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個人的な過去のことからのしくじりと反省・後悔(第2章)

第1章で書いたこと

ここで触れた連帯責任について書いていきます。
(以前こちらでも書いたのですが、改めて。はてなブログでは触れてません)


経験した連帯責任のこと

こっからは経験したことです。
(過去のことを書いたことと内容が似ているかと思います)

1人が悪ければみんなが悪い。一人のミスはみんなのミス。
全員が責任を負う。一人の責任はみんなの責任。
一つのことにみんなで向かう姿勢が重要。失敗は常に許されない。

そう、小学生から今になって思いました。

 小学4年生から連帯責任が強く、より一層強く感じたのが高学年から中学卒業まで。(高校はさほどでした。が最初の就職先では小学以来の強い連帯責任感が出ていたような気も)
担任が変わったあたりからでした。それが3年間も(さらにもう中学3年間も似たような感じ)
 小学生から連帯責任ってと思うかと思いますが、当時はそう当たり前の感じのように思いましたがどうでしょうか?

主な連帯責任になることは・・・

教科書等忘れたらその場で𠮟る。場合によっては先生が授業をボイコットして黒板を強く叩く。

些細なミスがあったらその場で𠮟る。もしくはその場で立たせる。失敗を許されない社会だからここで失敗するな。

忘れた・やってこない=できてないからみんなで出来るまでやる。用事があっても出来るまでこっち優先。遅刻したらできない人が悪い。

みんなが悪いから。数人頑張っても無駄。全員が完璧主義でいないといけない。

一人が悪かったらみんなが悪い。弱点を無くすためには怒鳴り散らして無くすようにする。いつ社会に出てもいいように。

・この人はできない。やらない。とみんなで見せて失敗をさせない。ルールを守らせるような感じ

他には機嫌によるというのもあったかな・・・それだけで結構なことを経験してきました。先ほどまではスポーツによる団体競技の話ですが、こちらは学校(というよりかは団体生活かな)での話です。
 これらも小学生から経験してきたことです。(補足しますが、ゆとり教育時代の話です 個人的にはゆとり教育の・まあそのことはあとで)

そのおかげで
相手からも睨まれることもあれば、お前が悪いとかの言い合いもしばしば。責任あるのが嫌だから押し付けもしばしば。
ある時にはお前が頑張っているけどみんなが響かないからできないとか言われていたような・・・その後のことはお察しください

今のような風潮もこうしたことからでてきているのかなと。

ちなみに朝一に正座して𠮟られることもあれば、全校生徒の前で𠮟る(例え小学1,2年生でも関係ない。見た記憶だと、生徒の前ではないのですがうるさい低学年には幼稚園に戻すぞと言っていたのを見てました それ言ったの担任だったとあるいは先ほども書いたボイコットや忘れ物を取りに家まで行かせることも。ところによっては部活廃部案もありました。(そしてそれによく遭遇しました)

そうしたことの積み重ねで

そうした事が積み重ねてトラウマの一つとなり、消えることもありません。

未だ、脳裏に思い出すこともしばしばあります。
(第1章で書いた自傷行為もそのうちの一つです)

𠮟られ慣れてない?逃げたから?

違う

𠮟られ続けて 逃げてもないのに逃げられない状況下 責任のなすりつけ合いに巻き込まれ、渋々引き受けて一人で戦う。ミスも恐れない環境ではなく、ミスすらも許されない環境でやる。

それも義務教育で沢山経験してきました。
(そのおかげで真面目に周りを反面教師としてやってきた。でもそれ以上に・・・)


ルール違反やよくないことを指導したり注意することは当然です。でも、それは個人で対面してやることがいいのではないでしょうか。

同時にみんなで高め合う姿勢としての連帯責任は果たしてどうか。

トラウマとして今でも脳裏に残ることもある。必要以上に𠮟り、失敗を恐れないような環境よりも失敗を許されない姿勢を作れば、社会に出ていけないこともあり得ることも。


そもそも、ゆとり教育と言われているけど、私にとってスパルタ教育でもがき苦しんだ。

それが今、誰か悪い。一人の責任がみんなの責任などで言われていることでこの連帯責任を取り上げました。


ちなみにその担任だった先生はかなり偉くなっており、いい先生でしたよと外部の方からお話を受けました。

色んな経験に関してはそうですが。

個人的には

と、以前書いたことです。(一部付け加えたりしております)

ここからはnoteのみで書いていきます。

連帯責任については、最近とある大学スポーツ部で色々と言われております。

確かに問題になった人を注意することや指導することは大事です。

しかし、関係ない人でも
見て見ぬふりしただろという価値観・偏見で指導をした。
その人にもチャンスをと思われたり、あなたが悪いと言われたりも


真面目にやっているのにというと
こっちには関係ない。
迷惑をかけたんだぞ!という連帯責任をして二度とさせないようにする。
それを、加害者側・間違った人よりもまじめに取り組んでいた人を叱る。怒鳴る。
そうやって指導・教育を
(あるいは、都合が悪いことをして。汚点を残した責任をとか一部の保身に影響してはいけない。ということで隠すことや押し付けてなかったことにして、何も関係ない人を犯人扱いにすることも)

連帯責任をして

一人のミスはみんなのミス

しかし、こうもできる。
みんなのミスは一人のミス

としたらどうなるか。

押し付けたり
責任を負いたくないから
リーダーになっても一人で抱え込むことは当たり前

チームプレーではなく
押し付けて、ほかの人は楽をしようとする。
そして否定される。
連帯責任になる。

大人になっても変わらない。

共同で作業よりも
負担の軽いことをして、残りや大半を押し付ける。
頑張っているね。そのおかしな価値観で押し付けて頑張っていない人を褒めて、まじめにやっているのにそれはあなたの取柄でしょ。そうしないとあなたの居場所を無くすから
ということを大人になってもあったくらいに。

協力・支え合い・助け合い

私にはそれがなかった。
経験はあまりなかった。

大人に(先生含む)に怒られるから
周りに迷惑かけるから

一人で抱えていく方がみんなのためになる。

けど

ミス・完璧主義な環境下で成果ができなかった責任

それはさせるな!と陰口で言われたり
耐えられないあなたが悪い
理不尽にされても なんで話さなかったの?こっちが迷惑なんだけど
と言われたり


高いレベルを
その当時求めて
その成果はこっちにくるのではなく
先生方 大人達の実績と誇りにつながる

それに汚点でもしたら・・・・
怒られるから
上の立場から𠮟られるから
実績に影響するから

それを小学から
知らず知らずのうちに叩き込んで
今になって繋がっている。

連帯責任での怒号
理不尽での怒号・𠮟責

もし、障害なら特別支援学級か学校への転入して周りの迷惑を避ける
もしくは一人で戦えという覚悟で過ごせなんて思われているのかな。

自分の責任なのか
それとも
周りからしたら、私は世の中の失敗作なのか


そうしたこと。そして中学ではこうはいかないことが
それは次章で

12/20 追記

また、このシリーズを通じての投稿をまとめたマガジンはこちらです

合わせてご覧いただければ幸いです。

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