
誰もを包含できる完璧なシステムなんて多分ない、だから作ろうとし続けることをやめない
どんなに素晴らしい仕組みを作ったとしても、そこからこぼれてしまう人は多分いるであろう、という想像力を失いたくない。
自分が想像できる範囲の人たちは限られており、常に想像を超える人たちがいる、という前提。
もちろん、だから新しい仕組みを作ろうとする。既存の仕組みを変えようとする。誰もこぼれないようなシステムにいつかたどり着けるのでは?いつか作れるのではという希望を持ちながら、でも頭のどこかで必ず「このシステムからこぼれ落ちてしまう人もいるのでは?」と疑っておく。そうしなければ、それ以上進化しない。「自分、自分たちは、このシステムは、全てを救える存在だ」と勘違いする。
だから、これまで作ったものには誇りを持ちながらも、常に疑っている。「本当にこれで良いのか?」「もっと良くできるはず」
自分の、自分たちの今の限界を冷静に知っている人はかっこいい。
そして自分の傲慢さは自覚しておきたい。自分に対して傲慢だなあとよく思う。
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アクティブ・ラーニング、大事だけどそれに乗れない子たちのこと考えてる?
イエナプラン素敵だけど見通しのない対話の時間がしんどい子たちもいること知ってる?
「共に過ごす」ことをしんどいと感じる子がいたらどうする?
自分が考えた「最強の支援方法」がつらい人がいたらどうする?
自分の思う「最強の指導方法」で学べない子がいたらどうする?
衣食住があることが前提のサービスはそれが担保されない人には届きづらいこととか、
情報を入手することが当たり前じゃない人はものすごくたくさんいることとか。
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だいぶ遅れたが、ようやく昨日「万引き家族」を見て、そんなことを考えていた。
最近はこれまで自分が知らなかったことをたくさん知って、そこで活動しておられる方々に出会い感動と嫉妬の組み合わさった感情になり、想像力の幅が増えて、久しぶりに滾っているのです。
写真は96歳のばあちゃんの塗り絵作品。