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自分の好きなものぐらい

2年ぶりに東京へ。ひょんなきっかけから「真夏の祭典」と呼ばれる都市対抗野球を観に行った。

言わずもがな今は真夏ではない。
ここにもまた、東京五輪の煽りがある。


都市対抗=東京ドームの崩せない伝統ゆえに、連盟は秋の全国大会である日本選手権(会場は京セラドーム)を夏に回し、東京ドームを使うことができる秋を都市対抗大会とした。

まるっと春秋入れ替えるとはある意味すごい発想だなぁと思うし、伝統の重みも感じる。予選でハードなトーナメントを初夏に行うより、選手のコンディションを考慮すればいいような気もする。(秋の選手権は全チームが予選を戦うわけではない)

現に今年の東京第3代表決定戦は夜11時まで延長18回、第4代表も同じく延長戦で、JR東日本は文字通りの死闘を2戦(トータル28回だから実質3試合)こなした末に代表権を手にしている。夏だったらどうなっちゃってたんだと心配になる。



ひょんな、とは書いたものの、大学時代は予選から地方球場に通い詰めるほどの社会人野球ファンだった。

大学野球のシーズン中、週4日は神宮球場にいた大学時代。有力選手はプロに行く以外、ほとんどが社会人野球の道に進む。当然進路も気になるもの。高校野球ファンは大学野球ファンになり得るし、大学野球まで観るような人間は社会人野球ファンとニアイコールなのだ。



それでも就職で地元に戻ってからはめっきり離れてしまい、たまに選手の勇退情報を見つけては寂しくなっていた。全国大会のネット配信はあるけども、物足りなかった。やっぱり生で観たかったのだ。

今回はたまたまチケットをいただける幸運に恵まれ、久しぶりに行ってみようという気になった。


普段は応援席に入ってくれるならばと会場に行きさえすれば企業がチケットを配っているが、コロナ対策で今年はチーム券も全席指定。チケットを引き換え、裏に名前と連絡先を記入して入場する。大行列だ。

席はJR東日本東北の応援席。レフトの深いところから野球を観るなんていつぶりだろう。

内野で野球を観ると、やはりボールの見えやすさからピッチャーの球筋やボールの行方ばかりを追いがちになる。外野からだとボールのコースなんて大雑把にしか見えないし、打球が早いから野手の背中に目が行く。

ショート小山選手のステップは素晴らしかった。
足の速さは言わずもがな、無駄のない足遣いとファーストミットに吸い込まれるような的確な送球はレフト側外野から見ていてものすごく満ち足りた気持ちになった。あぁ、こういう気持ち良さが私にとっては一番の快感だった。

JR東日本の先発竹本選手はワインドアップ。実は予選も球場で観ていたのだけど内野から観るより球の伸びが分かって素晴らしかった。そして長身ワインドアップから繰り出される角度のある速球にぞくぞくした。長身ワインドアップ、堪らなく好きだったなぁ。


プレーだけじゃない。キレのある応援団、バンドの生演奏、なぜか女性が多いリードボーカル、突然登場する着ぐるみ。対戦相手のホンダの応援は一度聴くと無限ループが止まらないよね、困った全開ホンダなんですよね。


都市対抗は、プロ野球と限りなく近いレベルでぶつかり合う予選がある意味一番の見どころとも言えるかもしれない。選手の技術やチームの成熟度の高さで実力が拮抗する中、「会社の期待」「上司がみてる」の重圧もあってか独特の張り詰めた雰囲気があるのだ。

たとえ決勝まで駒を進めても、枠が4つあっても、勝てなければ本戦には出られない。そんな残酷さも孕んだ死闘が胸を掴む。


5年ぶりの東京ドームは、不思議と懐かしさはなかった。アルバイトもしていたし、何度も何度も通っていた場所なのに。




華麗な守備が一番の快感であること、長身ワインドアップが好きなこと、社会人野球が大好きなこと、球場で観る野球をたまらなく愛してること。それを思い出すときにも、懐かしさはなかった。

立ち返る場所なのかもしれない。

自分の好きなものぐらい、しっかり覚えておかなくては。茨木のり子の詩にも重なった。

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