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唯識に学ぶ

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唯識について学んだことをまとめています。
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2021年10月の記事一覧

<心>の深さー八識(唯識に学ぶ005)

<心>の深さー八識(唯識に学ぶ005)

「心」は「識」という字でも表わすことができ、八つの識にわけられます。(九識もあるがここでは触れない)

八つの識とは、眼識(一識)、耳識(二識)、鼻識(三識)、舌識(四識)、身識(五識)、意識(六識)、末那識(七識)、阿頼耶識(八識)です。

六識の意識は、一から五の識によって認識されたものを統括判断したり、独自に追憶や想像をする働きなどを含めて、いわゆる知・情・意の総てをいう。(中略)ふつう<心

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いまの心は過去と未来の総体(唯識に学ぶ004)

いまの心は過去と未来の総体(唯識に学ぶ004)

過去、現在、未来が「今」に集約されます。記憶から消えていても、思ったことや過去の行いの全てが残っていて、今の自分をつくります。そして、今思っていることやこれからの行いが未来の自分をつくります。

自分の都合の悪いことや自分の過去をなかったことにしようとしても、なかったことになりません。心にはちゃんと刻まれます。今の自分は過去と未来の自分でつくっています。今の自分を過大評価することなく、過小評価する

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心は身と別ではない(唯識に学ぶ003)

心は身と別ではない(唯識に学ぶ003)

<心>というものが、私の身体のどこかに、別にあるように考えられるかもしれないが、そんなものはない。<心>と<身>とは一体不可分である。 <身>をはなれて<心>はないし、<心>と別に<身>が呼吸をしているのではない。私は生きている。生きているということは、<心>と<身>との渾然とした一体の人格として、いま、ここに、生きているのである。最も具体的な私の生は、<心>と<身>との統一体として、いずれを<心

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仏教は心さわやかに生きる宗教(唯識に学ぶ002)

仏教は心さわやかに生きる宗教(唯識に学ぶ002)

仏教は、心さわやかに生きる宗教である。という表現が素敵な表現ですね。

捉われない生き方といいかえることもできるでしょうか。今、やるべきことを淡々と果たしていく。

想像すると、カッコイイなぁと思いますが、実践となるとなかなかうまくいかないものです。捉われを無くそうと思えば思うほど、さらに捉われてしまいます。

捉われるのは仕方がないこと。だから、捉われないようにするのではなく、捉われても後にひか

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心とは何かを考える(唯識に学ぶ001)

心とは何かを考える(唯識に学ぶ001)

心って、何だろう。
誰にでもあるけど、目には見えないもの。

これが心だ!というものはなく、
ころころと変わって、捉えどころがない。

自分自身の心だって、よくわからないもの。

心っていったい何なのでしょう。
よく知っているようで知らない心のこと。

その心を解き明かす鍵として、
唯識という仏教の教えがあります。

《〈梵〉vijñapti-mātratāの訳》仏語。一切の対象は心の本体である識

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