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らくがき帳(定期購読マガジン)

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記事一覧

【森の家⑦】〜キャベツは通貨崩壊に効く〜

このところ物価上昇が続いている。食料品も、ガソリン代も、光熱費も、これからもっと上がるらしい。鮮魚売り場に行くと「高くなったなぁ」とため息が出る。マヨネーズも、カップ麺も、バターも牛乳も油類も、じわじわと値上げが止まらない。 私たちは今、30年ぶりのインフレを経験している。物価が上がる原因はいろいろあるが、急激な円安もその一つ。10年前、1ドル=101円だったドル円相場は今、1ドル=160円近くまで(5/1現在157.68円)円安ドル高が進み、まだまだ止まる気配もない。要す

大学院のこと(8) (進学・留学体験談)

大学院でジャーナリズムを専攻したら、どんな日々が待っていたか?その実体験を書き進めていく本シリーズも今回で8回目を迎えた。 2017年に修士課程を修了して以来、できれば忘れてしまいたいと考え、実際にしばらく忘れていた大学院への留学体験。今改めて「何が起きていたのか」を思い出しつつ書いていると、在学中に抱いた違和感やネガティブな感情がよみがえってきて、自分の愚かな判断(安易に進学してしまったこと)への反省と共に軽い自己嫌悪に陥っている。しかし同時に、「書くことで整理し、きちん

『リバタリアンが社会実験してみた町の話』(読書メモ)

ある心理的研究によれば、 と推測されているそうだ。なるほど、そのせいかもしれない。私がリバタリアニズムに興味を持ったのは…。 リバタリアニズムとは、自由至上主義のことである。この数年、「国家権力や既存の社会システムからの離脱」について考える機会が増えたことで、アナーキズム(無政府主義)やリバタリアニズムといった思想にも少しばかり関心を持つようになった。 関連本として目を通した『リバタリアニズム~アメリカを揺るがす自由至上主義~』(渡辺靖著)によると、リバタリアンとは、自

【森の家⑥】〜森の脅威とトイレの神様〜

長い助走期間を経て、いよいよ【森の家】が始まった。助走していた間にも地域の人から話を聞いたり、元の持ち主さん(売主)と話し合いを重ねたことで、購入と同時に突然始まったという感じはなく、出入りを繰り返すうちに気づいたら始まっていた、というのが実感だった。 売買契約書を作成する上で、私が唯一こだわった点が「売り主さんの責任で残置物を処理してもらうこと」だった。古家の中に詰まった所持品やゴミなどを撤去した上で物件を明け渡してもらうという意味だ。古い空き家の売買では、「残置物」がよ

【森の家⑤】〜AI時代の不動産売買〜

家にせよ、土地にせよ、不動産を所有することは生涯ないだろう、というのが30代までに考えていたことだった。私は小さなアパートでの賃貸暮らしを気に入っていたし、引越しをするのも好きだった。高校卒業と同時に実家を離れてからの20年間は、海外で暮らした時間も長く、賃貸アパートに加え、間借り(ホームステイ)やシェアハウス、学生寮などを転々として、随分といろんな環境で生活してきた。一年の半分くらいは旅に出て家を空けていたのもあって、「マイホーム」が象徴する定住型の暮らしに自分を重ね合わせ

大学院のこと(7) (進学・留学体験談)

大学院での実体験を紹介するシリーズ「大学院のこと(1)(2)(3)(4)(5)(6)」の続き。 大学院の先生たちは、ある意味で「タイパ教」または「コスパ教」の信者のような人々であり、極力自分の時間や労力を使わずに「授業をやった」ことにしてサラリーを得ることに長けていた。掛け持ちしている仕事先からテレワークでちょろっと教えてみたり、同じ教材を繰り返し使って時間稼ぎをしてみたり。なんやかやと言い訳をして(嘘までついて)授業にさっぱり来ないくらいならカワイイもので、学期早々に国外

【森の家④】〜古家をひとつ買いました〜

3年半続いた物件探しは、気がつくと限界集落を中心に最終段階へと向かっていた。別荘地ではなく、置き去りになったニュータウンでもなく、ゆっくりと衰退に向かう昔ながらの里山の集落。まだ重機も何もなかった時代に、手作業で切り拓かれた段々畑があり、自然本来の地形に抗わない謙虚な佇まいが心地よかった。 過疎地の集落を見ていくと、集落(区)にもそれぞれに色があり、どんな集落のどこに住むかで、その後の暮らしのあり方は随分と違うものになりそうだった。たとえば集落内の民家10軒のうち、人が住ん

【森の家③】〜物件探しの長い道のり〜

和歌山の友人宅で目にした「あの日の風景」を追いかけて、私はこの3年半、物件探しを続けてきた。とは言え、初めから「何をどう探せばいいか」が分かっていたわけでは全然なく、遠回りもたくさんしたし、行き詰まったことも何度かあった。 またそれ以前のこととして、私は自分自身が「何を求めているのか」を実は分かっていなかった。当たり前のことではあるが、どんな選択肢があるのかも分からないうちに何かを正しく選び取ることはできないからだ。 過疎地、空き家、地方、田舎、自然豊か、森の暮らし、中山

大学院のこと(6) (留学・進学体験談)

大学院での実体験を紹介するシリーズ「大学院のこと(1)(2)(3)(4)(5)」の続き。 不正入学したものの、大学院の授業についていけず悩む学生。自分が学部生なのか院生なのかも答えられず、講堂から追い出されてしまったクラスメイト。学位取得を秘書に堂々と代行させている企業経営者。そうした数々の歪みを「金さえ積めばなんでもOK!」というアカデミックな解釈で黙認し続ける先生たち。大学院とは何か、学位とは何かについて考えざるを得なくなる現実を書き記したのが前編(5)である。 本編

【森の家②】〜限界集落に住を求めて〜

八月の昼下がり、古い民家の玄関先に雑種犬が腰をおろしている。犬はくつろいでいるが、その鼻は家の前の森から漂う複雑な匂いを嗅ぎ取っている。その耳は辺りに広がる山々から雑多な音を拾い続ける。日に数回だけ、集落の人や郵便屋さんが近くを通りがかったりすると、首を伸ばし、耳を立て、そちらの様子をじっとうかがう。 犬は時々、どこかへ出かける。近所の森の腐葉土の下に小さな獲物を見つけに行ったか、裏の藪のミツバチの巣箱を巡回ついでに嗅ぎに行ったか、何をしてきたかは本人にしか分からない。犬は

大学は鍋をする場所ではないし、自由を学ぶ場所でもない。(「大学院のこと」番外編)

アカデミアに疑問を投げかけるシリーズ『大学院のこと』の第6話目を書いている最中に、奇妙なニュースを目にした。「大学の授業中に鍋をする学生が現れた」というものである。 事の詳細や背景は正確には分からないが、ネットを読む限りでは、以下のようなことらしい。 誰がどこで鍋をやろうと構わないが、鍋が行われた場所が大学の教室(授業中)であったこと、また許可した教授がSNSでその一件を取り上げて称賛しているということから、『大学院のこと』の番外編として本件について書くことにした。 私

【森の家①】〜観察から実践へ〜

大学院でジャーナリズムを学んでいた頃、あるクラスメイトが質問をした。 「紛争地を取材中に目の前に瀕死の地元民がいたとして、僕たちは取材を続行すべきなのか。それとも取材を止めて、その人を助けるべきなのか」 質問をしたのは、これからジャーナリストを目指そうという取材未経験の学生だった。ベテランジャーナリストの先生は、苦笑いをしてこう言った。 「それはまた古典的な問いだな」 ジャーナリストの仕事は取材・報道であって人道支援ではない。取材対象にいちいち心を奪われて、自らが問題

大学院のこと(5)  (留学・進学体験談)

久しぶりに「アカデミア」の世界に戻り、違和感だらけの中でスタートした大学院生活。香港大学の修士課程での体験をご紹介するシリーズ「大学院のこと(1)(2)(3)(4)」の続き。 先生たちのほとんどは「ベテラン」と呼ばれる元ジャーナリストだったが、言い換えればそれは、引退後のじいちゃんばあちゃんたちの再就職先と化した大学院の現状を表していた。取材も編集も配信も、それ以上に報道の意味や概念そのものがデジタル化によって一変しつつあったその最中に、20世紀型のアナログな手法を変えよう

思考は未来を必要とする(雑感)

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