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段ボール

午後、人波がようやく途絶えてひと息ついたおれは、なにげにサッカーの方向を見て、ギョッとした。ばばあが、買った品物をせっせとでかい段ボールに詰めている。

こういう客はたまにいる。有料の袋は絶対に買いたくないが、わざわざエコバッグも買いたくない。だから、家に転がっているおかきの空き缶や段ボールを持参して、それに買った商品を入れて持って帰るのである。入ればなんでもいいという頭なのだろう。

みんなが商品を詰めている場所に汚らしい段ボールを置くなんて、衛生上、どうなんですか!? と、他の客に詰め寄られることもあるので、こういう客は困るのだ。それに、ばばあが持ってきた段ボールは、どこかで見た覚えがある。

……あの宮崎県のロゴ、ガムテープを剥した跡……あれは今朝、ピーマンの袋が入っていたのをおれがバラして店の裏側に立てて置いたやつではないか。

「あの、お客様。失礼ですが、その段ボールは当店の裏から持ってこられたものでしょうか」

段ボールを抱えたばばあが店の外に出てから、他の客の目につかないよう、おれはわざわざ周りに誰もいないのを見計らって声をかけた。

「はあ? そうやけど」

ばばあは鋭い目つきでおれを見上げた。

「当店では、衛生上の観点から、段ボールのお持ち帰り・お持ち込みはご遠慮していただいております。どうか次回からは袋を購入していただくか、エコバッグをご持参いただけませんでしょうか」

おれは出来るだけ穏やかにばばあに語りかけたが、ばばあは早口でまくしたてた。

「スーパーは段ボールの処理が大変やから、タダで持って帰ってくれるほうがありがたいんやて、むかいの横田さんが言うてたんや」

ばばあの言うことにも一理ある。毎日膨大に出る、段ボールの処理は確かに面倒だ。少し前まではこの店でも客に無料で持って帰ってもらうサービスをしていたのだが、コロナ騒動が大きくなるにつれ、衛生上まずいということで、禁止になったのだ。

ばああはおれを睨みつけながらさらに毒づいた。

「それに衛生上ゆうたかて、どんなに気ィ付けてても食中毒になるときはなるし、コロナにかて罹かるやろ。ぶつくさ言うんやったら、タダで袋くれたらどないや」

こんなばばあに付き合ってたら日が暮れる。おれがばああに背を向けて店に戻りかけたその時、ニャー……と、か細い声が聞こえた。声のした方向を見ると、一匹の子猫が、つつじの植え込みの中から這い出てきた。大きさが握りこぶしほどしかなく、皮膚病に罹っているらしくところどころ毛が抜けた、ボロ雑巾のような汚い黒猫だった。

子猫はおれとばばあの立っている地点まで這ってきて、おれたちを見上げた。両目が目やにで塞がれている。目が見えないのかもしれない。

「あんた。ちょっとこれ、見ててや」

ばばあは段ボールを地面に下ろすと、おれの返事を待たず、再度店に入っていった。

おい! ふざけんな、ばばあ。お前に付き合っているヒマは無いのだ。これから夕方にかけてまた、戦争のような忙しさになる。十五時にバイトの面接があるし、その前に本部に報告書を送信しなければ。まだ仕上げてないのだ。何より、このクソ忙しいときにどこで遊んでたんやって、レジの兼野のおばはんにおれがどやされるだろうが。

子猫が俺の足にまとわりつき、顔を摺り寄せてきた。それが気持ち悪くて、子猫がまとわりつく度に、しっしっと、おれは足を払った。

十分ほどが経ち、ばばあが洗濯ネットと猫缶を抱えて戻ってきた。ずっと待っていたおれを一瞥もせずばばあは猫缶を段ボールに入れ、子猫を抱き上げると、

「よちよち、いい子でちゅねー。お医者さまに診てあげまちゅからねー」

と、一体このばばあのどこから出てくるのかやさしげな声を出した。洗濯ネットに猫を放り込み、ばばあはそれも段ボールに入れた。袋の下に豚肉、アサリ、豆腐のパック、チンゲン菜、みかんが見えた。

「家、すぐそこやから」

訊いていないのにばばあはそう言うと、段ボールを抱えながら東の方角へよたよたと歩いていった。

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