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個人的な過去のことからのしくじりと反省・後悔(第14章)

前章からの続きです。

部活動や学校生活に限った話ではなく、社会全体に通じる部分もあります。


先生に 周りのクラスメイトに 裏切りだと恨みを買わないように忖度していた。自分の意志がわからぬままに

自分の意志よりも
周りの意志だけみていた 決めてた
そうしないと

担任 先生に怒られるから
仲間外れにしたくない やんなきゃ 約束だから

それだけみていた。


 一応野球を見るのが好きという概念はない時代。やる方も楽しい
いや、やった方が楽しい。と思われた時代
でも人間関係や周りとの差を感じて1年少しで辞めました

自分の意志です。

心を守るために
でも担任には怒られました。


3年間やれるかどうか 素人がやれるか お手並み拝見として見ていた。


 と当時言われて 残念な人間と思われた割には

高校は部活は避けて勉強はどうにか 結果を残したら 文武両道ができていた。そう言われた。
違う それは周りの幻想だと 大人になってわかりました


自分意志か。
意志という名の圧力と忖度
周りの意図ばかり見ている 強制力で動かされるか

それは怒られない。仲間外れにされないように
見えないなにか。逆らったらどうなるか。

心を守るということが

よくない風潮だったのかもしれない

なにか、犠牲にしないといけない。
(それも大切だとも思われるかもしれません。けど、命を無くす覚悟で、本当になくなったらどうなるか。本来ではなく、人間の悪い部分のことで犠牲心で無くしてもいいのであれば話は違いますが、どうでしょうか。なら・・・)

外部コーチについて

 採用案も出ているらしい。部活自体も地域の方を招いて対応するとかしないとか。

地域の人なら大丈夫。場合によっては先生の繋がりなら大丈夫。 でも
昔はなで 昔主義での指導や圧力 権力
体罰(言葉 暴力等)が起きたとき
学校は何も対処されない
見てない 知らない でまとめされるか

そのコーチは優秀だから いいコーチだから
書類の数値や実績ばかり見すぎると大変なことになる かもしれません。
(けど、色々と言われている負担軽減なら。それと地域と共にならいいと思いますし色んな人と接することにも繋がるなら。学校という閉鎖空間なら、限られた人間関係しかないので)

周りの決めつけ。上手くいったのは私たちのおかげという幻想で知らない間で動いていた

挫折かどうか
それは
周りが決める
挫折だ
でも 周りにとって挫折じゃないならと決め付ける。


違う
そう決め付けると話しづらくなる。
いや
話せなくなる。
苦しんでいた それすらも怒られるから
障害や心の病を告白しても同じです。

かつて聞いてきたこと

かつて学校関係に勤めていたのでこうした会話を聞いたことがあります。
あとは学生時代に聞いたことです。


楽しいことは小学生まで 低学年まで

あとは地獄に耐えられるか。
(ここはnoteでは触れませんでしたが、理不尽に耐えられるか。一人で乗り越えられるか。助けを求めないで一人で戦えるか。等)


やれるか試す。お手並み拝見

耐えられなかったら、将来はひきこもりだな。迷惑かけて自殺でも・・・・

考えろ 
でもこっち(先生方)のことは従え。
理不尽に耐えろ。
考えたでも通用しない。

たかが学生だ。 縦社会を小学生から叩き込まれて

教えることは成長しない。

褒めることは悪。死んだらほめるけどね。

怒号・説教は関係なくても全部自分で背負わせる。そうすれば、褒めてくれる。そして自分が周りに怒鳴る。


大人(先生方)はほめる でも同級生・同い年は離れる。

そして真面目だから 責任を負うのが嫌だから押し付ける。助け合いなんては余裕がないからと離れていく。

絶好の相手は私になることがよくありました。

断ることもしましたが、結局はやる。

失敗してもあたなのせいだ。と言われる。

自己肯定感を消す。自己嫌悪になる。


それが当たり前でした。


それが今でも脳裏に叩き込まれてます。

学生だけかと思いきや、大人になっても同じでした。

男だから。こっちを守るためなら犠牲にしてもいいでしょ。負担が増えるけど、そのおかげで成り立っているから仕方ないことよ。と脅され いや言われたりもしました。


負担が増える。けど負担が増えすぎても知らないふりされたり、仕方ないと我慢を強要されること。

さらに

ミス・間違えていることを全部

相手ではなく、私に責任や行為を押し付けるようなこと

相談しても、我慢しろ あなたのいうことは信用できない。仕方ないよ。

証拠は?出しても違うと言われる。

そうとう頭の切れがよく様々な理由で違うと言われる。そして違うのに同等の立場だからと疑いが出たりもしました。

そしてあなたのおかげで迷惑なんだよ。

転職しなさい 結局は責任を押し付けた人を守る。加害者を守る。

そして逃げられ、別の方はあなたも大事。でも

人がみんな敵に見えたりもしました。

体調不良=悪 失敗=後がないよ。信用しないよ。やらせない方があなたのためという風潮

完璧にやり
何もない人が
成功よりも 二度と失敗しない 機械のような人を
無敵(今言われているような でも似てるか)な人を
知らずに作って 教え込まして しまっている。

あと
休むな でも休め
でも一週間休んだらいけないよ 迷惑だから
あなたの居場所なんて一瞬でなくなるから
ニート 無職期間が長かったから もう休むなんてしなくてもいいよね。

倒れても 周りが悪いとか
その周りもあなたが悪い

結果、自分自身を苦しんで
自分自身だけ苦しい 助けてと言っても助けないなら

一人で耐える方が
みんなのため

そう思わせる世の中なら
本当に、大変な状況になる。

と思います。

あと
コロナ禍だと療養明け
色々と事情で休み明け
苦しい 辛く休んだらそれ明け

休んだら 学校だと
テストさせないよ
満点取れなきゃ赤点にするよ (そういうことは以前にも書きましたが)
職場だと
もし参列しなければならない葬儀等のとき葬儀なんてあなたには関係ないでしょ(似たようなことは学校でも ご想像にお任せを)

結婚式なんて行かない方があなたのためだ
その場に行くよりも 学校に 職場に行け

人の死に目なんて見れなくなるくらい働けば喜ぶからという
押し付けて論が当たり前 こうだろという高圧的な決め文句
(行く行かないは個人に任せ ない方が高圧的な人にとっては正解でしょうね)

コロナ禍だと 今はなんてわかりませんが
差別 辞めさせるか居場所すらを与えない。
ひきこもって反省しろ という

コロナ=犯罪者のように(今、それをやると・・・・差別・誹謗中傷にも繋がります)
障害=差別・偏見・迷惑な存在
普通じゃない人=周りにとっては迷惑であり 存在すら忘れられる。
そいうことはもう 差別以前の問題。
だけと それが当たり前 迷惑かけたから 迷惑かけた責任をとらないと恐らく上の方からしたら存在自体が迷惑で気に入らない…
それで区別していく。

コロナ差別で苦しい思いをした。
そうした記事も目にしました。
障害者の差別等が今でも残っているなら
コロナに続き、また別のことで繰り返されるのでしょうか。

完璧主義者重視かどうかも

なんで出来ないんだ 責任者がだめだと健常者が支援に文句
支援から 迷惑だ なんで出来ないんだ こういうとこ直さないと迷惑だし時間の無駄等文句を言う
相談してもたらいまわしか言っても理解されず別の意味で取られられさらに居づらくなる 言わない方がみんなのため

完璧にやれば認めてもらえる。
でも
完璧にやるのはあなたにとって当たり前だ。
カバーしてもられるか そうではない。
そうやって区別して どうでもいいやな人には徹底的にやらせる。

そうやって
それが
当たり前なのか
聞いていても?だけど
これも地域なのか
わからない
そうだった わからないは良くないこと
って学校から教わったんだ。

休まない それが当たり前 老後になれば楽できる? その老後になる前に亡くなたら意味も 生きていてよかったなんて思えないまま死んでいく。

迷惑かけるな
休むな 長時間労働(学習)しろ
趣味なんて無駄なことはない。

無趣味だと 職場にとっては好都合
扱い悪くても別にいいと思われるから

無理することが正義
人手不足解消にはないがしろにするか無収入しても別にいい人なら
これならタダでやらせろ

それで いいのでしょうか

それでも

それでもどうにか 生きています。

部活動でも大きなトラウマを作り

人間関係を作れないきっかけを作る一つの出来事でもありました。


あれこれ色々と学んでいたらと

国・数・英・理・社の5教科を覚えるだけではなく、人間関係などの人との関わりについて

それも、変な忖度や空気を読み見て見ぬふり等のことではなく


でも、正解なんてなかったのかもしれない。

指摘しても 責任転換して

自殺して責任を全うすることが正解だったのかも

間違っていることが正解になりかねないことを

いじめ 体罰は仕方がないということなのかな

その当時は



言えること。家庭だけじゃない

人との出会いによって

その後の人生にも影響があること

それが小学・中学時代で大きくかかわっていくこともある。

それだけは覚えて欲しいです。


あと、よく読まれたことに部活動のほかにもう一つ触れたこともあります。そちらを書いてから社会へ行ったことを書いていきます。

それに関しては、これから書くことに通じる部分はありますが

1/18 追記

続きです

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