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社史の制作、第三のタイミング

オーラル・ヒストリーの適齢期が70代であることを考えると、戦後復興期の聞き取りは事実上難しく、高度経済成長期でさえ困難になりつつある状況です。そのため、戦後史、とくに高度経済成長期以降を研究しようとする人は、いまオーラル・ヒストリーに取り組まざるを得ません。

中村尚文 東京大学社会科学研究所教授が「オーラル・ヒストリー」
(岡崎哲二編『経済史・経営史入門』2022年 第11章)より

周年記念、経営者交代に続くタイミング

私が関わる中小企業の社史や創業者伝には発刊に共通のタイミングがある。

まずは周年記念事業のタイミング。創業30周年、50周年など記念事業の一環としての発刊だ。記念式典で配布することもある。

次いで経営者が代替わりするタイミング。経営者が交代するのを機会に、それまでの会社の歴史ををまとめておこうということだ。
退任する経営者が中心となって制作する場合もあれば、事業を継承した新社長が、先代の歴史を記録で残しておきたいという場合もある。

いくつかの会社の制作に関わっているうちに、見逃していけないタイミングがもうひとつあることに気がついた。
それは創業者や経営者、そして一緒に仕事をした人たちの年齢によるものだ。

気づいたきっかけは社史を発刊し、それほど時間が立たないあいだに創業者や経営者が亡くなられるということが、いくつかあったからだ。

社史の発刊が決まると創業者や経営者、一緒に働いた人たちに対して長い短いはあるものの平均すると1年間ほどかけておおよそ10回程度の取材を重ね、その裏づけや時代状況、業界状況を調べながら原稿の内容を固めていく。
そうしてできあがった原稿を過去の写真や作成した年表などの資料を使って編集を行い、印刷するのが社史制作の流れだ。

私が関わった社史の創業者や経営者は七十歳代後半から八十歳代の方が多く、例外なくお元気で、まさか発刊からそれほどたたない時期に亡くなるとは制作中には思いもよらなかった。

どの場合も、結果として関係者も私もこのタイミングで社史を発刊できてよかったという思いを共有した。

また社史の発刊が事情により数年間、後ろにずれて取材する予定だった方が病気を患い健康を損なったり、亡くなってしまったりといった想定外の事態が起きたこともある。
 
こうした経験から社史の発刊では年齢によるタイミングが重要だと思うようになっていった。

遺志を継いで制作を復活

私が携わったなかには発刊者である創業者・経営者が製作中に突然亡くなり、いったんは中止となりながら、遺された方々が遺志を継いで制作を復活させ発刊にこぎつけたものもある。そのなかから二つの例を紹介する。

はじめは創業65周年の記念として創業者の話をまとめて発刊したケース。

ある日、知り合いの会社の会長(当時88歳)から「当社は2年後に創業65周年を迎え、記念式典を予定しています。そのときに記念誌を発刊したいので協力をお願いします。ただし、いま資料を整理しています。もうしばらく待ってください」という電話をいただいた。

私は「よろしければ資料の整理のお手伝いもいたします」ということばが思い浮かんだが、ここはご本人の気持ちやペースを尊重した方がよいと判断し、連絡を待つことを伝えた。

連絡を待つこと半年、会長の訃報が届いた。持病が急に悪化し、亡くなった。突然の知らせで記念誌の話どころでなくなり自然消滅した。
 
ところが、それからさらに半年後、会長の夫人から電話がかかってきた。「会長の一周忌に間に合うように『創業者伝』を作りたい」との意向だった。
仕事は再開した。

制作の途中で夫人から、会長の最初の電話の頃、会長は夫人といっしょに65周年記念に向けて『創業者伝』を作ろうと話し合っていたことをうかがった。
その思いを受けて制作は進んだ。

発刊まで6ヶ月しかなかったなど、いくつかの克服すべき課題はあったが、さまざまな関係者の方たちの協力を得て、一周忌に『創業者伝』を間に合わせることができた。
できあがった『創業者伝』は、夫人の希望どおりに一周忌の式典で、お棺の中にを収められた。
 
いったんは断念せざるを得なかったこのケースは、会長が亡くなったあとに思いもかけない縁をつないで発刊にいたった。

二年間のブランクを超えて

次のケース。
60周年記念史の制作がスタートし、創業者である会長夫妻、社長や幹部への取材を予定どおり完了し、原稿執筆は約90パーセントとほぼ終えていた。並行して進めていたフォトグラファーによる事務所や工場内の写真の撮影も終わり、掲載する資料も決まっていた。

会長は完成をたいへん楽しみにしているという話が、私のところにも届いていた。

ところが発刊まであと二ヶ月という時点で突然、会長が亡くなった。享年88歳であった。
会長が社葬で見送られたあと、まもなく会長の夫人も病気で入院した。
『60周年記念誌』はそこで中止となった。

社長から「かかった費用を請求してください」との申し出がされた。 
私はその心づかいをありがたく思う一方で、完成間近の『60周年記念史』が、このまま終わってしまうのは勿体ないと感じた。中断した原稿や写真、資料など一式を段ボールに整理し、保管しておいた。
 
それから2年が経過したころ、会長に縁のあったひとりの人が積極的に動いて、中断していた『60周年記念史』を完成が決まった。

記念史はそれから約1年後に完成した。
社長や幹部は会長の墓前に完成を報告した。

中小企業も記録すべき歴史を持つ

1940年代後半の戦後復興期から1970年前半の高度経済成長の終焉まで多くの企業が創業された。現在、活動している中小企業はこの期間にさまざまな紆余曲折を経ながら礎を築き、飛躍した企業が多くある。
またこの期間以降に創業された企業、創業数十年の節目を迎えたり、二代目、三代目といった経営者を持つ企業も少なくない。

社史や創業者の話というと、中心は大企業や代々続く老舗のものというイメージがいまだ強い。しかし二代目、三代目を経営者を持つ中小企業にも歴史はあり、それを振り返り記録する意味は小さくない。

そのために残された時間は少ない。

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