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【小説・MIDNIGHT PARADE】[2]Give Me Your Love


 前回はこちら。

 あ、あの女子高生だ。一之瀬は、フロアで踊る女を見て、酔い潰れてしまった先日の自分を思い出す。説教しといて、あのざまはないよな。そう思うと、穴があったら入りたいような気分になった。寝げろ吐く時は仰向けは危ないからね、ちゃんと横向いて吐くようにね、なんて注意されてしまったら年上の威厳など形無しだ。しかし、あの子、確か十六歳って言ってたな。若いよなぁ。一之瀬は、二十一歳、大学生の分際でしみじみ思う。

 一之瀬も『ajito』で夜を過ごしながら、学校つまんねぇよ、などと言っている連中の一人だ。小金持ち、車持ちの大学生なので、いつも皆に便利に使われている。そんな扱いに納得のいかない思いを味わいつつ、まぁ、でも可愛い子がいたらお持ち帰りかな、と思いながらも、実家住まいでそれもままならない。結局、一之瀬は、いつもここで酔って映画や音楽の薀蓄を話し出し煙たがられるか、酔い潰れて誰かに介抱されるかだった。しかし、一之瀬は、それがまた結構、好きなのだ。

 大好きだったバスケットボールも遊びもやめて、必死で勉強して受かった大学に、一之瀬はすぐに飽きた。大学に入る前は、ここに入れば、何もかもが上手くいくような気がしていた。けれど、始まってみれば何も変わらず、ただ、受験から解放されただけだった。

 しかし、同じ大学の学生達は、それだけで充分だと言うように、やれサークルだ、合コンだと遊び回っている。一之瀬は、そんな学生達の中に上手く溶け込めず、いつも構えた心持ちでいた。

 しかし、ここでは何も構える必要がない。ここは、酔っ払い同士が、酔っ払い以外の何者でもなく知り合える場所なのだ。
 
「あ、ちょっと、覚えてる? この前、会ったよね」

 バーカウンターでこの前の女子高生に声をかけられ、一之瀬は一瞬、固まった。出来れば、このまま知らない振りをしていたかったが、もう後の祭りだ。一之瀬は、クールな調子を心がけ、言葉を返した。

「覚えてるよ。なんか、俺、酔ってたよね」
「酔ってたよね、じゃないよ! タクシーの中で『吐く……』とか言ってさ、私の方、向いて来るんだもん。かなり焦ったね。結局、私の膝には吐かなかったけど、降りた途端に植え込みに吐いてさ。なんで私があんたの夕食の中身を知らなきゃいけないのかって感じだったよ。本当にもう」

 彼女はそうまくしたてると、腕組みをして、こちらを見上げてきた。挑戦的でいながら、何やら笑いを宿した目をしている。こいつ、何だか知らないけど、上手だ。一之瀬はへらりと笑い、呑気な口調を意識して言葉を返した。

「それが帰ってからもまた吐いてさー」
「本当? 大丈夫? 寝げろで死ななかった?」                
「んー、何とか生きてるよ」
「よかったね。ちょっと寝げろで死んだんじゃ、やりきれないものがあるからね。いくらジミヘンと死因が一緒でも伝説になれるわけじゃないし」                                             

 その後、寝げろとドラッグで死んだミュージシャン談議が始まり、おおいに盛り上がった二人は改めて自己紹介しあった。

「美春です」                                          
「一之瀬です」
「どうぞこれからもよろしく」
「末永くね」
「まぁ、寝げろ吐いたら助け合おうね」
「ていうか吐くまで飲むのやめようよ、いい加減」                        

 こうして酔っ払い同士はまた知り合った。
 
 ひとしきりの挨拶が終わった後、美春は眉をしかめて上を見上げ、何かを思い出そうとするかのような顔をした。人差し指をこめかみに当て何かを考えている。そして、あ、と呟くと、一之瀬に向き直り言った。

「そういえば虹男くんは? 今日は一緒じゃないの?」
「虹男?」

 聞き覚えのない名前に一之瀬は首を傾げた。美春がもどかしそうに言葉を続ける。

「ほら、この間一緒にいた子だよ。友達じゃないの?」

 ようやく美春が誰の事を言っているのかを思い出した。一之瀬は、手をぽんと叩き答えた。

「あぁ、あいつね。あいつもさ、その日に会ったんだよね。ここ来る前に飲んでた店の店員なんだよ。で、仕事が早番だっていうから一緒に来たんだよね」
「へぇ。何処で働いてるの?」
「道玄坂の方にある飲み屋。結構、美味かったよ。今度行こうよ」
「うん。あんたのおごりね」
「えー」
「何、言ってんのよ。さんざん世話してやったでしょ」

 随分、気の強い、物怖じしない奴だな。一之瀬は驚きながら、美春を見下ろした。美春は、一之瀬の視線に気付かず、曲に合わせて鼻歌を歌いながら足先でリズムを取っている。何も考えてなさそうな顔してるなぁ。美春の横顔に、そう思った。
 
「あ、美春ちゃん、久しぶり!」

 他の常連グループに声をかけられ、美春はそちらへ向かって行った。酒を手渡されはしゃいでいる彼女を眺めながら、手持ち無沙汰になった一之瀬は壁にもたれ、先日の事を思い出した。

 確か自分はこの前、この子に説教をしたのだ。なんでこんな所に来るんだ、親の金で遊び回っていいと思ってんのか、このままでいいと思ってるのか、とか、俺は言った。

 そう思い出すと、恥ずかしさの余りに顔が火照った。

 赤くなっているだろう頬を気付かれたくなくて、あたりを見回す。周囲は、自分達の騒ぎに夢中で、誰もこちらを見てはいなかった。一之瀬は、ほっとしながら、熱い頬を撫でた。

 それ、そっくりそのまま返すよって感じだよな。

 自分に、改めてそう思った。
 
 一之瀬自身も親の金で学校に行き、親の金で生活し、親の金で遊んでいる学生だ。ただ、美春と違うのは成人しているという事だけである。このままでいいと思ってるのか。一之瀬は先日、美春に自分が言った言葉を頭の中で繰り返す。いい訳はなかった。けれど、何もかもが、どうすればいいのかわからなくて、見えなかった。

 大学に入ったばかりの頃は、その内、何とかなるだろうと気楽に構えていた。一年の時は受験の反動からか、周囲の誰もが遊び回る事しか考えていなくて、一之瀬も、それと同じく先の事など考えもしなかった。けれど、ふと、我に返って気付く。四年なんてあっという間だ。時間切れが刻々と迫ってきている。

 今、一之瀬は二年生だ。就職活動の事を考えるとあと一年くらいしか遊んでいられない。けれど、遊ぶのを止めて、じゃあ何をする、と考えても、何もやりたい事など浮かんで来なかった。

 見ない振りが出来るのは今だけだと、自分でもわかっていた。けれど、まだ、何もかもが、どうすればいいのかわからなかった。
 
「お、こんばんは」

 一人、自分の思考に沈み込んでいた一之瀬は、その声に顔を上げた。白石だ。一之瀬は、すぐさま椅子から立ち上がり、礼をした。白石が苦笑しながら手を振り、言う。

「本当、いつも来てくれるよな。ありがとう」
「いえ、とんでもないです。俺、『ajito』好きだし、白石さんのDJ好きだから来てるんで」
「そういうの面と向かって言われると照れるな。でも、ありがとう。ま、今日も楽しんでってよ」

 それだけ言うと、白石は片手を上げ、去って行った。白石の後ろ姿を眺めながら、一之瀬はスツールに腰を下ろした。

 白石はそのまま、バーカウンターに向かい、人々と談笑し始めていた。その姿は、全てがここに馴染んでいて、余裕があって、格好がよかった。

 あの人は焦ったり、空回りしたりする事なんて、全然ないんだろうな。

 一之瀬はそう思って肩を落とした。
 
 今更、バスケやる気も起きないし、かといって他に何もやる事ないし。期待外れの大学生活に腐っていた一之瀬が『ajito』に行きだしたのは一年程前からだ。

 初めての事ばかりだった。同世代の人間以外と会う事も、話す事も、居酒屋以外で夜通し遊ぶ事も、そして、音楽を格好いいと感じる事も。一之瀬は、すぐさま、それらに夢中になった。何となくではなく、自ら積極的に追い求めたいものを初めて見つけたような気がした。

 店長の白石を始めとした、そこにいる人々も一之瀬にとって魅力的だった。同じ年の誰かと一緒にいても、一之瀬はもうそこでは楽しめず、安らげなかった。かといって、他の世代の人間なんて、親ぐらいしか縁がなく、そして、一之瀬は親のようにはなりたくなかった。

 何が楽しくて生きてるのだろう。一之瀬は自分の親を見る度にそう思っていた。毎日毎日、仕事に行って、帰って来て、その繰り返し。休みの日も飯食って寝てちょっとのんびりするぐらいの事しかしていない。

 人生って、こんなもん? 

 親と顔を合わせる度、一之瀬はそんな虚ろな気分になった。

 ところが、ここで会う人々は、全く違う人生を生きているように見えた。打ち鳴らされるグラスと、叩き合う手の音。ミラーボールの光と、絶え間なく流れる音楽。それらに彩られた人々は笑い、叫び、踊り、歌い、酔い潰れる。人々が持つ色と、輪郭は強烈に濃く、ぼやけた視界が一気に開かれたような気がした。

 断然、こっちだろ。

 そう思った。その中に、入りたかった。

 そして、実際、その中に入るのは簡単なものだった。ここでは、与える側と受け取る側の距離が、他の場所ではありえない程に近い。だから、簡単に、有名なDJやミュージシャンと知り合える。そうしている内に、何だか自分もその一員になったような気がしてくるものなのだ。ただ、酒を飲んで、誰かと笑いさざめいているだけで。

 しかし、今、一之瀬はもう、それだけで胸をいっぱいにする事は出来なかった。

 だって、結局、ここにいても何も変わらないのだ。何者かになったような気がしていた夜はすぐに過ぎ去り、結局戻る場所といったらいつもの家、いつもの学校。

 昨晩、どんなに有名なDJやアーティストと話していても、様々な友達に囲まれていても、現実は、何も変わらない。

 いつの間にか、グラスの氷は溶けきっていた。一之瀬は、それを一気に飲み干した。生ぬるい酒はまずかった。

「なんか、荒んでない?」

 フロアから戻って来た美春が一之瀬に尋ねた。

「そんな隅でだらだらしてたってつまらなくない? せっかく来てるんだから踊ろうよ」
「なんかなぁ」

 一之瀬は呟いた。

「最近、ここもどうもなぁ」
「はぁ?」

 間髪入れずに、美春が言った。

「何が最近、よ。昔はよかったなんて、懐古趣味に浸ってて何が楽しい訳? そんな事、考えるなんて暇なだけじゃないの? あ、この曲、好き。若年寄の相手なんてしてる場合じゃないね。じゃあねー」
 
 曲は、クイーン・ラティファの『Give Me Your Love』。隅のテーブルで一人くだを巻く一之瀬をよそに、近くにいるよく見るタイプの自称DJの男達が、「この曲は愛をくれって曲なんだよ」と女を口説いていた。俺だって欲しいよ、と一之瀬は一人呟く。

 現実には愛がねえんだよ。俺は、もっと違うものが欲しいんだ。もっと絶対的にぐっと来る音楽のようにこみ上げる何かが。

 いよいよ酔いが回ってきた。一之瀬は、通りがかった常連の尚子を見つけ、自分の心境を語り出した。しかし、尚子は顔を手の前にやり一之瀬を避けるようにすると、ため息をついて言った。

「そんなにとろーんとした目してちゃ、説得力0だよ」

 呆れ顔で去って行く尚子を追いかけようと、立ち上がった瞬間、スツールがぐらりと揺れる。

 グラスや灰皿が床に落ちる派手な音があたりに響き渡る。テーブルもろとも転げ落ち、酒を思いきりかぶった一之瀬に、周囲の人間は呆れ顔だ。

 一之瀬は、やはり、今日も酔っ払っている。


この小説はわたしが16歳の頃に通い詰めていた渋谷にあるクラブでのあれこれをモチーフにした連作短編風長編小説です。

10代で夜遊びにハマるとか本当に褒められたものではありませんが、まあ、その時代はまだゆるかったということでお見逃しいただきたい……。現在、10代の皆さまは真似しちゃダメよ。

さて、このように登場人物がバトンタッチ方式でひとつのクラブを舞台に、それこそパレードのようにそれぞれの夜を語っていくのがこの小説です。

この小説の形式は山田詠美さんの『フリーク・ショウ』に影響されています。

色褪せない名作だから皆さま、ぜひ読んでくださいな。

さて、この回のタイトル曲はこちら。
カーティス・メイフィールドの名曲をフィーメイルラッパーのQueen Latifahがカバーした曲です。

この回の語り部、一ノ瀬がわたしが初めて書いた男性主人公かもしれないなあ。

この小説の一番最初の部分は16歳の時に書き始めているから、もうめちゃくちゃ恥ずかしいんですが、甘酸っぱ懐かしい小説だと自分でも思います。

そして、まさかの!
実はこの小説のタイトルになっている『Midnight Parade』を歌ったLove TambourinesのEllieさんがなんとこの作品のことをRTしてくれました。

友人の昨日たまたま話していたDJ KOKI ABEさんからの、

こちらを、EllieさんのオフィシャルアカウントにてRTしてくださってもう感涙。

16歳の頃の自分に教えてあげたいわ、本当……。

この曲がなかったら書けなかった小説です。

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作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。