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おっさん#SS

 今日、おっさんが来ました。おっさんとは、お坊さんのことです。おっさんは、お盆の8月13日に村の檀家をまわって念仏を唱えます。私が生まれる前のずっと昔は村にはいっぱい家があって、お盆の3日かけてまわっていたんだって。でもみんな都会に出て行ったので、今は12軒しかない。

 単身赴任で東京に住んでるお父さんが「お盆は仕事が忙しいから帰れない」って電話してきたけど、ほんとかなあ。とにかくお母さんは朝から仏壇の掃除をしてて忙しそうで(いつもしないから埃だらけ)、テレビ見てたら「あんたも手伝って!」と言ってきて仏壇の花を替えさせられました。そのとき、お母さんの目を盗んで供えてあった羊羹をポケットに入れました。

 おっさんは予定の1時を過ぎても来ませんでした。「買いもん行きたいのに何しとんねん」とお母さんは鬼みたいな顔になってたけど1時20分になって玄関の扉がガラガラと開いておっさんが「遅くなってすんまへん~」とやってきた時、嘘みたいな笑顔になって「まあまあ、いらっしゃいまし。今日は本当に暑いですわね~さあさ、麦茶をどうぞ」とおっさんに座布団をすすめました。

 おっさんは麦茶を一気飲みし、お茶菓子のもなかの包み紙をあけてもぐもぐ食べ始めました。私は、もうひとつのもなかをどうか残しておいてと祈る気持ちでおっさんの様子を見つめていました。おっさんは、お母さんの「はよ唱えんかい」という目つきにハッとなって、仏壇の前の座布団に座り直して念仏を唱え始めました。

観世音南無仏与仏有因与仏有縁仏法僧縁常楽我浄朝念観世音暮念観世音念念従心起念念不離心観世音南無仏与仏有因与仏有縁仏法僧縁常楽我浄朝念観世音暮念観世音念念従心起念念不離心観世音南無仏与仏有因与仏有縁仏法僧縁常楽我浄朝念観世音暮念観世音念念従心起念念不離心観世音南無仏与仏有因与仏有縁仏法僧縁常楽我浄朝念観世音暮念観世音念念従心起念念不離心観世


 念仏は2分ほどで終わりました。お母さんがお布施の1万円の入った封筒と、もなか1袋と缶コーヒーの入ったレジ袋をおっさんに渡しました。おっさんが「へえへえ、すんまへんなあ」と頭を下げて帰っていきました。私はおっさんが残していったもなかの包み紙をあけて、もぐもぐ食べました。

 おっさんが帰ってから、お母さんは「1万円も渡してるのに、念仏短かっ。手抜きか。先代はんは10分近くはやってくれはったわ」とさんざん文句を言いました。そんなに悪く言わなくてもいいのに。もなかを残してくれたから、おっさんはいいひとだと思う。それからお母さんは村の同い歳の田中のおばさんに電話をかけて、ケチだとか、食い意地が張ってるとかおっさんの悪口を言い始めました。

 先代はんというのはおっさんの、もう死んでいないお父さんのお坊さんです。お寺の家に生まれたらお坊さんになると決まっていると私は思ってたのですが、おっさんの一人しかいない息子さんはどうも違うようです。息子さんは「派遣」という職業をしていて、お坊さんになる修行をまったくしてないそうなのです。そのため、お父さんお母さんと仲が悪いのだとか。

 これは田中のおばさん経由でお母さんから聞いた話です。田中のおばさんはおっさんのお寺兼住居の前に住んでいます。田中のおばさんによると、たまに、おっさんと息子さんが殴り合いのケンカをしてて、それと奥さんのやめてーっていう声がめっちゃ聞こえてくるのだそうです。

「いややわあ、怖いわあ。最近ようあるやん、親子間殺しって」
「お寺で殺人て、シャレにならへんわな~」

 あのやさしそうなおっさんが警察に捕まったり、あるいは殺されることになったら、私はすごく悲しい。そんなことにならないよう、私は仏壇に向かって祈ります。念仏の言葉がわからないから、とりあえず南無阿弥陀仏って唱えます。

 ところでおっさんは、職業がお坊さんだと思っていたのですが、ちょっと違うようなんです。少し前に駅でスーツを着て立っているおっさんを見て、本当に驚きました。袈裟姿しかみたことなかったから。帰ってお母さんに尋ねると、「ああ、会社に勤めてはるから」と言います。

 おっさんだけでは生活が成り立たないから、退職した会社の再雇用制度でまた働いてるのだそうです。おっさんとしての収入は、村の檀家から毎年年末に徴収するお布施の5万円とお盆の1万円なので、おっさんの家を除いた11軒の、合計で年に66万円しかない。

 退職金と年金がいくらなのかわからないけど、ロウソク代とかおっさんとしての出費もあるだろうし、確かにこれだけでは心もとないのかも。会社の給料の方がたぶん多いだろうから、この場合は、おっさんが副業になるのかなあ?

 おっさんの奥さんも駅前のスーパーで働いてます。息子さんの収入はすごく少ないそうです。でも私は息子さんも気の毒だと思う。お寺に生まれたからってお坊さんになるのを押しつけられるのって、すごくかわいそう。あっでも一度だけ、袈裟を来た息子さんが道を歩いてるのを見たことがあります。

 誰? と思ってじっと見てしまって、すごい睨まれました。髪が背中まで伸びてたし袈裟の合わせ目から太いチェーンのネックレスが見えました。しかも耳には鹿の角みたいなピアスをしていました。ぜんぜんお坊さんに見えなくて、こわかったです。息子さんは停めてあったバイクに乗って、去っていきました。

 私が死んだときに葬式であの息子に念仏上げられるの嫌やから跡継いでもらわんかてええわってお母さんは言います。そうして、田中のおばさんに息子さんの悪口もたくさん言ってます。

「12時からでって言ったら12時から13時はあかんてサラリーマンみたいなこと言わはるねん、せやから13時からにしてあげたのに20分も過ぎてから来はってん。……せやねん、せやねんみー、ほでから来てすぐもなか食べ始めてみー、……なあ! 普通お茶菓子はあっても食べへんやん!? 食い意地張ってはるわみー、はよ念仏やってくれんと買い物いかなあかんのにみー、……ほんでみー、……ほでみー」

 お母さんと田中のおばさんがしゃべるとき、よく会話の最後に「みー」ってつけます。「みー」って猫みたいに何なん?って訊いたら「……何やろ、私もようわからへん。昔からみんな言うてるから」「リズムを取る接尾語みたいなもんや」と言います。お母さんと田中のおばさんは「みー」「みー」のやりとりだけで会話が成り立ってる時もあります。

 私も真似をして学校でよしえちゃんに「新しい筆ばこ買ってんみー」と言ったら、「みーってなんなん、ダサッ」と言われてしまいました。

 おっさんの話に戻ります。おっさんは、お布施のお返しに文化の日に毎年ユーハイムのバームクーヘンを各檀家に配っていたのですが、5年前からシャトレーゼのバームクーヘンになりました。それがおととしから菓子パン3個になりました。去年もおととしと同じ、ヤマザキのアンパンとメロンパンとクリームパンの3個でした。

 お返しのランクの下がりは、お母さんが言うには「おっさん家の経済状態、あるいはケチ度を表している」そうです。なんでも、再雇用制度というのは同じ会社でもぐっと給料が下がるのだとか。

 だけど、私は思います。シャトレーゼのバームクーヘンだって菓子パンだって、じゅうぶんおいしいのに、お母さん、あまりひどいこと言わないであげてって。まあ、確かに1個くらいはマロン&マロンとかに変えて欲しいとちょっと思うけど、おっさんはおじいさんだから、パンの種類をあまり知らないのかもしれない。

 こんなことを考えていると、玄関がガラガラと開いて「すんまへん~」と声がしました。おっさんがなぜか戻ってきたのです。ちなみにうちの村ではどの家も玄関の鍵をかけません。みな、勝手にガラガラと戸を開けます。

 お母さんは田中のおばさんと電話で大声でおっさんの悪口を言ってる最中だったので気づかず、おっさんがもう1回「すんまへん~」と言ってから慌てて電話を切って「はいい~」と玄関に走っていきました。お母さんの声があんまり大きいので悪口が本人に聞こえたんじゃないかと私は冷や冷やしました。

「ほんまに言いにくいことで、すんまへんねんけど、封筒のなかに何も入ってないようでんねん」
「へっ……!? あ、あら、そうでした? おかしいですわね、入れたはずなんですけど、ホホ」

 おっさんが帰らないようなので、お母さんはまた鬼みたいな顔になって、奥の部屋にお金を取りに走っていきました。その様子を私は廊下の陰から見ていました。玄関にポツンと立っているおっさんの顔は暑さで真っかっかで、額から滝のように汗が流れていました。去年よりおっさんの身体はさらに縮こまったみたいに見えました。



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