お盆だし先祖供養の変わりに知ってる限りのルーツを書いてみた…合掌
お盆である…御先祖様の冥福を祈ります。合掌
私の父方の家系は、一般的に世間体を気にする人々が多かった気がするが
その割には父はとんでもない、破天荒な昭和の九州男児ではあったがw
母方の家系は、えっ?と思うくらいに破天荒な方々が多くて笑ったww
母方の祖父は、田舎の山の麓の大地主の長男なんだが、田舎で農業やるのが嫌で天皇家に仕える近衛兵に志願したらしい。
大正時代なのかな?昭和の初め?とにかく当時の近衛兵は容姿端麗で、家柄も良くなければ志願さえ出来なかったらしい。
確かに祖父は昔の文豪風で、イケメン系統ではあったが、家柄?そんなに良かったっけ?🤣そこにピンと来なかった私だったんだが、ルーツを辿れば母方は清和天皇だったかな?に繋がる家系だとかなんとか聞いた気がする。
そんなのしらんけどww
誰それ?🤣 ふーんって半信半疑で聞いていた。
さて近衛兵に志願して、祖父は見事に脱落して落ちたのである(苦笑)
それでも田舎で農業やるのが嫌でただそれだけで後継ぎなのに、当時のフィリピンに行き写真の技術を覚えて、実家から仕送りして貰いカメラを購入して、日本に帰って来て、現在の福岡市の博多祇園山笠で有名な櫛田神社の近くで、写真館を営んでいたそうな。
戦争が始まり空襲を避ける為に地元の田舎に疎開したとの事だった。
母の子供の頃は戦争の真っ只中な筈なんだけど、彼女に聞く戦争体験は全く悲惨ではなく、田舎の大地主の家系なので農業やってて食べる物にそんなに不自由はしていなかったと推察するが、
能天気母の戦争体験を聞くと、空襲警報鳴れば干し芋とかの非常食であるおやつを防空壕で食べたり、学校が休みになるから嬉しかったらしいww
戦争の悲壮感や絶望感など微塵もなく、子供ながらに遠くで空襲があったら、夜は花火みたいで綺麗だったと言っていた。
火垂るの墓とえらい違いの戦争体験である。
空襲も田舎の山の中迄はなかったみたいで、のんびりした戦争体験を聞かされたが、天然系能天気母の性格もあるんだろうww
さて、そんな能天気母ではあるが子供の頃に私の実の祖母にあたる母の実母を亡くしている。
母は、6人姉弟の5番目で四女になる。
長女、次女、三女、四女、長男、が亡くなった実母の姉弟で、その後祖父は再婚してかなり歳が離れた腹違いの妹が誕生している。
祖父の再婚相手の義祖母?血の繋がってない祖母は、かなり意地悪な性悪女だったみたいよ(苦笑)
故に、破天荒な長女と次女は家出をして、長女は満州に行ったらしいw
満州に渡航出来た時代ならばまだ戦争前の話だよね。
確か見合い結婚だったか?それも嫌で、義理の母である祖父の2番目の嫁とも折り合い悪くてね。
長女の家出の時、祖父が探し回ったたらしく、自分もフィリピンに家出して好き勝手やったわけなので、そっとお金をくれたとの話を聞いた記憶がある。
この当時、女が家出するなんて非常識極まりない話だった筈で、この話を聞いた時、やるなー!!!と思ったものだww
さて、次女も義理の母との折り合い悪くて家出して、時代背景まで良くわからないのだが、恐らくこっちは戦後の話だと思う。
旅一座に入り、旅役者をしていたらしくその後、和歌山白浜温泉に落ち着いて芸者をしていた。
長女、次女、共に芸事がお好きみたいで、長女は声楽をやっていたと聞いたし、勿論、能天気母も芸事好きで歌う事が大好きで民謡と三味線やってたな。
三女は、女の子ばかり産まれるので、養女に出されたと聞いた。
四女が能天気母で、次にやっと長男が産まれたが体が弱くて私が幼稚園くらいの頃に若くして亡くなった。
この私の叔父さんにあたる長男も、昔の文豪風で中々のイケメンであった。
ちなみに能天気母の歳の離れた腹違いの妹を産んだ、ママ母の祖母であるが、能天気母の腹違いの妹の子供の男の子がひとりいて、私のいとこになるのだが、ママ母の祖母からすれば血の繋がった娘の産んだ孫なので、平気で血の繋がりのない能天気母と私の前で、私の孫はこの子だけと言い放つような気性の人であった(苦笑)
そりゃ家出もしたくなるわなww
只の性悪女じゃん。
故に私はこの能天気母のママ母にあたる、2番目の祖母からは可愛がられた記憶はない。
言われた事は覚えているがその当時は意味がわからず、能天気母だけは嫌な顔してたよね。
さて、戦争が終わり地主制度も廃止され、殆どの財産没収の憂き目にあったらしい祖父の実家だったみたいなので、それを聞くとなるほど💡
清和天皇と本当になんか関わりがあったのかも?
と、ちょっと思ったが、そんなの今さら何も証明は出来ない。
しかもその山の中の地域一帯で、清和天皇の何かの伝説的な事が語り継がれてるらしく、その地域一帯が天皇家と関わりがあり、もしかしたら血の繋がりがあるかも?と言い張ってる方々がいるらしいので、何が真実なのか?は今となっては誰にもわからない話である。
この話を聞いた私の実姉も、そんな昔話の都市伝説的な話ww
と、一笑に伏したと言ってたが、その清和天皇の伝説が福岡市の飯盛神社にあったみたいで、おや?伝説的な話だけど全くのデタラメでもなさそうだねと言っていた。
ここに登場した人物は殆どが既に亡くなっているが、私が知る限りの話ではあるが、少しでも先祖供養になれば良いかなと思って書いた次第である。
父方は、私の本名の姓の神社が昔あって、明治の神仏分離?の時なのか?福岡県糸島市にある櫻井神社に合祀されたとの事。
それも最近知ったので、ふーん…って感じだった。
去年の夏に、初めて櫻井神社を訪れて父方の御先祖様に御挨拶して来た。
その時の記事↓
母の想い出関連の記事↓
父方の事は余り知らない。
親戚付き合いもなんにもないからである。
それは、父の破天荒な性格がそうさせた一因でもある(苦笑)
父との想い出参照↓
結局、父方も母方もそれなりの家柄?ではあったみたいだが、どちらも没落している(苦笑)
当の昔に実家なんか失くなったので、私は帰る実家さえない。
だから田舎に実家があり、帰る場所があるだけで幸せなんだと感謝した方が良い。
親の因果が子に報いってヤツかねww
どちらも因縁や業が深そうな家系な気はしてるw
お盆だし、先祖供養の変わりに知ってる限りのルーツを書いたが、先祖供養になったかな?
あの世で、長女、次女、能天気母、長男、そして祖父に私は会った事もない実の祖母と、みんなで再会を果たして歌って踊って宴会でもやってそう🎵
あっ!お盆だから現世に帰って来てるかww
墓参りは行けないけど、心より御先祖様方の御冥福を祈ります。合掌