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相手に変わって欲しいとき

わかってくれない人、変わろうとしない人とどう付き合ったらいいのか。
もう長いこと私の課題の一つだ。

人間だから、好きな人もいれば苦手な人もいる。苦手な人が現れたら自分から距離を置いて関わらなければいい。ネガティブな感情を向ける必要もないし、向けられたって関係ない。それでいいし、それが健全なことだと思って生きてきた。

けれど、自分の大事な人や身近な人がネガティブに傾いたとき、私はどうしたらいいのだろう。健全だと思っていたはずの”その人たちを去る”という選択を、私はまだ出来ないでいる。
大切な人だから。家族だから。

気にかけている相手だからこそ、
気付いて欲しい。正して欲しい。変わって欲しい。
何が相手をそうさせてしまったのか知ろうとしたり、それを元に変わる手助けをしたくて方法を調べたりした。話して説得を試みた。ただ力になりたかった。
けれど、きっと改善されるという希望とは裏腹に、私は頑張れば頑張るほど虚しくなってしまったのだ。
相手には受け入れる準備ができていなかったし、況してや変わるだなんて以ての外で、抵抗されてしまうだけ。相手は心を閉ざしてしまって聞く耳を持たないし、状況は悪化して暗くなっていった。怒りっぽくなって、投げやりになって、未来を諦めたようなネガティブな発言が増えた。
私はどんどん希望が遠ざかっていく気がして寂しかった。
抵抗されては傷ついて、悲しみに任せて相手を傷つけ、目指していた理想から遠ざかる自分たちにイライラした。
今思えば、私は良心という名のエゴを押し付けていたのかもしれない。


たくさん考えたけれど、
どうしたら変わってくれるのか、どうやったら変わらせられるのか、
その答えはないのだと思う。
明るい方向を見て欲しい、勇気を持って欲しい、とどんなにその人のためを想っていても誰かを変えるのはやっぱり不可能なのだ。
そもそも私の出る幕ではない。
その人はその人なりに、今日も闘っているのだから。
その本人が変わりたいと思わない限り、誰が何を言ったところで言葉は入っていかないし、心に響く出来事を起こすのは難しい。他人である私ができることは限られている。
わかっていたけれど、今回身をもって痛感した。

でもそれはつまり、裏を返せば
その人自身の力が本人を苦しみやネガティブから救うことができる
ということでもある。

誰もがその力を持っていると私は信じている。そして大切な人たちだからこそ更に、彼ら自身の力を信じたいとも思う。
私も今までの人生、何度だって乗り越えてきたじゃないか。みんな乗り越えて今ここに生きている、乗り越えられるからその人にその課題が与えられている。
それなら私はその人を信じて見守っていたい。


去ることを選ばなかったとき、
私たちが愛する人たちのためにできることはきっと、
相手を変えようとすることではなく
相手が変わる勇気を取り戻すのを見守っていることだと思う。

それは時に、愚痴ばかり言う相手を、ネガティブに不満がる相手を、肯定してあげることかもしれないし、全然変われない相手の中にポジティブを見つけてあげることかもしれない。相手に感謝することで勇気を与えられるかもしれない。
そうやってその人のタイミングを待つしかないのだ。

その間に私たちがするべきことは、相手のネガティブに影響されないくらい自分が強くなって、明るく保つ努力をすることではないだろうか。そうやって、辛い状況の中でもがく相手を救うのではなく、自分がポジティブなエネルギーを発することで灯台のような存在になれたら最高だなと思う。
きっとそれはそれで、私自身の成長のチャンスなのだ。


今、誰かに変わって欲しくて辛い思いをしている人へ、
そして未来で似たような状況に直面するかもしれない私へ、

どうか自分のエゴを押し付けないで。諦めがついたら去ったっていい。
そばに居たいと思うなら、ただ見守ってあげること。
そしてこれは自分自身の成長のチャンスでもあることを思い出して。
自分が変われば、相手も自然と変わるのだから。


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