私にとってはたらくとは

すでに締め切られたパナさんの投稿企画を目にしたので、私なりに書いてみます。

カテゴリ

やりがい&成長、でしょうかね

要点としては

ブラックと言われる人種です。。。

  • ワイフワークバランスってなんでしょう

  • お金をいただけるってなんでしょう

  • ライスワークとライフワークを考え始めました

  • 一番時間かけてるんだからこそ

ライフワークバランス

大前提として

今の奥様だからできてきたことです。本当に感謝とかじゃ言い切れない。

昭和の働き方

私の仕事は、24時間戦えますか?を割と地で行っていました。もちろん、ミッションクリティカルな人や命を預かる人に比べれば全然軽いですが、平日日中を労働時間とする人たちの中では、異質な方の部類かなと思います。

特に20代新入社員からの3年と、38で転職した後の5年はそんな感じでしたね。後者はBtoC24時間系Webサイトのインフラ責任者でもあったので。

26で結婚し28で父親になりましたが、子育てにはほとんどノータッチ。
これをやらないと流石にキレられる。の手前ぐらいまで何もしない。って感じでした。

何でそんなに仕事するのか?という「疑問」すら思ったこと無かったです。
まぁ父の影響もそこそこあったのかなと。父親もモーレツサラリーマンでしたし、学校行事も小学校までしか出てこなかったですし。

加えて、熱量も体力もあったというのも大きいんだと思います。
幸いここまで大病はなく、精神的にも安定していたからというところで。

社畜にはならないと誓う

冗談&口先では「過労死させられたくない」とは言ってましたが、「過労」感覚がほとんどなかったです。本当に大きく体調崩していれば全然変わったと思いますけど、幸い、元気だったせいで。
「定時」「残業」という感覚も、全くに近いくらいなかったです。
まぁ、若いころは「残業代」というものが一定程度ついたので、その分は意識はしましたけど、「残業を正しくつける」意識はなかったです。過少申告派・・・なんだと思います。会社にいる時間と比較しちゃうと。

まぁ、そもそも、上司に命令されていないんだから残業じゃなくね?、くらいで自分が必要と思って働いている。。という感じでした。

強がりもあったかもしれないですが、誰かに命令されての「長時間残業」をするようなところなら、むしろ辞めてたと思います。「俺は自分で必要と思うから自主的にやってる」と思ってた+出来が悪いから時間かけているだけなので、と。

そして、他人にも強制したことは無い(つもり、はず。。。)です。若いころから「定時で帰るやつが一番優秀なやつだ」と言ってましたし。

なので、会社にやたらといるが、会社人間ではなく仕事人間です。と

価値観の問題として

「バランス」というのは、B/Sみたいな絶対指標に基づいて出さない限り、個々人の中での主観・価値観でしょ。とは思ってきました。

なので、「他人に強要しない&否定しない」「自分なりの考えを持ち、心身が元気でいる」のであれば、どんな働き方であってもその人の中で「バランス」は成立しているのだと思ってましたし、今でもそう思ってます。

1つのスタイル(モーレツだろうが定時退社だろうが)だけがもてはやされたり、その結果「働き過ぎだ!!」とか自虐する必要も他を批判する必要もない。
かつて言われた「ライフワークバランス」という価値観を否定するつもりは毛頭ないが、私には押し付けないで―。私も押し付けないから―。と思ってました。

この数年の変化

リモートワークが浸透してきたことは良いことだなぁとつくづく思います。

多様な価値観が認められ、「時間」で「仕事をした」と主張することがなくなりつつあるので。
同じく、会社という空間に居たら働いている。みたいなのも減っているので。まぁ、どこにいてもサボるやつはサボるし、やるやつはやる。

もっともっと、「結果にコミットする」が労働の現場で浸透してほしい。

お金をいただくということ

仕事なので

アウトプットが全てであり、プロセスは個々人任せ。
どんなに時間かけようが、どんなに手抜きしようが、そのアウトプットが評価されればそこに対価をいただけるし、その逆も然り。
労働時間を対価に換算する考え方は、基本的にあり得ない。

そして、「アウトプットを出す」と考えると。。。スポーツと一緒で、

  • 練習(準備)しないやつは勝てない。

  • 見えないところで練習(準備)するか目に見えるところでやるかの差。

  • 練習(準備)はあくまでも練習。本番で勝つのが全て。

みたいな感じで、自分が何に貢献するかと考えてきています。
まぁ、職種にもよりますけどね。営業時間を設ける系の仕事は、何時間働いてのなんぼというのは自然だと思います。

私が、エンジニア系だったから、「時間じゃなくてアウトプットでしょ」と考えていたというところは大きいと思います。

原体験

大学生の頃、ハンドボールの学連運営委員を3年やってました。

正直、会社仕事よりはるかにきつかったなぁと今でも思います。
スポーツやるために入った部活で、

  • 調整調整又調整

  • 春2カ月と秋2ケ月は毎日のように朝から晩まで体育館生活

  • 審判100試合以上やって、会場準備して運営セット持ち歩いてスコアつけて、興味ない試合までオフィシャル席に詰めて。。。

  • 週末も全部潰れるし、おっさんの相手まで。

  • 試合会場の手配、試合組み合わせのパズル作成(これは理系の自分には楽しかったですが)

  • 深夜まであれやこれやも珍しくなかった

これで無給。。交通費と弁当代くらいしか出ないので。
ボランティアよりもきつかったですね。
なので、社会人になって、精神的には「これでお金もらえるんだー」って本当に思いました。

応えるということ

何らかにお金を払うということを考えた場合、お買い物だろうが乗りものだろうが宿泊だろうが食事だろうが、お金を払うと言うのは、それに見合う物品又は役務の提供等を受けるということ。
支払う側の立場に立って、支払う以上の価値を得たと感じてもらう。
これが仕事であり、働くということなんじゃないんだろうか。

プロ意識みたいなものなのかもしれませんが、自分は少なくとも働くということに対してはそう思っています。会社から見た従業員への労働対価=給料なので、「会社」という支払う人に対して、「価値を認めてもらう」ことが大事である。
そこに、一般消費者がお金を払う感覚との差はないな。とずっと思っていましたし、おそらくはこれからも変わらないでしょう。

ライスワークとライフワーク

言葉への思い

最近、割と好き好んで使っています。

生活その他のために必要な収入・糧を得るために、というのが前面に出るライスワーク的なことと、
人生をかけたやりがいみたいなものを得るために、というのが前面に出るライフワーク的なこと。

野球は好きだけどそれで金を稼ごうとすると辛い。
みたいなのはどうしてもあるので、仕事や収入の確保とやりがいは別。
という人も普通にいると思います。

自分は、今まで両者を区別したことがなかったというか
「やりたくないことはやらない」
「”必要なこと”だと納得したら感情は排除する」
と思って仕事をしてきたので、2つはだいぶ一緒でした。自分にとっては幸せだったのかなと思います。

ただ、ここから先は、2つを使い分けていく必要があるかなと思ってます。

その時やりたいと思えることをやってきた、というのとライフワークは違いますし、その時やれることで何とかお金いただかないと。という意味で、稼げる手段は何なのか。は、今まで以上に見つめなおさないといけない。

年相応に。。

自分が生きてきた証を残したいなー、とか、
そんなお祖父さんの夢みたい話はさておき、まだまだ稼がないとな―。
だから働かないとな―。年金とか預貯金なんて知れてるし。。。とか。

まぁ、なので、より「生活手段として」「生きがいとして」の2軸をしっかり意識しながら「働くということ」を考えていこうと思ってます。

一番時間かけてるんだから

まぁ、少なくとも私のような人間は、人生で最も時間を費やしているのが仕事です。
多分、仕事を取ってしまうと、怠惰な人間になっちゃうだろうな。って容易に想像がつきます。

だから、これからも、自分が動いて必要とされるところで、今までの経験も生かして、なんとか働いていきたいなーと思います!

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