には、外から見た印象――そう、受容性アクセプタビリティを考えてもらわないと」

鈴木は即座に反論した。どちらも間違いではないが、どちらが正しいかと問われても答えはない。西成は水村に意見を求めた。

「水村先生、多様性を認めるとはどういうことか、わかりますか?」

水村は視線を合わせず、なにも答えなかった。西成は同じ口調で続ける。

「規定があれば、身だしなみに問題のある者へのクレームは監督者の責任に置き換えることで当事者を守ることができます。しかし、多様性を認めるということは、本人がすべての責任を負わなければならないのです」

西成の説明を聞いた鈴木はフンと鼻息をもらした。

だが、水村はまったく動じる様子を見せない。その反応の薄さに、鈴木がさらに苛立った。

「西成先生、私はこの後、診療の予定がありますので、これ以上、がたい若造のために時間を取られたくありませんよ」

「鈴木先生、つまりこの件については私ども・・・に任せてくださるということでよろしいのですね?」

「ああ、心底こちらからお願いしたいくらいです」

水村への嫌味も含まれていたが、鈴木の気持ちも理解できる。このまま議論を続けても平行線を辿るだけだ。

「クレーム対応のお返事は、十日以内にさせていただくことになっています。ですから、一週間程度で相手方が納得できる対応を考えたいと思います」

「それでは西成先生、来週、またこちらの部屋へうかがえばよろしいでしょうか?」

「そうですね。それでは――前田さん、いつ予定が空いていますか?」

「西成先生の予定ですね。来週はいつでも大丈夫なようです」

「いや、私の予定ではなくて、あなたの予定です」

全員の視線がいっせいに前田に向けられる。意図を察した前田の心臓が跳ね上がった。

――この案件が、西成先生の言う『卒業試験』なんだ!

前田が返事に窮する間にも、西成は容赦なく話を進める。

「鈴木先生、この件は前田が対応し、善処させていただきたいと考えています」

「なんですと!? それはさすがに困ります!」

失礼な返事だと思ったところで、西成が毅然とした態度で言い返す。

私ども・・・にお任せくださった以上、担当者の人選の権利は私にあります。変えるつもりはありません」

「ぐむぅ……」

鈴木は露骨に不満そうな顔をして、前田を舐め回すように見つめた。

この案件は、前田が医療弁護士として初めて手掛ける仕事となる。西成は銀縁眼鏡の奥で瞳をぎらつかせた。

「前田さん、あなた自身で打開策を考え、この危機を乗り切ってください」

凍りついた空気の中で、前田は口元を引き締める。

無言で一度、首を縦に振った。

前田は収集した資料に目を通しながら困惑していた。大きく深呼吸をしてから西成に話しかける。解決の糸口を求めているわけではない。ただ、自分の抱く疑問を西成がどのように解釈するか知りたかったのだ。

「西成先生、先日の件でご意見をうかがいたいのですが」

「どうしたんですか、前田さん。さっそくお悩みのようですね」

一筋縄ではいかない案件を持ちかけた張本人は、さも興味深そうに前田の様子をうかがう。

「あの水村先生、院内での評判はけっして悪くない方です。お察しの通り、コミュニケーション能力が高いわけではありませんが、仕事に対する姿勢は真摯なようです。就職マッチングの時の資料を調べてみたところ、学生時代の成績は上位一割に入っており、面接の評価も高かったようです」

前田が腑に落ちない顔をするのも当然だった。経歴と評判からすれば、彼が刺青を彫るような人間には思えないからだ。

「いつも素晴らしい調査能力ですね、前田さん」

「でも、解決できなくては意味がないです」

褒められて喜んではいられないと思い、前田はきゅっと口元を引き結んだ。

「それから、水村先生と同じ大学の先生に尋ねてみたのですが、学生の頃、いわゆる『チャラい』雰囲気はまるでなかったそうです。刺青のことは公にしなかったそうですし、知っているのはごく一部の友人だけだったようです」

「なるほど。どうして他人に見せないのに刺青を彫ったのか、それを疑問に思っているんですね」

「はい、そうなんです」

前田はしばらく思考を巡らせていたが、突然、なにかを思いついてすっくと立ち上がった。

「すみません、急な申し出で申し訳ないのですが、明日一日、有給休暇をいただけないでしょうか」

「おやおや、珍しいですね、前田さんが自分から休暇を申請するなんて」

「ちょっと大事な用がありまして」

西成はじっと前田の顔を覗き込む。

「さては前田さん、水村先生の刺青のルーツを探ろうとしているのですね」

前田はギクリと身をこわばらせた。どうして西成先生は他人の考えをたやすく見通せるのだろうか。

「図星のようですね」

「水村先生に内緒で実家にお邪魔するなんて、少々出しゃばりすぎではないかと思ったのですが……」

「ふふっ、じつは私もそこにヒントがあるのではないかと思いましてね。しかし、どのように調べるかはあなた次第です。なにせこれは前田さん、あなたが担当している案件ですから」

「それでは明日、休暇をいただけますか!?」

「それは許しません」

「なっ、なんでなんですか!」

青ざめた前田に向かって、西成はにやりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「いいですか前田さん、これは職員に関する重要な調査です。だから明日は業務の一環として、私から頼みたいと思います。彼の刺青のルーツを突き止めてください」

「そっ、そういうことですか。嬉しいです、ありがとうございます!」

「彼の実家のほうには、私から連絡を入れさせていただきます」

「承知しました。では行ってまいります!」

新幹線と在来線を乗り継いで四時間。小さな無人駅を降り、ようやく海沿いの町にたどり着いた。

ここは宮城県の石巻市。この地域の海は親潮と黒潮がぶつかり、餌が豊富で漁業資源に恵まれているため、数多くの漁港を有している。水村の実家はその漁港のそばにあった。

目的地を目指して歩いていると、漁に出ていた船が一隻、港に戻ってくるのが見えた。前田は足を止め、その様子を眺めた。

船が着岸すると、陸に待機していた漁師たちがわらわらと集まり、船上の漁師たちから次々と魚を受け取る。魚は手際よく選別され、発泡スチロールの箱に収められていく。都会暮らしの前田にとっては初めて目にする光景だった。

漁師たちの仕事を興味深そうに眺めていると、若い漁師のひとりが上着を脱いで腕をまくり上げた。前田はその腕を見てはっとした。そこには水村の腕と同じように刺青が彫られていたのだ。

日が昇って暑くなったせいか、何人かが上着を脱ぎ始めた。すると次々と腕の刺青があらわになった。刺青を彫るのは漁師にとって常識なのだろうかと、答えのない疑問が脳裏に浮かぶ。

「あんねや、見ででおもしぇもんじゃねぁーべ」

ふいに声をかけられ振り向くと、すぐ背後に老いた漁師が立っていた。

「いいえ、そんなことはないです。初めて見ましたけれど、壮観だなぁと思って」

老人の目は黄色味を帯びていた。病名は思い出せないが、目が黄色くなる病気があると聞いたことがある。その色が妙に引っかかる。

「ほう、都会人には漁師の男さ格好良ぐ見えるのがい」

老人はからかうようにそう言って男たちの方を指差した。前田は遠慮がちに否定する。

「そうじゃなくて……どうしてみんな刺青をしているのかなと思って。おじいさんも刺青、あるんですか?」

「そりゃあ、ワシはこの道六十年、生粋の漁師じゃがらな」

老人はシャツをまくり上げ、背中に描かれた刺青を示した。帆を広げて海を渡る漁船と、「淵広魚大えんこうぎょだい」という四文字が描かれていた。良き君主には良き臣下が集まるというその言葉は、老人がこの港の主だと示しているようだ。

前田は決意を固めて老人に尋ねる。

「どうして漁師の方々は刺青をなさるんですか」

老人は海に視線を向け、記憶をたどるように語る。

「ああ、この町には腕のいい刺青師がいだんじゃ。ちょいど前、肝臓患って亡ぐなっちまったがな。刺青は漁さ命懸げだ男の象徴だがらな」

「命を懸けた男の象徴……?」

老人の真剣な表情は、刺青が前田の持つ印象とは異なる意味を持つことを物語っているようだった
「まぁ、漁知らねぁーお嬢ぢゃんには関係ねぁーごどだべげどな」

老人はそう言い残して背中を向け、ゆらゆらと仕事場に戻っていった。足取りがおぼつかないように見え、どこか悪くしているのかと心配になった。

しばらく歩くと、水村の実家にたどり着いた。家は海を一望できる高台の上にあり、海風と波の音に包まれている。

外観は質素な平屋の一軒家で、医者の実家というイメージには似つかわしくなかった。

「突然お邪魔してしまい、ご迷惑だったでしょうか?」

「いえいえ、こんな遠いところまでご足労ありがとうございます。夫はまだ漁から戻りませんから、私しかいませんけど。――でも、病院の方が直接来られるなんて、いったいどうされたんですか?」

事前に約束を取り付けていたものの、水村の母はひどく不安そうな顔をしている。

「海太がなにか問題でも起こしたのでしょうか?」

「いえ、そういうわけではありません。ただ、彼の生い立ちに興味を持ったもので」

「そのためだけにわざわざこんな田舎まで?」

「それがですね、職員の誘致のために重要なんですよ。医者にとって個性は大切ですから、研修医として当院に就職された水村先生の背景をインタビューしたいと思いまして」

そこまで説明してようやっと、水村の母は安堵の表情を浮かべた。

けれど前田の言うことは嘘ではない。病院のホームページでは職員の就業動機を月替わりで紹介しており、前田はその情報収集やインタビューも手伝っていた。

「ところで、海太君はどうして医者になろうと決心したのでしょうか」

前田はごく平凡な質問から話を始めた。けれど母は意外にも答えにためらいを見せた。

「兄の影響だと思います。――海太には、漁師の兄がいたんです」

母は前田から和室の奥へと視線を移す。視線を追うとそこには水村海太とよく似た青年の写真が飾られていた。

屈託のない笑顔で、海太よりも壮観な顔つきに見えた。

その写真は仏壇の隣にあった。額縁の中のモノトーンの写真は、彼が早世していたことを物語っている。

「お兄様、亡くなられてしまったんですか」

「……はい。海に消えたんです。十年前の、船の事故でした」

「それは心中をお察し申し上げます。お線香をあげてもよろしいでしょうか」

「ええ、お願いします」

前田は仏壇の前に足を運んで座り、両手を合わせて深々と頭を下げる。

厳かな雰囲気に溶かすように、母はぽつりぽつりと過去のことを話し始めた。

「鰹の漁が最盛期を迎えた頃のことでした。兄のたくみは知人とともに荒れた海に出ていきました。旬の獲物は逃せないと頼み込まれ、断れなかったそうです」

「お父様は漁師とおっしゃっていましたが、反対しなかったんですか」

「海の男は、漁に出るかどうかは自分で決めるものだと、判断を本人に任せました。――でも、結局はそれがいけなかったんです」

母は涙を浮かべ、後悔の色をにじませている。

「そうだったんですか……」

「数日後、匠の遺体は陸に漂着しました。結局、最後まで見つからなかった方もいたんですが」

前田はふと、その現実に疑問を抱いた。

「こんなことをお尋ねするのは失礼かもしれませんが、溺死されたご遺体がどなたなのか、判別できるのでしょうか」

長時間海に沈んでいれば遺体は膨れてしまう。服が剝がれればさらに特定は難しくなる。

遺伝子解析で身内との相同性を調査することはできるだろうが、それはあくまで現代にもたらされた文明の利器だ。

けれど前田の疑問を覆すように、母はさらりと答える。

「ですから漁師はみな、腕に刺青を入れているんですよ」

「刺青を、ですか?」

「はい。それが名刺代わりのようなものです。海に沈んだ者にとっては」

なるほどそうなのか。漁師たちが皆、刺青をしていた理由が腑に落ちた。

「『豊漁祈願』と書かれた刺青で本人が特定できました。だから漁業保険制度の保険がおりたんです。こんな零細漁師の家の息子を医学部に進学させてあげられたのは、匠の命と、その刺青があったからなんです」

「そうだったんですか……」

そうだとすると、水村海太の腕に刻まれた刺青は、一般人の理解とは異なった意味を持つに違いない。

漁師の老人が語った「命を懸けた男の象徴」とは、漁は命がけの戦いだという意味なのだ。

そこまで聞いて、前田は本題に踏み込もうと決意した。

「ところで海太君の腕にも刺青がありましたね。彼も漁師を目指していたんでしょうか」

「海太はなにも言いませんでしたが、そうだと思います。あの子は昔から兄の背中を追いかけていましたから」

「じゃあ医学部への進学を決めた理由はなんだったんでしょうか」

「たぶん、匠が勧めたんだと思います。どうしてそうなったのかは、ふたりの間の秘密だったのかもしれません」

「兄弟の間の秘密ですか」

「親が立ち入れないほど、仲が良かったんですよ」

母は昔を懐かしむような表情を浮かべた。

「海太君は大変優秀な学生だったようですし、医師としても将来性のある研修医です。優秀なご家庭なんですね」

「いえ、鳶が鷹を生んだようなものです。ただ、海太は匠ほど、体は強くありませんでした」

もう一度、遺影に目を向ける。ふたりを比べると、たしかに遺影の中の青年のほうが水村海太よりも健康的に見えた。

すると母は思い出したように、こんなことを口にした。

「じつは海太の刺青、匠が彫ったんです」

「えっ!? 兄が……ですか?」

「この港町にいる刺青師の鏑谷かぶらやさんに頼み込んで弟子入りしていたんですよ。匠の刺青も、鏑谷さんに彫ってもらったものなんです」

弟の腕に兄が刺青を彫るなんて、常識では考えられないことだ。

「いったい、どういうつもりだったのでしょうね」

「さあ、匠は自由奔放な子でしたから……。たぶん、海太だけは理由を知っていると思います」

先日、水村海太は鈴木に呼び出されたが、刺青の理由についてなにも語らなかった。けれどその真相は、きっとふたりの関係の中にあるはずだと前田は察した。

「ところで匠さんがどんな青年だったのか、詳しく教えていただけないでしょうか。お兄さんは、ずっと海太君の心に棲んでいるとわたしは思うんです」

前田がじっと視線を合わせると、母は穏やかな表情でうなずく。

「匠がこの世にいた証を聞いてもらえるなんて、母親として嬉しい限りです。少し長くなりますが、お付き合いくださいますか」

「はい、どうか教えてください」

それから母はゆったりとした口調で海太の兄について話し始めた。

まるで彼が今でも漁にいそしんでいるかのような、鮮やかでいきいきとした語らいを――。

翌週、前田は診療部門特別相談室に訪れた鈴木と水村と向かいあう。

ふたりは間隔を開けてソファーに腰を下ろした。鈴木は相も変わらず怒りを抱えているようで、隣に座る水村を容赦なく睨みつけている。

「さて前田さん、この陰鬱そうな研修医の腹の中は、いったいどうだったんですかね」

「その前に――音楽でも聴いて気持ちを落ち着けましょうか」

「はぁ? どうせ彼は聞く耳すら持っていなさそうですけどね。耳障りなら消してもらいますよ」

鈴木のささくれ立った返事を意に介さず、前田は鞄の中からレコードジャケットを取り出す。丁寧にレコード盤を取り出し、プレイヤーのターンテーブルに載せる。盤面に針を下ろし静観していると、ピアノの旋律がスピーカーから流れ出して部屋を満たしてゆく。その空気の変化を、西成は感慨深そうに眺めている。

前田は水村の向かいに腰を据えた。今回、西成は自身のデスクから前田の手腕と成り行きを見守るだけだ。

曲はショパンの『バラード第1番』。繊細なパッセージと情熱的なパッセージを共存させた緻密なメロディ。力強く荘厳なト短調の主題で始まり、次第に切なさや悲しみを表現する美しくも感情的な旋律へと移りゆく。

前田はオーケストラの指揮者のように、事件の全景を俯瞰することなどできるはずがない。けれど、ひとりの情緒的な感情や物語性を語ることならできると思い、レコードショップへ足を運んで探し当てた一曲だ。

「では水村先生、先生の地元での刺青の意味を、鈴木先生にお教えしてもよろしいでしょうか」

「……はい、構いません」

水村に視線を向けると、彼は戸惑いながらも首を縦に振った。前田は鈴木に向かって、漁師に彫られた刺青の意味を説明する。

前田は事前に水村と面会し、実家を訪れた旨を打ち明けていた。母と話した内容についても包み隠さず伝えていた。自身の想いを交えて正直に話すと、水村は驚いた表情を見せた。人間らしい反応を見せたことに前田は安堵した。

前田の真摯な対応に水村は心を開いたようで、彼自身の口から兄と自身の間にあった出来事についてもとつとつと語ってくれた。

「――というわけなんです。彼の刺青の意味は、我々の価値観とはまるで違うものだったんです」

「そうだったんですか、事情はわかりました」

理解を示したようなそぶりを見せた鈴木だが、しかめた顔が和らぐことはない。

「とはいえ、彼自身から説明がなかったのはどういうことですか。常識をわきまえていないどころか、自身の非を認めない態度を続けるのであれば、いくら研修医といえども尻を拭ってやる筋合いはありません。ですから、患者への説明責任を果たすのは、水村と――あとは前田さんにお願いしたいと思います」

「鈴木先生のお気持ちは理解できます。けれど、彼も消化器内科医を目指している研修医です。ですから、水村先生にはなぜ消化器内科を希望したのか、その理由を聞いてもらいたいのです」

前田が水村に目を向けると、水村はいまだに話すことに迷いを抱いていたようで視線が落ち着かなかった。

「水村先生、お兄さんの気持ちに報いるためにも、どうか答えていただけないでしょうか」

「兄」と聞いて水村ははっと顔を上げた。前田のまっすぐな視線に気づくと、覚悟を決めたように口元を引き結び、言葉を紡ぎ始めた。

「――俺、小さい頃から近所の漁師のおじさんたちは早死にだと思っていました。たしかに統計的に漁師は短命なようです。

でも、その理由は水難事故ではありません。みんな、最後は全身が黄色くなったり、あるいは血を吐いて倒れたり。

その理由は医学部で勉強して知りました。刺青の鍼で感染する肝炎ウイルスのせいだってことを」

前田は目が黄色くなった漁師を思い出した。あの老人もまた、同じ病を患っているのだろうと想像していた。

「けれどあの海の街には医者がいないし、海で戦う漁師たちは遠くの病院まで出向いていく余裕なんてないんです。

気づいた時にはみんなもう手遅れになっているんです。肝硬変に進んだり、あるいは肝臓がんができたりと。

今思えば、兄はそのことに気づいていたと思うんです。それで刺青師に弟子入りし、感染を防ぐために目を行き届かせようとしていたんです。俺はそう思っています。

だから俺は肝炎を患った漁師たちを救うために消化器内科医を目指そうと決心しました」

漁師は漁に命を賭けているがゆえに、己の体に刺青を彫る。しかし、それが原因で寿命を縮めていたのだ。

ひどく不条理だが、生きるための過酷な現実がそこにはあった。兄は、その負の連鎖を断ち切ろうとしていたのだ。

前田は感慨深げに語りかける。

「水村先生が消化器内科医師を目指す理由には、地元に対する兄弟の熱い想いが溢れていたんですね」

前田にそう言われた水村は、自身の左腕を強く掴んだ。刺青が彫られている場所だ。

水村の脳裏には十年前、兄と交わした言葉が蘇っていた。まぶたを閉じて過去を思い返す。ふたりが並んで海に釣り糸を垂れ、語り合った時のことだ。

「俺、高校を卒業したら兄ちゃんと一緒に漁師になるよ!」

「おいおい海太、お前は賢い奴なんだから大学に進めよ。自分の才能を見間違うな」

「やだよ、大学なんてお金かかるだろうしさ。俺と兄ちゃんで頑張れば父ちゃんと母ちゃんに楽をさせてやれるだろ」

「お前なぁ……、海ってのは気まぐれだ。自然相手の仕事は言い訳がきかねえ。漁師ってもんは、いつ海の藻屑になるかわからねぇんだ。もしもふたりで海難事故に遭ったら水村の血は途絶えるんだぜ」

「でも……でもっ! 俺は兄ちゃんやこの街の役に立ちてえんだ」

「お前にしかできないことだってあるはずだ。たとえば――そう、この街の漁師を元気にさせる仕事っつうのはどうだ?」

「元気にさせるって……どんな?」

「そうだな、できることなら――医者ってのはどうだ。お前ほど賢いやつならなんにだってなれるって、俺は思っている。俺も頑張って働いて稼ぐから、お前はとにかく勉強を頑張れよ」

「嫌だよ、俺も海の男になって兄ちゃんみたいなかっこいい刺青を彫ってもらうんだ」

「そうか、そんなに刺青が欲しけりゃ、俺が彫ってやるよ。たとえ医者になってもお前は海の男だっていう証明のためにさ。というわけで、刺青師の鏑谷さんに弟子入りしてくらぁ」

「まじかよ、じゃあ兄ちゃん頼むよ! 俺、兄ちゃんに彫ってもらったら、一生消さずに大切にするから!」

「それに、俺が鏑谷さんに弟子入りする理由はもうひとつあるんだ」

「なんだよ、もうひとつって」

「それは内緒だよ。でもいつか、お前なら気づくと思うんだ。もしも本気で医者を目指すならな――」

思い出から舞い戻ってきた水村は、ゆっくりとまぶたを開いた。

「水村先生、あなたが刺青について語らなかったのは、お兄さんの背中を、その美徳を追いかけているからなんですね」

水村は、はっとして顔を上げた。湿り気を帯びた表情は、彼の心の中にたゆたう憂いを物語っている。

「あなたのお母さんに聞きました。お兄さんの口癖は、『海の男は不満なんか言うもんじゃねえ。大海に言い訳は通用しねぇからな』だったそうですね」

水村は黙ってうなずいた。物言わぬ水村の本心が、たしかにそこにあった。兄との思い出を言い訳などにしたくないと、水村は思っていたはずなのだ。

「水村、お前、だから刺青の理由を話さなかったというのか……」

鈴木も水村の情念の重さに心を打たれ、ついに怒りを鎮めるにいたった。溜飲が下がると、あらたまった態度で前田に深々と頭を垂れた。

「そんな心情を抱えていることに気づけなかったのは私自身、恥じるべきことです。指導者としての責任がありますので、クレーム対応は私のほうからさせていただきます」

「よろしいんですか」

「はい、血の通った人間であれば、彼の想いを理解していただけるはずです」

うなずいて前田は思う。彼の刺青は、けっして嫌悪の対象でも、ましては罪科つみとがとされるものでもないのだからと。

すると、その様子を見守っていた西成がいよいよ立ち上がる。

「それでは、鈴木先生にご納得いただけたところで、もうひとつ提案をさせてください」

西成が前田に視線を向ける。前田はその合図にうなずき、デスクから鍵を取り出してロッカーの扉を開く。

厚みのある紙袋を取り出して水村に渡す。

「これは前田さんと私からの、ささやかなプレゼントです。前田さんの提案によるものですが、受け取るかどうかは開けてみてから考えてください」

開くと、そこには七分袖の白衣が二枚収められていた。スタイリッシュなデザインで、涼しげな薄手の生地。スクラブの上に羽織るにはちょうど良い長さだ。

「これを、俺に……?」

「いくら多様性を謳う現代となっても、人間自体が変わったわけではありません。根付いた負の固定観念があなたの足枷となり、お兄様の思い出を汚すくらいなら、その『宝物』は誰の目にも触れさせないほうがよろしいかと思います」

西成はくすりと微笑む。けれど銀縁眼鏡の奥には、心の深淵を射抜くような鋭い眼光が灯っていた。

「あなたは兄という人生の羅針盤に導かれ、今ここにいます。これから医学という大海で終わりなき航海に挑むあなたに、私たちもささやかながら応援をさせていただきたいと思った次第です」

前田は西成の言葉を聞きながら、水村が故郷で銀鱗躍動する姿を思い描いていた。

医師として、海の男として。

【エピローグ】

「前田さん、水村先生の心のおりを解きほぐすとは、素晴らしい解決法でした。それにあの白衣の采配も粋でしたね。正直、あなたの成長には目を見張るものがありました」

ソファーで足を組んだ西成は、冴え冴えしい表情で前田の機転を称える。

「西成先生、からかわないでください。わたし自身だって涙をこらえるのにせいいっぱいだったんですから!」

「水村先生の想いを知った私も正直、目頭が熱くなりました。今回は前田さんの人を敬う心が、穏便な解決につながったのだといえるでしょう。なにせあなたは、かたくなだった彼の心を開かせられたのですから」

おおっぴらに褒められ、前田は照れた顔を上げることができないでいる。

すると西成の声色が、深い湖底を満たす水にも似た、落ち着いた色を帯びた。

「前田さん、人間の深層心理に着眼することは、こういったトラブルを解決するうえでとても大事なことなのです。卒業試験はもちろん、合格ですよ」

前田は驚いてはっと顔を上げる。向かいあう西成の表情は優しく柔和だった。かつて復讐を企てた人間に対して向ける眼差しではない。むしろ、親心に溢れている視線とさえ思えた。

「……わたし、なんとなくわかった気がします。西成先生がおっしゃっていたこと」

前田が想いを吐露すると、西成は重く静かに答える。

「私も試験の意図に気づいてもらえて喜ばしいです。そうです、法のルールというものは、所詮人間が作り出した線引きに過ぎないのです。ほんとうに大事なことは人間を理解することです。前田さんは、人間とは意外と単純なものだと思いませんでしたか?」

半分は納得しながらも、残り半分は腑に落ちない。

「西成先生、先生は以前、人間の本質は深海よりも深いものだとおっしゃっていたじゃないですか。矛盾しています」

前田がささやかな反抗を企てると、西成は面白そうに笑い返す。

「ははっ、よく覚えていてくれましたね。ここまであなたが成長してくれれば、私は安心してあなたを手放せます」

その言葉に前田は喫驚し、言わずに我慢していたことがつい、口から飛び出した。

「手放すってどういうことですか。先生にはもう……時間が残されていないんじゃないですか」

前田は言葉にしてから、自分の目が潤んでいることに気づいた。けれども西成に動揺はない。むしろ銀縁眼鏡の奥の光はさらに爛々としている。

「なんてことを言うんですか、前田さん。それじゃあ、まるで私が死んでしまうみたいじゃないですか」

西成はとぼけた口調でそう言う。

「だって、西成先生は、その……重い病気を患っているのでは……」

前田は口ごもりながらも病気の気配を感じたことを打ち明かす。しかし西成の表情は前田の憂慮などどこ吹く風といったすまし顔だ。

「それはご心配おかけしてすみません。ちなみに私はまるで健康ですよ。これでもだいぶ気を遣っているものでね」

そう言って立ち上がると、両手で背広の裾を持ち、広げてくるりと一回転してみせた。長い脚が優雅に軌跡を描く。踊るような軽やかさは中年男性とは思えない振る舞いだ。

「どこか具合が悪そうに見えましたか?」

「いえ……ただ、以前、結構咳込んでいた時があったなぁ、って」

誤魔化しているかもしれない西成に向かって、前田はおそるおそる尋ねる。西成はにやりとして答えた。

「まぁ、誰だって咳込むことくらいありますよ。一昨年前、あなたのお母様がこの診療部門特別相談室を訪れた後にも咳込みましたしね」

そのひとことでやっと、前田はその演技が西成の作戦だったことを確信した。なぜなら西成は、前田がそう思い込んだきっかけとなった振る舞いを持ち出してきたのだから。

「先生……ッ! わたしは二年間、騙されてきたんですね!」

「いえいえ、勘違いしたのはあなたのほうですよ。咳込んだくらいで私が死ぬなんて、縁起でもないこと考えていたんですね。勘弁してください」

しかし、そう言う西成はしてやったりの顔である。腹の底から怒りが湧いてきた。

「じゃあ以前、西成先生は、時間が残されていないっておっしゃっていましたけれど、それは嘘ってことですか!」

「嘘ではありませんよ。あなたに比べたら、残りはずいぶん短いことでしょう。まだまだあると考えるほど私は楽観的ではないですし、学ばねばならない事は山のようにあります。それにあなたを育てる義務もあった」

「わたしを育てる、義務……?」

前田は思考をめぐらし、はっとなった。母が西成と関わりがあることを思い出したのだ。

――お母さんは西成先生にわたしの成長を託していたに違いない。

そう考えれば合点がいく。西成が死に直面しているという危機感が、司法試験を突破する原動力となったのだから。

西成はとぼけているが、尻を叩く作戦だったのだろうと前田は勘案した。

「それが私の作戦だとして、あなたは先入観でそう解釈したようですね。その作戦が功を奏したのは思惑通りですが、あなたの人を見る目はまだまだ甘いままですね」

前田は悔しさもさることながら、西成の未来を見据える慧眼に圧倒され、打ち震えた。

「西成先生、あなたはやっぱりひどい人間です。わたし、本気で心配していたんですから!」

そんな前田の心中を西成は笑い飛ばす。

「ははは、ひどい人間から教えを受けた人間が将来どんな弁護士になるのか、ぜひ見てみたいものですね。

というわけで前田さん、あなたはここに戻ってくる必要はありません」

「先生、それはわたしを首にするという意味ですか? わたしはそんなに役立たずでしたかっ!」

前田が盾突くと、西成は真顔を見せて眼鏡を持ち直した。

「いいですか前田さん、まずは司法修習を終えなさい。そして、もっと広い世界を見てきてください。

あなたはこれからたくさんの人間と出会い、さまざまな難問を突きつけられることでしょう。そして一人前の弁護士となれば、そんな難問にひとりで立ち向かい、解決してゆかなければなりません」

ひとりで解決する、という言葉の重さに、前田は背中がぞくりと冷たくなった。

――その重圧に、わたしは耐えてゆけるのだろうか?

けれども、やらねばならない。できるようにならなければならない。

この目前に佇む「西成仁」という男も、結局は同じ人間なのだ。生き物としての本質に、大きな違いなどあるはずもないのだ。

前田は口元をぎゅっと閉め、毅然と答える。

「わたしも西成先生と同じ、医療弁護士の道を歩むつもりです。あなたの下を去る以上、これからはあなたに情をかけてもらうわけにはいきません」

「そうですか。ならば、私とあなたはいつの日か、法廷で相まみえるのでしょうね。では、その時に、私を負かせてみせてください。それが私に対する、最大の恩返しと心得てください」

そう言う西成の眼光はいつにもまして鋭く、そして優しかった。

その幾度となく目にした表情に、前田は西成の屈強な意志を感じ取る。決意を固めて立ち上がり、深々と頭を垂れる。

「では、わたしはこれで退職させていただきます。ほんとうにお世話になりました。それでは、いつかまた法廷で――」

前田は多くを学んだ診療部門特別相談室を後にする。二度と、振り返ることはなかった。

西成はリノリウムの床に消えゆく足音を聞きながら目を細め、意味ありげな笑みを浮かべた。

「前田さん、美談しか知らないあなたがこの後どんな成長を見せるのか、私は楽しみで仕方ありません。

それではいずれ、その成長を法廷で確かめさせていただきましょう。

無論、敵としてですが――」

西成は愛用するレコードプレーヤーの前に立ち、この日のために準備したレコードを再生させる。

両脇のスピーカーからは、アントニン・ドヴォルザークの交響曲第九番、『新世界より』のメロディが溢れ出した。

時をともにした教え子が羽ばたく姿を心から讃えるかのように。

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