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ありえない奇跡の理由。見つからない答えを探して 〜第26話 パラグライダーで墜落、そして入院~

墜落して1ヶ月と20日程経った頃のお話です。

手術が終わり、3週間程経ち、病院での生活も安定してきいます。いい意味でいえば日々の生活が安定化してきました。やるべき事は体を戻すためにリハビリをひたすら頑張る。そんな日々が続いています。
悪く言えば、同じ様にリハビリをする毎日。同じ場所。同じ景色。変わり映えのしない日々が続きます。

そんな中、この日の夜はまた精神的に大きく落ちてしまいました。
リハビリは順調に進んていますが、日々の変化は微々たるもの。。。2週間前を振り返れば結構進歩しているが、一方で最終目標までの途方もない距離を考えてしまい、落ち込みます。

リハビリで疲れ果ててしまうし、お尻がすぐ痛くなるせいで、全然思うように進まないパソコン作業。本当はこの入院中に写真と向き合い、作品を作ったり、あたらな技術を勉強してレベルアップをしたいと思っていたのに。。。

思い通りに進めていない自分に罪悪感すら感じてしまう。

症状的に復帰可能性が高いといわれていても、フォトグラファー、パラパイロットとして本当に復帰できるのかという不安。仮に復帰出来る位に体が戻ったとしても、一度立ち止まってしまった分ことで仕事や将来に対する不安は新たにつきまとってしまいます。

色々な心配、不安が浮き彫りになってくる。

親が面会に来てくれた時や、リハビリ中など、誰かといる時は明るい自分が自然と出てくるので全然大丈夫なのですが、、。一人になった時、そういった不安や孤独感が押し寄せて来てしまいます。

バイオリズムというか、メンタル的なリズムもあるのかなと思います。
ならしょうがないよね、今は受け止めて流していこう。ってなる所なんですが、、。

そこに拍車をかけるように、あること考えてしまい、その答えが見つからないことに大きな迷いが出てきてしまっています。

それは、、、、。

「なぜ自分はあれだけの事故で生きていたのか。いや、生かされているのか。」

ということです。

墜落時の動画、事故の解析や、現場にいた人の話などから、多くの事がわかりました。詳しくはこちらで↓


そこから見えてきたこと。
それはいくつもの奇跡が重なっていたこと。
不自然なくらい、ありえないくらい奇跡が重なっているんです。

具体的に書いていくと、

  • 石やコンクリートでゴツゴツしていて角ばかりある場所に落ちたのに、うまくぶつからずに数少ない平坦な場所に落ちることができたこと。

  • 落ちたときの頭の位置がギリギリで石の角に当たらずにすんだこと。
    (当たっていれば即死、もしくは酷い脳障害を負っていたはず)

  • それでもヘルメットの外側がパックリ割れるほどの衝撃だったのに、脳震盪と、たん瘤だけですんだこと。

  • 左足から落ちたことで落下エネルギーが分散したこと。
    (パラグライダーの墜落はその構造上、腰から落ちて腰にダメージが集中する確率が高い)

  • 骨盤を骨折したのに、折れた骨が大きな血管を傷つけることがなく、内出血が起きなかったこと。

  • 墜落した現場に偶然にも医師と看護師がいたこと。
    墜落後すぐに駆けつけてくれて、ドクターヘリが来る前から処置をしてくたこと

落ち着いて全容を俯瞰で見た時、あまりにも奇跡が重なっている。重なり過ぎていると感じました。

落ちた場所や色々な状況から考えると、死んでしまう、もしくは脳挫傷、半身不随などの深刻な後遺症を負う確率の方がよっぽど高い事故でした。

実際、私が落ちるところを見て「頼む!半身不随でもいいから生きててくれ。。。」と願いながら現場にかけつけてくれた人がいた程でした。

なのに、、、いくつもの奇跡が重なって生き延びることができました。生きていただけでなく、怪我の割に神経へのダメージが少なくて、大事故だったのに後遺症少くなかった。将来は復帰できる可能性がかなり高いと言われました。

本当に幸運で、すごくありがたいことです。

ただ、あまりにも奇跡が重なりすぎてて、、、
「どうしてそこまでの奇跡が自分に起こってくれたのか?」
どうしてもその理由を探してしまうようになってしまいました。

頭ではわかっています。そこに意味なんかない。たまたま確率の駆け引きで、幸運なほうを引くことができたんだと。ただただ超絶ラッキーだったんだと。

頭ではそう思っているんです。でも私の心はどうしてもそれじゃ納得できないんです。あまりにも奇跡が重なりすぎてて、何かの力が働いたはずだと思ってしまう。

人によっては、
「神様が生きなさいと守ってくれた。」
「ご先祖様が守ってくれた。」
そんな風に言ってくれる人がいました。
神様なのか、ご先祖様なのかは自分にはわかりません。

でも、自分の心が、、直感が、、言うんです。

何かの力で守られた。生かされた。きっとそこにはなにかの意図や理由があるはずなんだ。 

そして、頭では「生かされた理由は後から見つければいい。今はリハビリに集中力しよう。」と考えているんです。
でも心が今すぐにでも、その答えを見つけようしてしまう。すぐに見つかるもんじゃないとわかっていても、心は勝手に走っていってしまう。そして不安に駆られてしまう。。。
そして、「そんな理由、将来もずっと見つけられないんじゃないか?」と、さらなる不安を覚えてしまうんです。事故の動画を見た2週間前からはそんな自問自答からくる答えのない無限ループで思いがぐるぐると回ってしまっています。

リハビリ中とか、誰かといる時は大丈夫なんです。でも病室で一人になった時、何かを考える時間ができてしまった時、どうしても考えてしまう。。。そうなると、また無限ループにはまってしまい、感情が走って行ってしまい、どうしようもなくなります。。。

でも自分は幸運な事に、こういう時に話を聞いてくれてる人が何人もいました。その中の一人と話をしていてすこし光が見えてきました。
迷って答えを闇雲に探す自分に言葉、それは

「それでいいと思う。焦らなくていい。答えはゆっくり探していけばいい。
というか、その探している状態が一番いい状態なんだと思う。
模索している時が一番自分の可能性が広がっている状態で、下手に答えを導き出そうとしすぎると間違った方法に進んでしまうことすらあるらしいよ。だからゆっくり探していけばいい。きっと見つかるはずだよ。」

この言葉にすごく救われました。
「答えを見つけなきゃいけない、そうしないと前に進めない。だから見つけなきゃ。」
そう思いこんでいた自分には思いつきもしないことでした。

どうやらこの模索してる状態に慣れていくべきのようです。
それでいいんだと。ゆっくり、じっくり答えを探していくことにこそ意味があるんだと。

旅は目的地につくことだけにはあまり価値がないですもんね。
旅の途中でどんな体験をしてきたのか、どんな人たちと出会ったかといった過程にこそ価値がある。

事故をしたことで、自分は新たな旅に出たんだと思うことにします。
答えを出すだけ、つまり目的地につく事だけが価値じゃない。

その道を進む過程にこそ価値がある。

ちょっと慣れるのに時間はかかりそうですが、新たな旅をゆっくり進んでいきます。

そして話を聞いてくれた友達へ。

ありがとう。


墜落をきっかけに始まった人生の旅は、続く。。。

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