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言葉の暴力が教育だと思うのなら、それが負のスパイラルへ広がって生きづらさを感じやすくなる

前回の投稿から

ここで色々と書きました。
そこでついてに記事も載せましたが、長文の最後でしたので、今回はこちらの記事を引用して

そこから

書きます。


なお、先週に色々と言われていたこともあったので合わせて載せておきます。


徹底的に書く


その投稿の最後に書きました。

徹底的に書くと精神的にもうやられているのに、さらにやられるとあれなので。
(前々からの投稿から色々と書いているので、徹底的にそこで書いてます)


ある記事を見つけて

≪ここからは前に書いたことをそっくりそのまま引用含めてこちらでも載せます。なお、私は教師でもありませんし言葉のプロでもありません≫

前回の投稿で書いていたこと

この記事が出たのは、10年以上前

私が学生時代の頃に出ていたらしいです。

教員は子どもたちを厳しく管理し、教員自らもますます厳しく管理されることになりそうです。そのため、子どもに対する厳しい叱責やきつい言葉などが増えることも懸念されます

 2007年1月24日に発表された教育再生会議の第一次報告では、「社会総がかりで教育再生を」というタイトルで、当面の取組として、7つの提言と、これに関わる4つの緊急対応が盛り込まれています。その提言の第1に「ゆとり教育の見直し、学力の向上」をあげ、「塾に頼らなくても学力がつく」をスローガンに、基礎学力強化プログラムとして授業時間の10%増などが記載されています。

この教育再生会議の報告に対して、「かつての詰め込み教育の弊害がまったく考慮されていない」「学校教育の塾化によって、子どもの個性や豊かな発想力、創造性がますます育たなくなっていく」「個々の子どもの置かれた状況や内面に応じた生活指導がしにくくなり、型にはまった画一的発言や対処しかできなくなる」「教育技術が、学力テストの点を取らせるハウツウ、子どもたちに問題を起こさせない管理技術という面だけになってしまう」という指摘もあり、学校が子どもたちに成績を上げることや規範遵守を厳しく求めることから、子どもたちに対する教員の発言が、これまで以上に一方的できついものとなり、子どもの心を傷つける不適切な発言や暴言、叱責が増えるのではないかという懸念もあるようです。


一部引用して載せておきます。

ゆとり世代について
過去については前にも書いています。
(何度もリンク先貼っても、意味ないと思われているのであれば載せません)

なお、ようやく話せても

怒れられなれてない
怒号・𠮟責するのは当たり前だ

褒めるよりも否定になれろ

小学校でも受けてきた

それすらも否定されてきた


否定いうことが当たり前だ

言ってきた

これで後悔ばかりした


この記事がでたのは学生時代のころ


そして今、令和


教職員が多忙なのは今と変わっていないかと思います。
余裕がないから 生徒が都合よく動かないし聞かないから

それで育てられてきたからと思いの方もいる。

でも

それを受けてきた
それでしか受けてこなかった

その指導方針によって

また、加害者優先な風潮や格差やできない奴を徹底的に(ここからは自粛ワードを書く可能性があるので控えます)

周りが敵だらけと思ってしまうと
相談なしで一人で戦う
否定等言われ続けてきたら

場合によっては

自殺のトリガーを大人になって引くことも

そして

取り返しのつかないことも起きる
最悪の場合もある

注意喚起はあった

今の令和になって

それが隠されてきた。
それで許された

馬鹿者
できないのかの怒号
管理しずらいから徹底的に攻撃される
人と違うから なら省くこれも正解
いじめられるのは悪いといいながらもそっちだってしている
けど、仕方がないし教育の一環と言えば正解と思われる

連帯責任や責任放棄
押しつけて、カテゴリーを勝手に作ったり

成長よりも
迷惑かけないように
するのが当たり前

とここまで前の投稿で書きました。

ここからは少し改めて読んでからの続きです。

言葉の暴力は、身体的暴力よりも大きな痛みを与えることがある

 教員が「生徒を思いやっての激励」あるいは「子どもの将来を考えての叱咤」のつもりで、よかれと思って発した言葉であっても、その言葉が「きつい言葉」や「強い言葉」だと、浴びせられた子どものほうは自分の人格や存在、可能性を否定されたと受け取り、「自分はいないほうがよいと思われている」「理解されていない」「自分はだめな人間だと思われている」などと思い込んでしまうことが多くあるようです。

 言葉の暴力は、身体的な暴力に比べて見逃されやすい傾向があり、暴力を加える(暴言を発する)側も加害者意識をあまり感じないところがあります。言葉の暴力は、場合によっては身体的な暴力よりも大きな痛みを被害者に与えることがあります。心配されるのは、それが大きな心の傷となって、その後の子どもの人格形成に悪影響を及ぼしてしまうことです。

 教員は毎日、子どもたちの前でさまざまな言葉を発しています。感じやすい子どもたちは、教員の一言一言に反応して、喜んだり悲しんだりします。しかし、教員は慣れで、自分の言葉のひとつ一つが子どもたちの心に大きな影響を与えているという意識が薄れがちになり、ときには不用意に言ってはいけない言葉(暴言)を遣ってしまうということもあるようです。
 教員自身が、自分が発する言葉の重みや影響の大きさを知って、子どもに対する言葉遣いを、教育の中のコミュニケーション技術として身につける必要があるでしょう。

言葉の暴力ーの段落全文から


太字にした部分

その通りだなと思いつつも

これ、私が学生の頃に危惧していたこと

そして、今の令和までに

言葉の暴力による

暴言による指導で不登校 最悪自殺まで陥ることが

報道されています。

あと、私が以前書いた投稿でも色々と触れてはいます。

過度な怒号
必要以上の𠮟責
そして否定

褒めるよりも徹底的に怒り、怒鳴る

追い詰められた、周りがいる前で強い𠮟責をした。それも日常的に。それと周りがいる前で𠮟られて、怒られているのを聞いてこっちも𠮟られている感情も。

なお、嫌な言葉というのはこちらだそうです。

(1)「バカ」「お前はだめだ」「やっても無駄だ」「死んだほうがいい」など人格や能力を否定する言葉
(2)「のろま」「デブ」「やせ」など子どもの動作や身体的な面を否定する言葉
(3)「親がしっかりしていない」「家庭のしつけがなっていない」「お姉ちゃん(お兄ちゃん)と同じで、できが悪い」など親・兄弟など家族や家庭を否定する言葉
(4)「○○と比べて、お前は……」など、他の生徒と比較する言葉
(5)「へえ、あなたにしては上出来だね」など皮肉やからかいの言葉

教員に言われた嫌な言葉

(1)「バカ」「クズ」「役立たず」「わがまま」「ひねくれ者」など人格、性格を否定する言葉
(2)「無理だ」「やめろ」「能なし」「知恵が足りない」など能力や可能性を否定する言葉
(3)「あなたにやってもらわなくてもいい」「お前の話を聞く必要はない」など善意を否定する言葉
(4)「お前のことなんか知らない」「もう子どもと思わない」「あなたにお金をかけたくない」など冷淡な言葉
(5)「出て行け」「顔も見たくない」「死んでしまえ」など怒りにまかせた感情的な言葉
(6)「みっともない」「恥さらし」「親のことも考えろ」など世間体を気にした言葉
(7)「お前のために我慢している」「親は苦労しているのに」など恩着せがましい言葉
(8)「妹(弟)に比べてだめだ」「できそこない」など姉妹(兄弟)と比較して劣等感を感じさせる言葉
(9)「お前は捨てられていた子だった」など家族・親子としての存在を否定する言葉

親から言われた嫌な言葉

学校生活に限ったことではないです。
職場含めて社会でも通じる部分はあるかと思います。

人に教える際に通じる部分はあると思います。

その悪いスパイラルが次の世代へ そしてより酷い指導で、心を傷つける不適切な発言や暴言、叱責が増えて、それが教育になっていく。

連帯責任で
一人のミスはみんなのミス

みんなのミスは一人のミス

そして
勉強できないやつは

人生失敗する

短所を直せ
長所よりも短所を直して完璧な人間になる
勉強も 学校生活でも

先生方と共にではなく

生徒達でどうにかしろ

生徒ができないから
やらないから

先生方も忙しいから
思い通りにできない・やらないから
生徒が言ったから そう言わさせる空気を作っても

そうして、言葉の暴力での指導が当たり前のようになっていく


完璧な人になって

それを当たり前のようになって


そういうのが社会だと

その社会で戦える力になるために

小学校では、中学は教えてくれないから
中学では、高校で中退や進級できないしいじめられるから
高校以降は・・・
そして大人の社会は・・・・


小学・中学で受けてきたことが
今でも脳裏に残っている。

相談しても理解できない
そうしたことに苦しんでいる
でも、それが当たり前だからと聞き入れてくれない


そもそも

怒られたことを生涯覚えていく
褒められたことは忘れろ。たまたまできたから

他人に怒られたこと 𠮟責したこと
これを自分事にすべて受け止めろ

これで社会でも通じるから

これは先生方に褒められた
いや、その通りだと思われていました。



本当に間違っていました。

指導されないように
怒られないように
それで
他人に怒鳴るように
命令形に言うことが正解と

それも間違い


結果


私は自己嫌悪
自己否定
自己肯定感を捨てる

褒めること
喜び・楽しみを捨てることが正解であり、それが社会へ生き残るための手段だ。


そういう人には
高圧的な人
攻撃的な口調等々

引き寄せてしまうように



言葉の暴力で人間形成されてしまった。でも、理解すらされないのも事実であり、今更学んで学校等でなにを学んだか後悔しても、それでも否定はされる。あなたのために言っていると

そうした言葉の暴力で

それが学校生活やそれからも
支援でも 相談でも

嫌な言葉を受け続けて

大人になりました。

コロナ禍以降、そうした嫌な言葉が溢れて過ぎている

いや、隠されてきたようなことが起きていることもある。


言葉の暴力

それで指導にある
それが教育であるのであれば

それによって苦しんで

そこから

自殺 そして昨今のようなこともあり得なくもない状況になる。


と思います。


ここまで長文で申し訳ございません。


この記事では嬉しい言葉のことも触れていました。
ここでは触れません。長くなるので

そうした取り組みも書かれていましたし、教員自身のコミュニケーション向上とも触れてはいました。

でも、今の学校では
そして、ご家庭や職場も

そういう余裕がないから
そういう人達よりも嫌な言葉で溢れて、それが当たり前の風潮になってしまった。

管理だ 否定だ 圧力だ 理不尽だ
真面目だから人任せにしよう 責任負いたくないから押しつけて、知らないフリする。
こっちも大変だから 迷惑かけるなと言われる姿勢

お金が増えたらとかではないかもしれない。もし増えてもあまり変わりはないのかもしれない。
そういうのがもう当たり前な風潮になっている。


命を捨てる

と書けば、心配させてしまう(そうでもないか)けど

その覚悟で投稿します。


10年以上前のことが
たがの教育関連の記事(コラム)ですが

今の社会全体に通じる

問題の糸でもあるのかなと読んでいて思いました。

それを危惧されたことが、現実になってしまった。かもしれません。


変な文章で申し訳ありません。
こういう長文でも意味はない なにいってんだこいつ
お前みたいな奴が生きているとかで徹底的に攻撃されるんだな。

こうすればとかはあえて書きません。
(それも引用しても・・・今に通じるかは不透明です)

一個人の意見として

一個人の声として


書きました。

そうした投稿しか書けないなら

もう決断しないといけないですね。


余談です

そういう思い込みというのであれば、

いい方の思い込みをできるような考え方を教えてくれてもいいけどな。

一人で戦うこと

ミス=許せない

否定・攻撃的口調

それらを受け続けると

それしかやれなくなると思います。

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