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大学院のこと(3) (留学・進学体験談)

大学院への進学体験談「大学院のこと」()()の続き。

大学院へ進学することが決まり、入学前の準備に追われた前回記事。一般社会から隔絶された「アカデミア」という空間は、外部からきた私の目には、かなり異質なものとして映った。また、香港という政治的に複雑な地で、大陸出身者(中国人)、香港人、それ以外、という分裂した3つのグループを欧米人の先生が教えるという構図にも、いくつかの戸惑いを覚えた。今回はその続編として、9月1日に始まった授業の様子や先生、クラスメイトたちの話を、体験をもとに書き進めていきたい。

ジャーナリズムを学ぶということ

私自身は、元はと言えば芸術系の勉強をして旅人になり、気づいたらライター業をやっていたという人間である。ライター業にもいろんな種類があるが、7年ほどフリーランスをした結果、必要なのはジャーナリズムの知識とイロハ、またその業界での人脈のようなものではないかと考えて大学院へ進んだことは既に書いた。ただ、実際に「ジャーナリズム」を学び始めて感じたのは、そもそもジャーナリズムとは何なのか、という疑問であり違和感だった。




インテリの偏見と歪んだ正義

授業が始まるとすぐ、先生たちの政治思想が明らかになった。人それぞれどのような思想を持っていようと自由だが、気になったのは、先生たちの個人的な政治思想をベースとした判断基準で授業が進んでいくことだった。

前期に履修した全5科目の担当教員は、学科長を含め計7名いたが(うち一人は、法律の授業を代行していたTA)、7名は全員が旧西側の出身で、4人がアメリカ、2人が西ヨーロッパ、そしてTAがカナダ出身という構成だった。せっかくアジアに留学したのだから、できればアジア出身の先生からも学びたかったが、残念ながら先生の出身地は欧米に偏っており、また政治思想は欧米リベラル、もっと言えば、アメリカの一昔前のリベラル思想一辺倒だった。

とりわけ私が入学した2016年の9月は、その2ヶ月後の11月8日にアメリカ大統領選挙を控えており、先生たちの関心はもっぱら大統領選にあった。より正確には「共和党のトランプ候補を徹底的に嫌悪すること」にあったと言える。またそのような人物を支持する者たちをバカにし、その神経を疑うという方向へと決定付けられていた。そうした授業の進め方や価値基準について、私は入学早々から三重の意味で疑問を覚えた。


アメリカを中心に世界は回っている思想

まず、せっかく香港にいるにもかかわらず、アメリカの選挙の話ばかりしなくてはいけないことへの違和感があった。確かにアメリカ大統領選は世界にも影響を与えるビッグトピックかもしれないが、結果として直接的な影響を受けるのはアメリカの人たちである。ジャーナリズム学科に約80人いた学生の中で2人のアメリカ人を除くその他ほとんどの学生にとって、とくに9割近くを占めるアジア人学生(うちほとんどが中国人と香港人)にとって、大統領選挙は結局のところ「よその国の話」でしかない。もちろ投票権もない。それでも先生たちが、アメリカの次期大統領がトランプになるかもしれないことを、全世界的な問題であるかの如く語る姿には引っ掛かるものがあった。アメリカ国内にいる人たちがアメリカ中心主義に陥るのは理解できる(また実際に目の当たりにしてきた)が、海外の大学にいる間ぐらいは、もう少し別のトピックに目を向けてもよいのでは?と、思わざるを得なかった。


ジャーナリストか? アクティビストか?

次に、いくら共和党やトランプ候補が嫌いでも、そのような個人的な好みを全面的に押し出してくる(学生に押し付けてくる)姿勢には違和感を覚えた。全ての話が「トランプは悪」という前提のもとにされており、先生を取り巻く空間内にはトランプ支持者など絶対にいるはずがないものとして議論が展開されていた。確かにそこにいた学生の9割以上は「アメリカの大統領が誰になろうと知ったこっちゃない」と思っていたはずであり、トランプ支持者はいなかったかもしれないが、それでも先生の偏った姿勢は、言論空間を抑圧するものだった。

断っておくと、私はトランプ候補を支持していたわけではないし、トランプ候補への嫌悪や、共和党を支持しないという態度を目の当たりにして驚いたわけでもない。私自身は学部生だった4年間をアメリカのブルーステイト(カリフォルニア州)で過ごし、非常にリベラル色が強く、多様性とアヴァンギャルドの先端をいく学部で芸術を学んだという過去がある。私が接してきたアメリカ人の9割近くはリベラルな民主党支持者であり、そうした身近な人たちが、トランプ候補の人格や思想、移民排斥を肯定するような主張に強く反発していることは知っていた。またそうした人々の不安や憤りを、部外者とは言え、私はある程度共有し、支持する立場をとっていた。私とて、自国の元首がトランプ候補のような発言を繰り返していたら、その口をなんとかして封じたいと願っただろう。

しかし、そうした個人的な政治観とは別に、教授たちの姿勢には受け入れ難いものがあった。なぜなら私は、大学院にジャーナリズムを学びにいっていたのであって、アクティビストを目指していたわけではなかったからである。

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