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大学院のこと(6) (留学・進学体験談)

大学院での実体験を紹介するシリーズ「大学院のこと()()()()()」の続き。

不正入学したものの、大学院の授業についていけず悩む学生。自分が学部生なのか院生なのかも答えられず、講堂から追い出されてしまったクラスメイト。学位取得を秘書に堂々と代行させている企業経営者。そうした数々の歪みを「金さえ積めばなんでもOK!」というアカデミックな解釈で黙認し続ける先生たち。大学院とは何か、学位とは何かについて考えざるを得なくなる現実を書き記したのが前編(5)である。

本編では、話を教員に戻し、アカデミアならではの「先生たちのサボり癖」について書き進めたい。なぜならアカデミアにはアカデミアの常識があり、学生たちがあの手この手で不正に学位を得ているように、先生たちもまたあれやこれやと口実をつけて授業をサボりまくるということが、この世界では決して珍しくないことがわかってきたからである。



職員最大のテーマは「いかにしてサボるか」


学校であれ実社会であれ、誰しも面倒くさいと思う作業(業務・課題)はある。サボりたいと感じることもある。学生たちが授業をサボろうとする様は、キャンパスの風物詩ともなっている。ただ社会に出ると、いくら面倒でも簡単にはサボれなくなる。対価をもらっている限り、社会人はそれに見合う価値を提供しなければいけないからだ。

ただ、アカデミアではそんなことはないらしい。もちろん人にもよるが、サボる人はサボりまくる。全然授業にも来ないし、そもそも大学に来ない。というか、国内もいない。連絡も取れない。それでも大学の先生は務まるのだから、何と生ぬるい職業なのだろう。

例えば、入学前から楽しみにしていた「Data Journalism」の先生は、最初の授業で私たちにこう宣言した。

「私は近々シンガポールに引っ越すので、教えられるのはあと少しの間です」

育休明けでただでさえ忙しく、明らかに集中力を欠いていたその先生は、講師への復帰と同時にGoogleでのフルタイム職にも復帰していた。大学院での講師の仕事は片手間で回すつもりだったのだろう。授業は週に1回(学期中全部で15回くらい)しかなかったが、それでも先生はほとんど学校には来ていない。先生が大学に来たのは、数回だけだったと記憶している。2017年当時はコロナのパンデミックが起きる前だったが、私たちの授業は基本的にはリモートで行われた。先生はGoogleのオフィスにいて、そこからカメラに向かって話をする。それを教室に集められた我々学生がモニター越しに聞くのである。

授業がリモートで行われるのは構わないが、ではなぜ私はわざわざ高い費用をかけて香港に滞在し、わざわざ夜のキャンパスで教室に座って講義を聞かなければいけないのか?リモート授業なら、日本のアパートのパソコンの前に座っていても受けられたのでは?と思わざるを得なかった。

教室に座った数十人の学生が一つのスクリーンに向かって話を聞くというのは、非効率で奇妙だった。先生も私たちも、双方がよく見えない状態で、3時間も話を聞き続けるのは苦痛であり、授業はたいてい早めに終わった。先生が何を話していたのか、覚えていることは一つもない。

超多忙な先生が、彼女の職場であるGoogleオフィス内で授業を開催したことも一度だけあり、私たちその夜だけはオフィス街に向かった。google社内での授業が終わり、ビルの外へ出た時、仲の良かったアメリカ人のクラスメイトが、呆れ顔でこう言ったことを覚えている。

「毎回場所は違うけど、3度も同じ話を聞かされるとさすがにうんざりする」

その日の先生の話は初回の授業とほぼ同じもので、実はその内容は、前の学期(前期)の最後に、Digital Journalism and principalの授業の特別ゲストとしてやってきた時にもしていた同じものだった。友人は続けた。

「最初に聞いた時は面白そうだったし、だからこの授業を履修しようと思ったんだけど、結局彼女は同じ内容を何度も使い回しているだけで、全然先に進んでいかない。授業は何度か受けたけど、私たちはまだ何も学んでない」

先生は自分の授業を売り込むことには熱心であり、興味深いプレゼンをする能力には長けていたが、いざ授業が始まると中身はなく、徹底的に授業から逃げた。先生は3度も同じプレゼン資料を使い回したあげく、最初の授業で宣言した通り、学期の半分を待たず香港から消え去った。以後、先生がどうなったかは知らない。


先生には自分勝手な先生の人生がある


大学よりもGoogle社内での出世の方がずっと大事。と考えた先生の気持ちは分かる。先生にも先生のキャリア人生があるからだ。ただ、それなら講師の仕事など引き受けないで欲しかった。

Googleの先生と同じ気持ちを抱かせたのは、もう一人のサボり魔の准教授、第話でも取り上げた「Media law and Ethics」(報道の法と倫理)の先生である。

「報道の法と倫理」を学ぶ授業は、60代の元ジャーナリストのアメリカ人の女性が担当していたが、彼女は学会や子どもの病気といった様々な理由から授業にはあまり来なかったため、カナダ人の女性のTAが代理で来ることが多かった。

大学院のこと(4)

前期が始まったすぐの頃は学会で抜けることが多かった先生だが、途中から「息子の病気」という新たなエクスキューズが加わり、先生は実家があるニューヨークと香港とを毎週のごとく往復する生活に入った。

ちょうどその頃、私は大学院での勉強と並行して、とある本の出版準備をしていた。12月発売予定の書籍は、編集の最終段階に入っていたが、そこで一つトラブルが発生した。取材をしたNPOの一つからクレームが入り、文章の差し替えを求められたのである。それは簡単な変更依頼ではなく、元の論点を覆してしまうような受け入れ難い要求だった。

なぜ出版直前になって、そのような指摘が入ったのかは分からなかった。書籍化する前段階の連載時には、団体側からも承認されていた内容であり、インタビューテープにもその通りの文言が入っていた。差し替え要求をしていたのは団体の幹部だったが、直接の取材を受けてくれた団体職員自身は、自らが話した内容に変更はなく、なぜ今更そのようなことを上司が言い出したのかが分からず困惑していた。しかし上司は裁判も辞さないとの構えを見せ、差し替えに強くこだわった。

若い担当編集者は青ざめ、このままでは出版できないと連絡してきた。団体が「AではなくBと書いてくれ」と言ってきたとして、もしも未発表の段階(Web雑誌への掲載前)ならば、それが団体の意思である限り、「Bである」と書き換えること自体は問題ではない。私たちの仕事は、誰かの主張を捻じ曲げることなく世の中に伝えることである。

ただ、連載時にはAと聞かされ、Aであるという主張を通すために編集し、全体の構成を整え、補足を入れて、その内容で一度は承認を得て発表したものを、書籍化にあたって、いきなりAではなくBだというのは、団体の信用(結局はどっちが本意なのか?)や、書き手としての私の信用(連載時とは逆の主張を発表する矛盾)に関わる。こういうケースでは、書き換えることと据え置くこと、どちらが法的倫理的に正しいのか、私にはよく分からなかった。

ただ出版社の意向は「書き換えて出版する」という方向で固まっていた。なぜなら弱小だった版元にとって、専門家しか知らないような裁判用語をチラつかせながら変更を迫ってきたNPOの姿勢は、ただただ脅威でしかなかったからだ。

「裁判を起こされて出版を差し止められたら、うちの会社では対応できません…」

編集者が怯えるのは無理もないことだったが、取材テープと連載時のやりとり(団体側の承認)がある限り、訴訟になっても負けることはほとんどないとも考えられた。そもそも、団体の主張(最終主張)を歪める以上に、一度発表した内容を歪めることの方が、倫理的に問題なのではないかとさえ思えた。そこで、それらの問題の専門家である「報道の法と倫理」の先生に、ちょうどこの機会を利用して私は相談することにしたのである。

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