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情報リテラシー論(11) 長岡造形大学

こんにちは、あきぽんぬです。


今回は2106字のレポートになりました。


指導教員"よこたん"のサイト→https://yokotashurin.com/


第11回は「苦戦する紙媒体と電子書籍」について

今回のおもな講義項目は以下のとおりです。

動画:大学生の読書時間の減少/実は文字離れしてない/発行部数に依存する新聞社/新聞社に見習うべきメディアリテラシー/書店の減少/書籍販売の一般化



さて、みなさんは、読書はしていますか?


読むことでどんな力が身につくと思いますか?


いま、書店の数は減少しており、本を読む人も減っています。


そんな現状から、これからのこどもたちのことを考える必要がありそうです。



大学生の論理的思考力の低下


日本の大学生はバカです。


わたしたちは、コピペレポート製造機です。


今回、講義の始めに「大学生の読書時間が減少していること」についての動画が流されました。


私は大学2年半で、専門書、ビジネス、文学、雑誌(建築、映画、スポーツ)などの本を65冊程度購読してきました。


単純計算すると2週間に1冊しか読んでいません。


日本の大学生の4年間の平均読書数は40冊。


このペースで読み進めていくと、日本人大学生の中では平均の倍読むことになります。


アメリカの大学生は4年間で400冊、多い人は1000冊読むことがあるそう。


3~4日で1冊のペースになります。日本の10倍もアメリカの大学生は勉強のために見識を広めているのだそうです。


以下引用元:日米大学生の読書量の差について



なぜ、この差が生まれるかという原因が、大きく2つの原因がありそうです。


ひとつは大学カリキュラムの問題。


アメリカの場合は、難解な課題図書が多く出題され、それに要する読書時間も半端ではないそうです。


それに対し、私の大学では、課題図書を出すような課題は2年半で「1回」くらいしか無かったように思います。(作品制作に重きを置いているからかもしれない。しかし、文系らしく、もっと本は読んだ方がいいとは思う。)


大学のカリキュラムも悪いですが、コピペ製造機を容認する教授も問題です。


そんなコピペするような、役に立たない能力を身に付けるために大学に来たわけではないのに、それを許す先生とはいかがなもんか。よく考えてほしい。(もちろん、中には厳しく指導してくれる先生もいます)


ふたつめは「知的好奇心」。


引用元のデータの中から、「日本人の20代の知的好奇心とスウェーデン人の65歳の知的好奇心はほぼ同じ」という事実があって驚いた。そして悲しくなった。自分は65歳なのかと...


ちなみに、アメリカでは建築学科が週平均の勉強時間が最も長く、23時間(1日3~4時間)だそうです。



知的好奇心を育む建築という分野


建築をやっている身として、このデータの意味はよく分かります。


私は中学に入るまで、建築のケの字も知らずあの頃は、ただ義務教育をこなす日々でした。(理科のレポートだけは楽しかった)


高校で建築を学び始めてからは、そんなやる気のない少年の気持ちはがらりと変わります。


一つの建物を建てるためには、どんな雰囲気、どんなひとなど抽象的なことから、素材、構造、積算、社会性など具体的なものまでが幅広く関わります。


少年はそんなことも知らず、建築を学び始めて、今までの自分の人生の浅はかさ、学びの足りなさに気づきました。


そして、いまに至るというところです。


建築には「知的好奇心を活性化させる力」があります。


だからこそ、本は読みたくなるし、遊び(太鼓やサッカー、ゲームなど)から様々な事を学び取ろうとしています。



義務教育に「建築」を入れてみてはどうだろうか


建築は創作です。


創作には、想像、知識、人との関わり、沈潜、いろいろな力が必要です。


建築は、自分を成長させるものです。


そんな機会を小学生時代に少しでも経験していたら、将来「建築家」にならなくとも、「建築を経験したことのあるサラリーマン」になっていたかもしれません。


伊藤豊雄という建築家の「子ども建築塾」という取り組みがありますが、私はそれをそのまま小学校のカリキュラムに取り入れてみてほしいなと思います。(道徳と同じ感じで)


建築をひとりひとりが思い描き、かたちにして、みんなの前で発表する。


「自分の考えたことを形にして人に伝える」ことは、こどもにとってすごく有意義なことだと思います。


やる意味の分からなかった「算数、国語、社会、体育、音楽、道徳」


これらはすべて、建築として、かたちとして、表れます。


もともと、こどもたちは新しいこと好きですから、それをどんどん開花させてあげるような社会のスキームが必要です。


学びの意欲が欠けているわたしたち


「私はほかの人と違う」


そう思いたかったけど、平均読書数を見ても、経歴を見ても、さして変わらない。


読書をしないのは「学びの意欲」が足りないから。


なぜか。


何を学べば良いか分からないからである。


日本の義務教育は「与えられるもの」が多い。


誰かが敷いたレールの上を脱線することなく走ることが、安定していて幸せと捉えられている上、考えなくていいから楽だ。


こどものときに持っていた、なにかを知りたい、作りたい。


そういった大人がカリキュラムを作ったらどんなに豊かになるんだろうか。


もっと「遊び」を知っている人が増えたらいいなと思っている。























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