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個人的な過去のことからのしくじりと反省・後悔(第13章)

前の章はこちら

最後に触れた部活動の件。このことについて今回書いていきます。

スポーツを応援するところから帰宅部と書かれること事態珍しいけど、少し寂しいとこれからどうなるのか。と、これを書いた人は思っていたのかなと思っています。

Twitterで書いたことはこちらです。(現在TwitterではなくX)


部活動について思う事

 小学から中学まで、これに悩まされました
 小学は部活の選択肢も少ない上に、担任が力を入れている部活にほぼ強制的な雰囲気
中学は入らないと進学に大きく影響する 帰宅部は悪だ 将来ダメ人間になる とか
 先生方からの圧力や記事のようなことは当たり前のように
部活以外で活動も快く思ってない事

入った先で部活の存続に関わる問題に巻き込まることもありました

連帯責任や責任のなすりつけ合いもこれで一生部活に入らないと誓いました


部活はいいメリットもあります。

やりたいという自分からの気持ち 強制や忖度ではなく自分からという意志ではないかな


小中学生の時は部活をしておりました。


そして高校生は帰宅部でした。 

高校の時は部活数は少なく、生徒の大半は帰宅部でした。

(クラブ等があるから帰宅部はその当時はなかったかな)
それでも別にいいよという感じでしたので、助けられました。


小・中学生は・・・絶対にやれという感じでした。 


 小学生はスポ少でもよかったらしいのですがよほどのことがない限り必ずな感じでした。(帰宅部はいたのですが、私たちの学年は部活の終わるくらいの時間まで学校にいることもありました。信じられないと思いますが)


願わくば担任の部活に入部させること
担任の生徒全員同じ部活をさせたい。(あるいは経験させたい)
兼任でもいいからとか。 

今思うと、担任の自己満足でしょうか。(ちなみに、今はわかりません。担任は異動になり特別、強制ではなくなったかもしれません)

中学生は・・・・(小学と思うところは同じになるかと思います)

部活は教育的にいいものだから全員に加入させよう』と教師が思い込んでいるのは、教師自身が体験した素晴らしい学校生活をあじわわせてやりたいというお節介。教師が部活をやりたがっているのではと指摘すると、『いや、子どもがやりたがっているんですよ』と返されます。ただ、それを言うなら『子どもが休みたがっています』『子どもがやめたがっています』とも返すことができます

補足ですが、特定の部活に集中して先生から怒られたこともありました。

ついでに土日祝休みの部活は、部活で忙しいという言い訳にして、頼み事は押し付けることが当たり前な風潮でした。(そして文句を言うことも)

単純な話、帰宅部? 

入試に響くから絶対にやめろ。
人生損するし引きこもりになるから。
とか先生方は思っていたか。
(部活入っていても引きこもりになるリスクはあります。一応書いておきます) 

生徒の意見は、全生徒が高校進学できるくらいの頭がないなら聞くことはない

大人を甘く見るな。
先生の立場を重んじ、大人しく言うことを聞いてなさい。
な感じでした。 

保護者からのクレームは私たちはなく、むしろ先生にお任せという感じでした。

今ではある外部からのコーチは言語道断。
お金がかかるし他の先生がいるから別にいいという感じ
でした。

(私たちの頃にもいましたが、他のクラブチームもある生徒も当然兼任させる雰囲気でした。無理やりやらせるのが当たり前でした。部活ではなく、他のクラブチームに入ること事態あまり思わしくないと先生方は感じていたかいなかったか

部活のやる気か・・・周りはなかったのかな。恐らく

中学は特に。
なんとなくやっていますよという風に出して、みんなと仲良く輪を乱さないようにやる感じでした。(今思うとですが)

苦しい練習を共有することで得られる仲間との連帯感、そんな仲間と試合を勝ち抜いた喜び。

なお、これには反発。(苦しい練習は嫌だ。楽して勝ちたい。みんなとワイワイ話したい。それが大きな問題にもなりました)


先生方はこうです(先ほどに書いたこともありますが)

文武両道することがすばらしい。

部活に入るのはいいことだ


生徒の意志なんて、先生方は聞かない。

中学なら3年間やることを前提として接するので。


病気やけがは仕方がない。
けど別の部活なら大丈夫だろと意地でも帰宅部にはさせません。


あなたは試されているのです。

人間関係で部活を辞めたい。
色々とついていけないから辞めたい
そういえば先生方はこう答えます。

大馬鹿者。
なんのために部活入ったんだ。

高校進学は難しくなるぞ。

将来大変なことになるぞ。

犯罪者になりたいかと それに近い言葉も言われました。

さらに言い方はあれですが、こうも言われました。

あなたを試しているんだよ。

どこまでやれるか。
みんなが思っているんだよ。
みんなが見ているんだよ(と勝手な価値観で言われた)
どこまでやれるか試しているんだよ。

 ある部活を辞める時に言われました。(その部活の顧問ではありません)

自分の意志は通用しない。
言ってはいませんが、そう言ってもいいくらい言われました。

自分の意志は捨てろ
それが社会だ
それが当たり前だ

 小学生の時は部活ではありませんが、周りがやらないからこうなっているんだろ。と失敗した私を見せ物に連帯責任で𠮟られ、これでもできない、試されて失敗したんだぞと。普通じゃない それではダメだ。
 個性や自分の意志というものは先生方にとっては 学校にとっては必要性を感じない のかな。これ以上は控えます。
(より詳しくとまでは言えるかはあれですが、こちらに色々と書いています。)なお、試されているんだよ。

 これは雰囲気でも感じることもあり、大人になっても言われました。ある支援先でもそれらしきことを言われました。
(ある所では誹謗中傷や暴言等のことを告白しても我慢が足りないと言われました)

試されても成功しても裏切られ。
信じていても裏切られ。
孤独に戦うのはもう慣れました。
周りが敵だらけ。
そう思えるようになったのも部活をやってからもあります。
(ほぼ、学校生活全部ですが)

部活。
それは強制にやらなければならないと書いたけど、色々とあって正直に言うと・・・・ 



強制にしたところで、自分の意志ではない。

好きでやるならいいのですが、強制力が生まれると、嫌いになることも否定できません。 

 それ以上に元々好きにやっていたことが強制力ある部活(部活があればいいのですがない場合の事を書いています)で仕方がなく辞めなければいけない。

それが後悔することも・・・ 中学はな。とか高校はな。

単純に言うと文武両道が当たり前。

その学校にある部活でいることが当たり前でクラブ活動は学内以外は言語道断。帰宅部なんてはもってのほか。

中学校はそれで大分苦労しました。(そのことの一部は過去の投稿でお探し下さい) 

 中学校で勉強や部活で相当嫌な記憶しか残っておらず、高校でそこそこどうにかやり、中学校へ一応訪問(事情があってです)

さすが文武両道をやってきただけある。
と言われたような言われてないような。

 部活、高校ではやっておりません。勉強、一人でやってきました。
(学校との相性がよかったところもあります)

反骨精神でやってきた。


中学からの逆襲と反骨精神でやっているんだぞと

心の中で言いました。

でも、無理ばかりすると後々精神状態が悪くなりましたが。
(結果、小中高全て無理ばかりして、今に至るまでになりました。トラウマのデパート状態に)

話を戻します。 

部活もそうですが、学校の授業でもスポーツをやることがあります。

経験させることはいいことですが、あるnoteで言いたいことがあったので載せます。

スポーツを嫌いにさせる人を増やしているのではとすら思える体育の授業、中学以降は競争するスポーツしか楽しむ場がないこと、高圧的な物言いをする指導者など、日本のスポーツを取り巻く環境やシステムの問題も浮き彫りになりました。

 中学は1年生で強く感じることが多かったです。(小中高全てですが)

いわば、それすらもできないの?
情けない。
何のための小学校に行ったの?

完璧主義な状態です。

出来ない人を差別させるような感じは、スポーツだけじゃなく学問でも同じです。

 まあ、ここでは脱線するので省きますが過去の投稿から読んでもらえればある程度分かります。

 これがいじめの助長することもあり得るし、場合によっては連帯責任もあるような学校生活になります。

単純な話。
今のような環境に近い状況でいかに戦っていくか。それを小中学校から叩き込む。なんでしょうかね。 逃げる場も私が小中学生の頃はないようなものです。

トラウマを植え付ける覚悟で、将来なんて考えられない中で、今をどう戦うか。そんなことばかり考えていました。

今の学校はどうなのかはわかりません。

自分の意志よりも他人の成功体験を推し通す。逆らったら怒られる。将来はないという偏見にも

やらないといけない

やらないと将来はダメ人間になる

やらないと仲間外れになる

縛りと強制

そして大人達による成功体験の押しつけと昔の価値観で育てられた。

だからやらないとダメな人間になるぞ

部活こそ青春の醍醐味であり、これからの人間関係を作るきっかけになる。


けど

部活に学校生活にいい記憶はありません。


部活に関しては

関わっていて問題が起きる

関係ないのに問題が起きるということもありました。

ふざけていて、こっちが注意しても

反論される バカなのに言う資格あるの?

そして部活廃止寸前になっても

言い合いになっても

アナタが悪いと押しつけて

悪い人と思われて

仕方がないよ 等々


まあ、人権そのものがない と言われても仕方がないこともあったのかな。


ゴミそのもの

まじめだから何おしつけてもいい。

責任転換させるのに都合のいい


なんて、思われていたのかな

部活に限った話ではない

学校全体やその後も含めても


(でも、部活動でいい方向へ向かっている人もいれば、部活が学校生活に欠かせないと言う人もいます。それに負担があるのであれば、地域化したとしても押しつけという行為で責任転換させて、後は知らないフリなんて起き・・・なんてないと思っています)


余談(経験してきた。だからという成功論の押しつけ)

相手が嫌な思いをするならやらない。
そう教えられた。

けど実際は
ありがたい経験と思え これも経験だ これが現実
昔はこうだった
だから若者は頼りないし、情けない人間に生まれる
障害者も生まれるんだと差別する

(その時点で多様性を受け入れないよということでしょうね)
そして
嫌な思いではない こういう経験がないからダメな奴が生まれる。

嫌な思いってなんだろか
個人差もあるけど 言ったらどうなるか
すらも昔話のままなのか

いじめ 体罰に誹謗中傷 怒号に理不尽
耐えに耐えること
必要以上に耐えるとどうなるか
心が破壊されるぞ
生死をかけないといけないのか
死んだら称賛されるような世の中なのか

心が弱い人 弱者 障害を持っている人が死んだら
忘れていく 生きづらさを抱えても
その要因すらも隠して 隠蔽してなかったことに
美化されて違う意味でとらえてしまう。

以前にnoteで書いたこと

言われたら嫌だことはしない 言わない
でも
そうやって教えられた。
それがあって今がある。


そういう教えること
教える立場からの
安易な押し付けと思い込み(大人達の幻想)
部活の強制だけではなく、学校全体にも通じる。
(このことはまた別に書きます。また部活に関してはこちらです)

いくら別の言い方とか指摘しても
じゃあ 指導にはならないと思われる。

そして
こういう高圧的なことが素晴らしい.。上の立場を示すこともできる。
強制力という権力主義で実績を残したいという焦りと気合いで押し付ける。
大人になればわかると

いい人間にしようとする教育者だと
いう方々もいる

でも
生徒からしたら・・・はここでは控えます。
(悪いことを指摘・注意ならわかりますが、悪いことが今では曖昧な学校という閉鎖空間ですから・・・)

生徒と教師
その戦いなんては当たり前
価値観の違い 食違いもあります。
それらが当時にとっては当たり前でした。
違うと言いたい。けど言えない その忖度も学校で教えられました。
何も言わなくってもわかるよねという空気に
同調圧力なんて当たり前のように


いい先生すらも分からない。

だからこそ
尊敬できる人に
教師 同級生 先輩なんて

いない


反面教師な人が多い
多く出会ってきた。


周りの生徒 クラスメイトには


本当に
ごめんなさい
謝罪しかないです。


私が引き連れた そういう人に引き寄せた
その責任があります。


続きは第14章へ
(これらが毎日投稿すると精神的にもキツイでの間を作りつつ、ストックもそれなりにあるので、この数日1日おき等で投稿していきます)

1/19 追記

こちらの投稿から数日後に書きました。
続きはこちらです。
(遅くなりました)

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