誰もが「見捨てられない」と体感できる「おせっかい」地域づくり-静岡方式視察-
先月、「静岡方式」を視察に行ってきた。
「静岡方式」は、特定非営利法人青少年就労支援ネットワーク静岡が中心となり取り組む伴走型就労支援のこと。就労をすることが困難である状況にいる人に対し、ボランティアが継続的に伴走することで、自立を実現していく。就労支援をするボランティアの方々は、就労支援の専門家ではなく「地域の専門家」。
なんと、静岡県内に1,000名ものサポーターが登録しているとのこと。
興味を持った背景としては、最近の私のnoteを見ている人は分かるかもしれない。「支援」の専門家を増やす取り組みをしている一方で、この1年程とくに「支援」という名の元の傲慢さや暴力性、無意識な支配に対し問題意識を持ってきた。それは、特に「支援者」や「専門家」の鎧を着た時の自分に対して思ってきた。例えば「アセスメントをすること」そのものが傲慢である。本当に「共生社会」を作るために、自分が専門家として働くことは、ある意味よけいに分断を生んでいるのではないか、と危惧していた。「専門性」を求めることは、意図せずに「専門家ではないと関われない」と思わせてしまう(決してそうではないのだが)。当然困難な状況を解決するための専門性は重要である。一方で、だからと言って、「専門家じゃないと」接することができない、伴走できない、というのは違う。
私が目指したいのは、根本に多様性への寛容性、人権の尊重、そして相互扶助の文化のある社会。その上でやっと特化した問題解決のための「専門家」が役に立つ。
「通常」教育と特別支援教育が分断の道をたどってきてしまったのは、根本に相互扶助や人権尊重の考え方が失われているからではないだろうか、と考えている。(この話はまた今度)
そういった問題意識からたまたま「静岡方式」の本を読んだら、自分にとって理想的な相互扶助の地域コミュニティの実態がここにあるのでは?と感じた。「素敵」と思っていたら、たまたま会社に視察にこられるという。アテンドをさせていただいてお話したところ、とても興味深く「実際に見たい!」となり今回の視察が実現した。
一人で行こうと思っていたら、たまたま声をかけた二人、そして今回沼津のことを紹介してくれた同僚も一緒に行くことに。珍しいメンバーでの旅でした。結果、共有できる人たちがいてよかった。
所属感を感じる場所があることが自立につながる
まず視察させていただいたのは、株式会社大心産業さん。人材派遣、清掃業、建設業などされている会社さん。青少年就労支援ネットワーク静岡と一緒に活動をされている。
そこには私が知らなかった世界があった。生活困窮者、元受刑者や少年院を出院した方を雇用し、生活支援もセットで自立に向けた伴走をみなさんでされていた。社員150名中、6割がなんかしらの困難さを抱えておられたとのこと。住居も用意し、そこにまずは泊りながらさっそく仕事のマッチングが始まる。
同じ住居に住むことでコミュニティができる。なにか衝突が起きたらお互いに解決する。この写真は衝突を防ぐためにそのコミュニティに属する方々が作った生活上のルールとのこと。
社長の渡邉さんにお話しを聞くと、「支援って感覚はなくて、困っている人がいたから助けていた。派遣会社の延長上。他の派遣会社よりは情に厚い。たまたまそういう方がいて、そこから支援がはじまった。」とのこと。ご自身が昔困っていたから、今困っている人がいたら助けたいだけ、とのこと。
入社が決まると、スモールステップで徐々に働く時間を増やしていくと思いきや、うまくマッチングするところを探しながら、初めからがっつり働くとのこと。まさにTrain then placeではなく、Place then trainの考え方。「訓練してスキルを身に着けてから仕事」ではなく、「仕事をする中でスキルを身に着けていく」。
多くの方がこの会社からの派遣で、その後正社員になっていっている。そして、今度は正社員になった人が新たに派遣を受け入れる担当になってゆく。そうやって循環していっている。
沼津にずっと住んでおられる渡邉さん、そしてご自身のこれまでの人生がいろいろあったから、だからこそ為せることなのかもしれない。青少年就労支援ネットワーク静岡代表・津富先生にお聞きしたところ、他にもこのような取り組みを独自にされている方は全国におられるとのこと。知らなかった。既存のシステムの狭間にいたり、どうしても「こぼれてしまう」人たちを「どうにか」支援しているのは渡邉さんのような方たちなのだろう。
大心さんは大変居心地がよく、初めて訪問した私でさえも所属感を感じるような、そんな雰囲気だった。「どんな自分であってもこの人たちは見捨てない」そういう雰囲気を感じとることがでいた。それが「当たり前」なんだろう。一緒に訪問した3人も圧倒され、「なんかよくわかんないけど素敵すぎる!」「これまでとは違う世界」と。そして、所属感を感じられる場所があることこそが自立につながる、と確信。
良い距離感でおせっかいしやすい工夫がインクルーシブな地域をつくる
その後は、とても美味しいお昼をいただいてから青少年就労支援ネットワーク静岡の代表・津富先生からのお話と質問タイム。
ボランティアサポーターのみなさんがどのようにして伴走型就労支援をしているのか?
刺さるフレーズがバンバン出てきた。嫉妬するくらいの。
・誰もが立場を入れ替えうる
これは言葉で言うのは簡単だけれど腹落ちして文化にしていくのは難しい。どうしても支援「する」側と「される」側に固定的に分けがち。静岡方式では、「されていた」人が「する人」、つまり支援を受けていた若者や生活困窮者がサポーターになっていく循環がある。もともと支援を受けていたけれど今はサポーターです、という方がたくさんおられた。流動的な関係性がお互いに助けが必要な時に躊躇せず助け合える文化を作っていた。
・就労支援だけやっていても問題が解けない
これは私も実感すること。衣食住が整っていない方に就労支援だけしても仕方ない。ただ、特定の団体や機関だけですべてを担うのは限界がある。そして、行政の資金ですべて解決することも難しい。だからこその地域づくり。地域の人たちをどんどん巻き込んで、「できることからやる」文化を作っていく。1,000人のメーリスに「炊飯器がなくて困っています」とメールすると、4,5個くらい集まったりするとのこと。自分ができる範囲のことでいい。まずはメーリスに登録するだけでもいい。そのネットワークがあるから、就労支援だけのぶつ切り支援、縦割り支援にはならない。
・「良い」取り組み(例:シェアハウスとか)から貧困は分断されがち。
これも日々感じていたこと。世の中には「社会貢献」的な取り組みが増えている。一方で、そこにたどり着けない多くの人たちがいる。以前「条件付きのインクルージョンへの違和感」について書いたけれど、まさにその問題意識から書いた。良い取り組みが増えるのは良いけれど、そこからも排除されがちな人たちや、そもそも届いていない人たちがいることを自覚しなければ。そして、だからこそ地域という文脈で解決していかないと、届けられない、とのこと。
・隙間を支援の生態系で埋める
地域には多様な支援がある。一つひとつの支援が孤立しない。仲良くやる。お互い少しずつ混ざっている状況が良い。どんなにシステマティックにしても、隙間ができてしまう。だからそこはネットワークで埋めていく。
本当にそう思う。自分ですべて、自分たちですべてできるわけがない。だからお互いに得意を活かし合う。
・人に頼らないと生きていけない、という感覚がなんとなくある大切さ
これは、「地域や組織の特性によっては機能しないのでは?」という質問に対して。地域によって、「人に頼らないと生きていけない」を体感している人が大半かどうかが異なるとのこと。そして人口が多いと、そういう文化のあるコミュニティとそうではないコミュニティが分断されている。身近に、切実に頼らないと生きていけないひとがいたかどうか?自分自身がそのようなことを体感したことがあるか?
・やりたい人がいたら、応援するだけ。
これは、質問をしたときに、今回案内をしてくださった小和田さんがおっしゃっていた言葉。言葉で支援の方針を伝えてもしょうがないから、まずは何かやりたい、役に立ちたい、という人がいたら、その人を応援するだけ、とのこと。上下関係をつくってしまうと、指示になってしまうから、対等に応援をする。場を作る。すると、つながり合っていく。
対等でごちゃまぜな空間
その後は、沼津での集まり「サポぬま」のサポーターのみなさん、これまで支援を受けたことのあるみなさんと座談会的におはなし。
みなさんに「なぜこの集まりに関わるようになったか?」や「魅力的なことは?」などご質問した。
ある方は元々は相談者、今はサポーター。ご自身がトランスジェンダーとのこと。現在はLGBTに関わる悩みを抱えておられる方が気軽に来られる集まりを月1回主催されている。「都会にはそういう集まりがたくさんあるけれど、ここにはあまりない。だからハードルをなるべく下げて、ただお茶をみんなで飲むだけの場所にしたい」
ある方はご自身の趣味の将棋をやる会を月1回開催されているとのこと。そこに来られた統合失調症の方と共通の趣味(きのこ!)が見つかり、一緒に山に行ったり、これまで栽培に成功したことのないきのこの栽培にチャレンジしたりするとのこと。
ある方は、はじめは別のサポートの場に行ったけれど、そこは「居心地が悪かった」とのこと。サポぬまに来ている理由は居心地が良いから。今は就労をされていて、今後サポーターになる宣言を先日したとのこと。その方がサポーターになる宣言をしたら、他の元「被支援者」の方々も、「自分も!」と宣言をされたとのこと。
私たちもそれぞれのストーリーを話した。なぜ今の仕事や活動をしているのか。今日なぜ来たのか。気が付いたらそれぞれプライベートな話まで吐露していた。私もそれぞれの話はあまり聞いたことがなかったから、初めて会社に入った経緯を聞いたり。
印象的だったのはあるサポーターさんの言葉。
「あんまりありがとうって言われちゃうと逆に心配になる。すっと次のステージに行ってくれた方が『よし』と思う」とのこと。
「支援者」が陥りがちなポイントをよくご存じだ、と思った。
本当に「ありがとう」と感謝されることが評価なのか?その人がその人らしい人生を歩んでいる様子そのものが、喜び、ではないか。
他のみなさんの中にも、「なんか居心地がいい」との声が。「理由はわからないけどなんか居心地がいい」ってものすごく大切な感覚なんだろう。言語化できないけど、ここにいたいと思う感覚。誰も自分を見捨てない、という感覚。そして、支援者ー被支援者といった関係性ではない、それぞれが支援者でありそれぞれが被支援者である、ごちゃまぜな関係性。
この取り組みはある種の社会実験的取り組みだと感じた。例えばキーパーソンたちがいなくなった時、果たしてどこまでこの文化は継承されるのだろうか。本当にそんなに理想的な相互扶助の地域はできるのだろうか。
少し距離を縮めて、おせっかいがしやすくなる工夫。
ちょうど良い距離感のおせっかいは人を救う。そして、それは一対一の関係性というより、集団の力動であり、生き物のように形を変えていく。津富先生は「集団のガタイがおおきくなるのではなく、分裂していく」とおっしゃっていた。
この次に行った時にどうなっているのかが楽しみ。どうしたらうまくいくのか?の公式なんてない中、超難しいことをやろうとしているネットワークのみなさんかっこいい。
「津富先生だから、静岡だからできる」と何人もの人に言われたことだろう。けれど、結局だれかが意志を持って行動しないと始まらない。失ってはならないことに敏感に反応し失わないように行動し続けておられることを尊敬する。
今回の視察は大きな衝撃を私に与えた。自分がこれまで取り組んできたことには誇りを感じるけれど、一方で足りていなかった視点をたくさんいただいた。
完璧なシステムなんてないけれど、完璧を目指し続けるシステムを作りたい、と改めて思った。
同行した一人は「もはや沼津に住みたい!」そしてもう一人はもう次に誰を連れていくか声をかけた、とのこと。
終了後はごちゃまぜな飲み会。恋バナをする人も、仕事や活動について真剣に話す人も、それぞれのプライベートについて吐露しあう人も、言葉どおりの「ごちゃまぜ」。
まだ言語化できていない部分、整理できていない部分も多い。ぜひ取材上手な方に行っていただきもっと上手に書いて欲しい...
視察を受け入れてくださった青少年就労支援ネットワーク静岡のみなさま、サポぬまのみなさま、大心産業のみなさまに感謝申し上げます。特にコーディネートくださった小和田さん、米山さん、津富先生、本当にありがとうございました!
※掲載の許可をいただいております。
※サポーター登録者の数が間違っていたので修正しました。県内1,000人のサポーターがおられるとのことです。(8月20日追記)
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