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母上様との想い出は尽きない…。

昨日から、仕事用の livedoor blog と、たまに仕事とは関係ない事を書いて来たこの note に溜まってたモノを吐き出すかの如く赴くままに、文章化して書き殴っている私である。

母上様が永眠して、心の整理を付ける為にも、今は必要な事なのかもしれないと思っている。

やはり…わかっていた事ではあったが、こんなに辛いとは思わなかった。

父上が亡くなった時より、昔、大失恋した時よりも、痛みが伴う辛さと切なさと後悔が押し寄せて来る。

父上とは家庭の諸事情で、18歳の時から、亡くなる寸前迄口聞いてなかったし、早くに母上と弟と私の3人で別居したので、父上とは縁が薄かったわけで、泣けたのも葬儀の時だけだったけど、

母上様との別れがこれ程キツイのか…と、今更ながらに胸に突き刺さるのである。

幽霊でも何でも良いから化けて出て来てくれないかなー!!!👻
高精度の霊感あればゆっくり話も出来るし、ごめんねって謝る事も出来るし、想い出話や、抱きしめてあげる事だって出来るのに…。

私の精度の悪い妖怪アンテナくらいじゃ、霊能者張りに会話は出来ないし、視る事も出来ないのがもどかしい。

涙ってこんなに流れるもんなんだってくらいにポロポロ後から後から、想い出す度に出て来るものだったんだなと、改めて驚いているくらいである。

母上の場合の命日から法事の日数は、以下の図の通りらしい⬇️


母上の場合の法事の日程表

これ、逆に言えば百箇日までは、故人を偲び泣いて良い日と言う事にしておこうと思っているww

だから、ひとりでいたらやはり泣いてしまうし、何か別の事に集中したいから、仕事をガンガンしたいのに、こんな時に限って仕事入ってないしさ…(苦笑)

気持ちの区切りは福岡で着けて来たと思ってたけど、やはりまだ無理なのかな…。

仕事とかの現実を突き付けられればシャンとするのだけど、今はまだ無理かもしれない。

昔、子供の頃、朝に弱い寝起きの悪い弟を起こす時に、軍歌の唱歌になるのかな?お山の杉の子と言う大昔の歌の替え歌を即興で歌い、弟を起こしていた朝からミュージカルな能天気母上の事や(笑)

(母上は昭和9年生まれなので、戦争体験者だから、歌う歌が古いww)

反抗期に父上には思いっきり反抗して文句言っては、殴られるからすぐに逃げてたんだけど(笑)

(なんせ昭和3年生まれの気合いの入った昔の九州男児だから、鉄拳制裁当たり前だったのだ)

母上は、友達みたいな人だった。
本当に私の学生の頃の友人はみんな母上のファンだったし、姉や弟、甥っ子の友人達迄、みんなのアイドルみたいな人だったww

誰をも魅了する人気者の、そんな能天気でド天然で、ひまわり🌻みたく明るく可愛い人だったわけで、本当に自慢の母だった。

私がストリップ劇場を周りながらショーをやってた頃、ひとり暮らしを止めて何年か振りに地元の田舎町にマンション借りて母上と一緒に住んでいた時期があったのだが、

劇場の仕事に入ると2ヵ月以上は確実に帰って来ない私を、送り出す時に
まるで戦地に兵隊の息子を送り出す母親みたいに、『お母さん寂しかー!!!!』と、毎回ポロポロ泣かれていつも困ってたし(苦笑)

そして、楽しそうにいつも笑って歌を歌ってた母を思い出す。

『これこれM君、起きなさい!🎵
M君、M君、起きなさい~🎵』
『朝です、朝です、朝ですよ~🎵
M君、M君、起きなさい~🎵』

と、子供の頃、寝起きの悪い弟を起こす度に朝からひとり替え歌ミュージカルしてた歌声や、民謡の練習してた歌声や、一緒にカラオケ行って歌った楽しそうな母上を思い出しては、泣けて来る涙腺完全崩壊してる私なのである(泣)

全部、楽しそうに能天気に歌を歌ってる姿ばかりと言うのが、笑えるがwww

私が高校生の頃、弟はまだ小学生の高学年で、家の家業が傾き借金取りが押し寄せて、本当に辛く暗い月日の中でも、母上の明るさに救われてた気がするしねw

家業が傾いた原因の父上の話は此方⬇️

そんないろんな複雑な家庭環境ではあったし、私自身コンプレックスから来るトラウマ級の爆弾も抱えていたし、辛い事やキツイ現実もたくさんあったけど、いつも母上の能天気なド天然な明るさに助けられてた気がするよ。

私のやってる仕事も知ってたし、ストリップ劇場でのショーをやってる頃は、衣装の真っ赤なシースルーの振袖の長襦袢着て踊ってたしww 

SMショーの時に使うローソク用の重たいビニールシートを、縫ってくれた事もあるしww

ほらね、みんなの人気者だった理由がわかるでしょ!(笑)

苦労の多かった母上の人生の中で、愚痴もいっぱい言ってはいたがww
最後には『なるようにしかならん!』と、開き直り、最強の言霊を言い放った人であったw

想い出は尽きないし、まだまだ百箇日迄は毎日泣いてしまうかもしれないが、本当に、本当に、有り難う御座いました。お母さん…。
愛してます。
貴女の愛に感謝しかありません。

晩年の長い闘病生活や施設での生活で、大好きな歌や踊りや民謡や三味線、も、長い間やれなかっただろうから、魂だけになった今は好きなだけ存分にやってねw

毎日、供養するから迷子にならないようにしっかりと成仏への道へ進むんだよー!!!

2022年11月22日、母上、久仁子さん永眠…。

有り難う久仁子さん。
大好きです。
合掌

この間、高千穂で買った龍神様の横で、
久仁子さんはいつも笑顔です😊


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