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あなたが秋田から出ていきたいと考えるのは、あなたの責任ではないーー『若者のミカタ』秋田魁新報

こんにちは。秋田県由利本荘市でごてんまりを作っています〈ゆりてまり〉です。

まり以外の内容はあまり書かないようにしているのですが、秋田魁新聞が年明け最初の一面に出した記事があまりにすごかったので紹介させてください。
ちなみに、秋田魁新聞は県内で最も影響力のある新聞です。

①秋田魁新聞の1月1日の記事ーー若者のミカタ

『若者のミカタ(プロローグ)』「どこよりも若者減った」「1970年から7割減少」

(web版は実際の紙面とは表現や内容が異なる場合があります)


秋田魁新報社がその年の一番最初に出して、もっとも読者に読んでもらいたいと判断したのがこの記事です。
ふつうに考えたら、読者に「正月早々暗い内容なんて」「もっと他に読者に知らせるべき情報があるのでは」と言われてしまいそうですよね。

でもわたしは、すごく嬉しかったです。
タイトルに「若者のミカタ」とあるとおり、この記事では若者の味方であろうとする意志がはっきりと感じられます。 
秋田県は高齢化率全国ナンバーワン、魁新聞の読者はおそらく大部分が高齢者のはず。
それにも関わらず、新年一発目一面の記事で若者の味方宣言を行うとは、かなりの覚悟を感じます。

一面の記事は31面へ続きます。
そこには記事の方向性について次のように書いてあります。

「連載『若者のミカタ』を通じ、若い世代の価値観(見方)を知り、若い世代のチャレンジを後押し(味方)することで、秋田の未来を切り開く道を探りたい。」



今後何部構成になる予定なのか示されていませんが、『若者のミカタ』は1月1日の記事をプロローグとし、3日から第1部がスタートしました。
7日までの第1部では、「女性が生きやすい秋田に」をキーワードに、偏見や閉鎖性を嫌い、多様な生き方を求める若い女性たちにスポットを当てた記事が掲載されました。
そこではわたしも以前noteの記事で触れた、寛容性に関する報告書が取り上げられていました。

https://www.homes.co.jp/souken/report/202108/
寛容性に関する方向書は、こちらから全部読めます。


第1部全体を通して、「秋田県は寛容性が全国最低レベルであること」「地域の寛容性が低いことが若い女性を流出させ、戻ってこない要因となっている。寛容性を高めるために、地域の意識を変えることが重要だ」という主張になっていました。
わたしは、例の報告書について触れていることと、秋田の女性の声を多数掲載してくれていることが嬉しかったですね。


②県民の感想は?

他の人はこの記事にどんな感想を持ったのでしょうか?

試しにfacebookで「若者のミカタ」についてどんな意見が投稿されているか、検索してみました。
一番多かったのは、「こういう記事が新聞に載っていたよ」という単純な紹介としての投稿。
あとは記事に取材で出ていた方の、告知としての投稿。
純粋な読者としての反応は、「確かに秋田が許容性の低い傾向があるのは事実だと思う。でも、若い人だってこういう考え方をすれば乗り越えられる!」というような、若者側に認識および行動変容を求めるような意見と、「こういう事実があるのは確かだろうが、秋田の悪い面だけでなくいい面も載せて欲しい」という、記事の内容を否定するような投稿が目に付きました。

残念ながら、秋田魁新聞がタイトルに込めた「わたしは若者の味方として話します」という意図はまったく伝わっておらず、秋田から若者と女性がどんどんいなくなっている原因は寛容性の低い地域のせいで、秋田の未来にためにも地域の意識を変えるべきだ、という主張を読み取れた人はほとんどいないように思いました。


③変化が必要なのは地域のほうだ

寛容性に関する報告書を読めば分かるとおり、寛容性の低い地域から若者と女性がどんどんいなくなっているのは、疑いようのない事実です。
若い人に意識改革や行動変容を求めるだけでは、地域から若年層の流出を止められないことは明らかです。
こういう記事を読んで地元民があまりポジティブになれないのは分かりますが、わたしは地域の未来のためにも、こういう記事が魁新聞の一面に載るのはよいことだと思いました。

一種のショック療法というか、禁煙を呼びかけるキャンペーンに近いやり方ですよね。
禁煙への誘導として、「タバコはこんなに体に悪いんですよ」「早死にするんですよ」と、タバコのネガティブな情報を発信するキャンペーンを目にしたことのある人は多いでしょう。
それと同じで、秋田魁新報は「寛容性の低い地域って、マジやばいんだよ」という事実をできるだけ強く地域に知らしめようとしました。
県内で最も影響力のある新聞が新年最初の一面でやったのですから、インパクトは非常に大きかったはずです。

変化を求められているのは地域側のほうです。
問題は地域のほうにあると認めない限り、秋田の人口減少問題は進み続けるでしょう。
こう考えてみると、タバコとよく似た問題かもしれないですね。
タバコをやめる、つまり禁煙は大変難しいチャレンジです。
なぜならタバコには依存性があって、一度口にすると体が快感を覚えてしまい、その快感を手放すのが非常に困難だからです。

「最近タバコを吸うところが減ってきてやりにくいよなあ」
「タバコの煙が嫌な人は、煙を避ければいいじゃないか」

タバコを吸う人はついこんな感想を漏らします。
タバコに関してどんな感想を持つにしろ、残念ながら唯一はっきりしているのは、タバコは吸う人の命を確実に縮めていること、少しでも健康で長生きしたいと望むなら、一刻も早くタバコをやめたほうがいいということです。
地域の寛容性にしてもそうです。
女性と若者の流出を食い止めたいなら、地域の住民が寛容性を少しでもあげる努力をすべきなのです。

④秋田の不寛容な空気は変えられるか?

秋田魁新聞がやった「ネガティブな情報を当事者に認識させる」やり方は、問題に対する”治療”としてタバコ同様ある程度有効だと思います。
しかしやっかいなのは、やめさせる対象がモノではないことです。

・一体何が「不寛容」な言動なのか?
・何がどうなれば「寛容」な地域になったと言えるのか?

「秋田県は寛容性が全国最低レベルであること」「地域の寛容性が低いことが若い女性を流出させ、戻ってこない要因となっている。寛容性を高めるために、地域の意識を変えることが重要だ」ということが理解できたとしても、次はこのような疑問が噴出するでしょう。
おまけに禁煙と違って、はっきりとしたゴールが見えるわけではありません。
寛容性をめぐる議論は先が見えないというか、まるで雲をつかむような話にも思えます。
何をどうしたらいいのか分からない、最初のとっかかりさえ見つからないような印象を抱かせやすく、おそらくせっかちな人から議論を離脱していくことが考えられます。

「ていうか、秋田ってべつに不寛容じゃないよね?」
「だってオレはべつにそんな思いしたことないし」
「不寛容って思う人たちが敏感すぎるだけでしょ」

そういう人たちからこんな”そもそも論”が出ることが予想されます。
楽観的すぎるというか、物事を深く考える力量のない人たちが勢いを増して「秋田が不寛容な地域なんて、ウソウソ」という空気が一般化してしまったら、せっかくの秋田が変わるチャンスが台無しになります。

残念ながら「秋田は不寛容な地域ではない」と言えるような人は最初から秋田と親和性が高いため、不寛容を感じる機会(チャンス)がほとんど訪れません。
逆に親和性が低い人たちは「秋田でうまくやっていけないのは自分のせい」と考え、問題の責任を内側に抱え込んでひっそりと秋田を出て行きます。
客観的に見れば、どう考えても秋田の不寛容さが原因だとしてもです。
わたしも長らく秋田を出たのは「秋田には行きたい大学がない」「秋田にはやりたい仕事がない」と、そういう志向を持った自分自身が原因だと考えていましたが、36歳の今振り返ってみると、10代後半から20代の時期の人間が進学差別と職業差別のある地域にいるほうが難しかったんじゃないか、と思います。

おまけに秋田を出て他の地域に出て行くと、国内であればほぼ100パーセント、寛容性に関して秋田より上位の地域ばかりです。
わたしのように秋田と親和性の低い人間の場合、「秋田だとこんなことできなかった!」「秋田より楽しい!!」という感想を抱きやすく、秋田に戻ろうとは思わなくなります。

秋田の不寛容さが分からない人は、そもそも問題が何であるかが皮膚感覚で理解できず、秋田の不寛容さを肌で感じる人は(出て行ける能力があれば)若いうちに出て行って、二度と戻ってこないーー。だからこそ、秋田の不寛容さをなんとかしなくてはならないという共通認識を持ったとしても、なかなか議論が進まないことが予想されます。
とはいえ、誰も不寛容な地域を変える方法なんて知らないのですから、(あったらそれをやればいいだけですからね)秋田の不寛容な空気は変えられるか? という問いを考えてみても、簡単に答えは出るものではないでしょう。

しかし「秋田ってべつに不寛容じゃないよね?」という”そもそも論”だけは議論を進めるどころか、逆行させ秋田が変わるチャンスをはっきり奪うものですから、わたしは絶対に使いたくありません。
「秋田は不寛容な地域だ」という事実から目を背けず、そこからどうすべきか今後も考えたいと思います。













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