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余情 50〈小説〉

 私は結局大学を卒業後、声を掛けて貰った書店で働くことにした。彼女はその頃就活の追い込みをしていたので、就職祝いをしたいという申し出は丁重に断った。
 二人で暮らす部屋は、変わらずに穏やかだった。時間が合わなくなった時も、彼女のタイミングをはかった接触で、糸は適度に変化しながら繋がり続けていた。
 夕食に顔を合わせては話をし、時間が合えば二人で映画を見た。お互いにお金を出し合いホームシアターを買ったので、映画鑑賞会はなかなか本格的なものになっていた。見るものも、感動作や穏やかな日常のものから、興行収入が歴代のトップを抜き去った大作や、ヒーローが街中を飛び回り活躍するもの、宇宙空間で起こるホラーと極限状態の人間を描くようなものなども見るようになっていた。大きな画面で見るというだけで、気持ちが沸き立つような気がして、お互いに見たい映画を探してきては声をかけあった。
二人とも、不思議と劇場へ観に行こうとは言い出さなかった。いつでも二人で、部屋の中を暗くしてはジュースやおやつを用意して鑑賞した。私たちは日頃それほど密着することはなかったが、映画鑑賞の時だけは肩を寄せ合った。そのことを口にすることは無かったけれど、緊張に心臓が掴まれるとき、恐怖に背中がそわそわと粟立つようなとき、私たちは腕を絡ませて画面を見ていた。けしてその時のお互いへ視線が移ることはなかった。ただ、その体温をそばに感じるだけだった。
 彼女も無事内定をもらい、卒業へ向けての用意も順調だとなった時、やっと私たちは二人へむけての就職祝いをした。いつものように用意したちょっと豪勢なメインの料理と、ホールケーキ。果物をたくさん乗せた白いケーキを、切り分けずに直接フォークを刺して食べた。それは彼女が言い出した食べ方で、どうせ二人で食べきらなくてはいけないのだし、包丁で切ったところでうまく切り分けられないのだから、このまま食べようと言い出したのだ。私は包丁につくクリームを洗うのが好きではなかったので、ちょうど良いとその提案に賛成した。彼女がどんどんと果物を食べていくので、スポンジの中にもたっぷりと果物が入っているケーキを買うようになった。行きつけと言うほどではないが、ケーキを買うときはここ、というお店が決まっていった。
 書店で、社員として働くにあたって、本社での研修が二ヶ月ほど行われた。電車で数駅、ビルの一室で社員としての心得や、接客でのクレーム対応の方針、出版社との付き合い方などのレクチャーを受けた。朝は移動距離が増える分早く出て、みっちりと研修を受け夕方には解放された。試験のようなものが最終日には行われると聞いていたので、帰り道にはその日に教わったことの振り返りをくり返した。はじめての知識を詰め込む感覚を久しぶりに感じた。
 夕暮れの空を見上げながら、帰る道はいつも前触れなく不安を湧き上がらせた。本当にこの道で帰るべき場所へたどり着くのだろうか。私の帰るべき場所は本当にこの道の先にあったのだったか。そんなことが唐突に頭の中を占領し、足を止めさせようとするのだ。
たっぷりと赤を含んだ雲を見上げながら、ゆっくりとその日にあったことを反復した。帰りの電車が混んでいたこと。会社というもののマニュアルの多さ。十数人の新社会人たちの顔ぶれ。その中にある、本当はいなかったはずの自分の顔。昼食は近所の安いおそば屋さんに何人かと連れだって行ったこと。朝は一番にラジオ体操をすること。通勤電車の混み具合に毎朝目眩を覚えていること。そしてやっとたどり着くのだ。どの家の、どんなドアを開いて出てきたのかということを。朝の、寝ぼけた顔をした彼女を思い出したところで、私はほっと胸をなで下ろすのだった。
 彼女の卒業式には、私も顔を出した。彼女は成人式に着ていったスーツを着ていた。彼女の母親といっしょに買いにいったパンツスーツは、今の流行の形を取りながらも、仕立ての美しさが際だったものだった。パンツスーツにした理由を聞くと、「ここぞという時に走れないといけませんから」と胸を張って答えていた。
 他の卒業生たちの中で、彼女の姿は目を引くものだった。長い祝辞を聞く間も、彼女の背筋はぴんと伸びていた。華奢なその線が、まっすぐな未来をしっかりと支えていることが感じられた。
 彼女の両親が見に来ていたので、帰りは別々に帰った。彼女のご両親には食事の席に誘われていたが、仕事を言い訳にして辞退した。彼女は何か言いたそうに私を見ていたが、久しぶりの両親との時間を楽しむことに決めたようだった。
 私は、二十三歳になっていた。
 私と彼女は、誕生日を祝い合うことはしなかった。母親からのお祝いも、友人と祝うからと言ったり、彼女と食事に行くと言ったりで、断り続けた。それでも確かに体に刻まれる時間の感覚は重たさを増していった。彼女との生活を始めた頃にも感じた不穏な空気の塊が、いつの間にか胸の中に数を増やしていた。
 そのたびに胸に手を当てて、静かに呼吸を繰り返す。そのうちに、ふ、と重たさが内側に引っ込むまで、私は自分の呼吸の深さに集中するのだ。
 書店で私に仕事を教えてくれた人たちは、もうほとんど残っていなかった。彼女を紹介してくれと言った彼も、彼を見つめ続けた彼女も、もう次の場所に移ってしまっていた。
 社員になってからも、仕事内容的にはそれほど変わりはなかった。目を通すものが増えたり、任される場所が多くなったり、書店同士の親睦会に顔をだしたり、付属的に増えたものがあるだけだった。
 仕事内容には、何の不満もなかった。彼女も働き出したことで、また時間がずれてしまうことが多くなった。そのことを彼女は不満そうに表情に表すこともあった。そんな時は、お互いに時間を合わせようとしていることを思い出して、自分で機嫌をとってくれているようだった。
 私はあなたの命日には休みを取るようにしていた。
 そのことを彼女には話してはいない。何かを聞き出そうとする素振りを、彼女が見せたことはなかった。あの赤の本の時と同じように、彼女は私の入って欲しくない一線をけして間違わない。おかげで今も変わらずに関係が続いているのだ。彼女がこの名前すら付けることが出来ない関係を、大切にしていてくれるからこそ、二人でいる現実は成り立っている。そして私自身もまた、この関係を名付けないままであっても、維持しようと努めるようになっていた。
 夏のあなたの命日には、病院に足が向く。あなたの目が追いかけた庭の、隅から隅までを歩いた日があった。病院内の売店で買った飲み物を持ったまま、待合で座り続けることもあった。何度も過ごすその日に、夏の終わりを感じる年もあった。夏が過ぎていくことを、だんまりで過ごしているような猛暑もあった。それでも、日差しはいつでも熱かった。肌はこの日によく焼けた。翌日、仕事に出た時などは、バイトの子から「どこに出掛けてきたんですか」と笑われることもあった。化粧っ気のない私の、不精で焼けた肌をみてのことだった。私はそのたびに曖昧に笑いかえした。
 過ぎていく時間に、私は惜しむ気持ちが芽生えなかったかと言えば、嘘になるのかも知れない。
あなたのおばさんは無事に母親になり、きちんとしたお祝いを私は母といっしょに贈った。母はあなたのおばさんのことを、とても気に掛けていたようだった。子供が生まれたと連絡を受けてから暫くして、実家に戻ったついでに私がその話をすると、酷く不満そうな顔をしていた。そしてお祝いを買いに行こうと、私を引っ張っていったのだった。好みもあるからと、商品券を贈ろうと決定したあとも、あなたのおばさんに何か贈りたいと、なかなか帰ろうとしなかったくらいだ。母は、あなたのおばさんが、結婚しないまま出産したこと、付き合いのあった人と別れたことを知り、自分のことのように憤慨していた。けれど最後には彼女の決定を尊重しなくてはいけないと、自分に言い聞かせたようだった。
 私が代表して彼女にお祝いを渡しにいった。彼女は、母からのお祝いでもあることを伝えると恐縮していたが、母から言われた「これからのことだけを考えて受け取って欲しい」という言葉を聞いて、静かに頷いた。
 あなたのおばさんは、保育園を活用しながら働き続けていると言っていた。付き合っていた人もいっしょの職場だから、少し気持ちがうつむくこともあるのだけれど、それは相手の方がしんどいことだから、自分が弱音を吐けないのだと言った。私は彼女が何故ひとりで母親になったのかを聞かなかった。ただ時折寄越される、彼女の子供の画像やメッセージから、二人の健やかさを見守った。その連絡が来る度に、私は母へもその内容を転送した。どんどんと大きくなる赤ん坊の写真を見ながら、母は目を細めてうっとりとした顔をした。ああ、この人はおばあちゃんになれないまま生きていかなくてはいけないのだ。その現実を考えると、私はあなたのおばさんに感謝の気持ちが湧いた。
もうひとつ、彼女からの赤ん坊の写真が私にとっても大切なものと感じるのは、その子には薄くてもあなたの血が混ざっているからだった。
その事実が、母だけではなく、私の気持ちをもやさしく撫でてくれるのだった。血の繋がりに対して、執着するほうではないのだけれど、あなたの欠片がこの世に残っていることは、私にとっては、かけがえのない大切なことだった。

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