「あの人は頭が悪い」と言ってしまうことの危険性
僕も昔はよく言ってしまっていて、最近は言わないように気をつけている言葉があります。
それが、
「あの人は頭が悪い」
学校で、職場で、友達と話している時についついこの言葉を使って愚痴ってしまってはないでしょうか?
今日は「『あの人は頭が悪い』と言ってしまうことの危険性」ということについて書いてみようと思います。
あの人は本当に「頭が悪い」のか?
「本当にあの人頭悪いなぁ。なんでこんなこともできないの?」
「あいつ何度言っても理解できないんだよね、頭悪すぎ」
こんな愚痴・陰口を聞いたことがないまま大人になった人はおそらくいないんじゃないかなと思います。
恥ずかしながら実際自分も言っていたことはありますし、裏で言われていたこともあると思います。
こんなの単なる愚痴で、言葉のあやだよ、なんて言う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、この「頭が悪い」ってセリフ、危険だなって最近は思うんです。
まずは逆から考えてみましょう。
「頭がいい」ってどういうことか。
頭がいいな、知的だな、そんな風に感じる人が周りに少なくとも1人や2人くらいいるかと思います。
「周りに頭いい人なんて1人もいない!みんなバカ」なんて言う人は、いずれ革命を起こす天才or俺TUEEE系アニメを見過ぎな方のどちらかです。
こういう場合の「頭がいい」は単純に勉強ができることをあまり指しませんよね。学校のテストの成績が良かろうと、偏差値の高い大学を卒業していようと、「頭がいい」とは限りません。
では、「頭がいい」とは何か?
それは、
「理解力・応用力が高い」
ということかと思います。
自分の言ったことをすぐ理解してくれる、新しく教えられたことをすぐに飲み込んで、すぐに実行できる。状況を把握してうまく立ち回れる。
そんなようなことができる人を指して僕たちは、あの人は「頭がいい」と判断しているのかな、と思います。
では、「頭が悪い」は単純にこの逆なのか?
きっと日常的にこの言葉を使ってしまっている人たちは、「理解力・応用力がない」ことを指して「頭が悪い」と言っている気がします。
でも、これ違うと思うんです。
「一度言えばわかる=理解力がある」
は成り立つと思いますが、
「何度言ってもわからない=理解力がない」
は必ずしも成り立つわけではありません。
なぜなら、
価値観や立場が違うという可能性があるから。
価値観や立場が違えば、相手の言っていることが飲み込めないのは当然です。
極端な例を出せば、
何かを食べなければ今にも死んでしまいそうな戦場の子供たちに、「食べ物を盗むなんて人のやることじゃない」と諭すようなものです。(食べ物を与えて、「盗みは良くない」と言うなら話は別ですが。)
なかなか気がつきにくいものですが、日本に住んでいても、僕たちひとりひとりの価値観や立場(経済状況やこれまでの教育環境)は驚くほど違います。
自分が言ったことや決まり事などを理解してくれないことに対して、「頭が悪い」とレッテルを貼って罵ってしまうのは、あまりにも悲しいことではないでしょうか。
もっと想像力を働かせるべきです。
とある学者の方が、今の世界はあまりにも想像力が乏しい、というようなことを書いていましたがまさにその通り。
「頭が悪い」と吐き捨てて遠ざけてしまうのは簡単です。相手を否定するのは容易いです。
ですが、「頭が悪い」と言って思考停止してしまうことで、どんどん自分の視野が狭くなっていってしまう危険がそこにはあるんです。
新しい価値観に直面して、そこではじめて人は考えて、自分の価値観を更新していくものです。それを成長と呼ぶのだと思います。
他人とわかり合うチャンスを放棄することは、新しい価値観との出会いを放棄すること。それは即ち自分の成長を止めることなのではないでしょうか。
「頭が悪い」と誰かのことを言ってしまう前に、このことを考えてみてほしいなと思います。
普段何気なく使ってしまっている言葉にも気をつけていきたいものですね。それでは。
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追記2020.10.28 「秋のイギリス編」追加しました!
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