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小説「ぼくと彼の夏休み」

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2020年4月の記事一覧

「ぼくと彼の夏休み(10)」

 朝。窓から入りこんでくる風が、レースの白いカーテンを揺らしている。その気配で目が覚めた。隣には祐人が、昨日のパーティーで着ていた服もそのままに眠っている。それがあんまり苦しそうで、ネクタイだけでもほどいてやろうと手を伸ばしたタイミングで、祐人も目を覚ました。
「おはよう……」
 お酒を飲んだわけでもないのに、ひどく疲れている。これは明らかに、踊り疲れだろう。普段使わない箇所の筋肉が、ずんやりと張

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「ぼくと彼の夏休み(9)」

 もう少ししたら夕食というタイミングで、階下から音楽が聞こえてきた。おじいちゃんがリビングルームで、レコードをかけているらしい。スウィングジャズのリズムがにぎやかに鳴り響いている。
 こういう日はだいたい、おじいちゃんがお酒を飲む日。食事をする部屋も、いつもの食堂からリビングルームに変わる。おじいちゃんがひと仕事終えた後は、たいていこういう晩餐会が開かれる。
 ぼくはシャワーを浴びて、白いシャツを

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「ぼくと彼の夏休み(8)」

 屋敷を出てから、とにかくひたすらに歩いた。進む方角も特に決めず、時には同じところを何度か歩いても、気持ちの赴くままに歩いた。歩きながら、考える。考えても、どうしようもないことがあるのは知っている。それでも、考える。そのうち、何かのヒントにたどり着くだろう。
 びっくりするのは、これだけ歩いてもおじいちゃんの敷地の終わりが一向に見えてこないこと。ジロさんたちの整備している庭が、どこまでも続いている

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「ぼくと彼の夏休み(7)」

 雨戸の隙間から、まばゆい光が入ってくる。それがぼくの顔を直接照らしたものだから、すっかり目が覚めてしまった。昨日までの雨風が嘘のような、台風一過の晴天である。
 昨日、隣で寝ていたはずの祐人は、ぼくが昼寝から起きた時にはもう居なくなっていた。いや、そもそも彼は、ぼくのベッドに居たのだろうか?ぼくが寝ぼけていただけではなかったか?
 夕飯はいつも通りみんなで食べたけど、さすがにその真相は聞けなかっ

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「ぼくと彼の夏休み(6)」

 隣の部屋で物音がする。祐人が浴室から戻ったのだろう。ぼくはベッドに寝転んで、ぼんやり考えごとをしていた。台風の音とは対称的に、ぼくの心はひどく沈黙している。
 本の世界に閉じこもり、他には何も必要ないと思っていた自分の中にも、生への渇望はちゃんとあったのだ。祐人の部屋を見た時、ぼくはそれに気がついた。望むものなど何もないなんて、嘘っぱちだ。ぼくは何もかもを欲しがっている。
 その事実は、少なから

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「ぼくと彼の夏休み(5)」

 雷が鳴っている。さっきまで遠い所でとどろいていたのに、あっという間に近くなった。光と音の間隔が短い。ぼくは怖くなって、窓のそばから後ずさった。今年最初の台風が上陸するらしい。
 今日は平日だけど、祐人も午後から室内待機らしい。とは言え、朝いちばんに屋外でやるべきことは全部やったそうだ。庭師は、やらなければならない仕事が数えきれないほどあるらしい。自然を相手にしているのだから、そんなことは覚悟の上

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「ぼくと彼の夏休み(4)」

 昨夜、話し疲れてぐっすり眠ったからか、今朝は早い時間にすっきりと目が覚めた。同じ屋敷に祐人が暮らしているとなると、おちおちパジャマでは出歩けない。すぐに着替えて部屋を出る。
 そしたら、同じタイミングで祐人も顔をのぞかせた。何と、彼の部屋はすぐ隣ではないか。来てこの方、隣の部屋からは物音ひとつしなかった。或いは、ぼくが鈍感なだけなんだろうか?
 どちらからともなく「おはよう」を言う。ふたりとも、

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「ぼくと彼の夏休み(3)」

 夕飯が終わったら、自分の部屋に戻る。おじいちゃんの屋敷に滞在する際は、毎年決まった客室があてがわれる。
 この屋敷には客室が10室もあり、おじいちゃんが1人で暮らすにはやはり広い。広すぎる。
 昔は、おじいちゃんの友人や海外の取引相手がしょっちゅう遊びに来ていたらしい。しかし、現役を退いてからはそういった機会もすっかり減ってしまった。
 大変なのは、お手伝いのトウコさんだ。食事を作る以外に、掃除

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「ぼくと彼の夏休み(2)」

 昨夜はなかなか寝つけなかったので、朝起きるのがすっかり遅くなってしまった。パジャマ姿のまま食堂に行くと、トウコさんが朝食の準備をしてくれる。サラダとトーストと目玉焼きとウィンナーとミルクと。シンプルだけど、トウコさんの作る食事はいつも美味しい。
 祐人のことが気になって、トウコさんに訊ねてみる。
「祐人はどんな子?」
「うーん、掴みどころのない子だわね。あまり生い立ちとかも話さないし。でも、ジロ

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「ぼくと彼の夏休み(1)」

 真っ赤なスポーツカーが、山道を滑っていく。その光沢を帯びた色は、この場所にひどく不釣り合いだ。木漏れ日が車窓に落ちるたび、それを想像しては目をしばたかせている。
「車の中でくらい、読書をやめたら?」
 母親がぼくを運転席からたしなめる。こういう時ばかり、母親面しないでほしい。ぼくは無言で応える。
「………」
「どうせ、おじいちゃんのところでも本しか読んでないんでしょ?」
夏のあいだ中、家を空ける

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