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【小説】it's a beautiful place[28]宝物はきっと、この街にもある。

28

奈都ちゃんへ
 
 元気? 私は無事、小浜島に着いたよ。こっちは沖永良部よりもっと小さな島で、私は今はホテルでバイトしてる。奈都ちゃんの調子はどう? 私は元気にしてるよ。

 昨日、ホテルの従業員用の宿舎からホテルまで出勤する道でクジャクに会ってさ。雄で、羽広げられて求愛のダンス踊られちゃったよ。こっち来て一番最初に口説かれたのクジャクだよ。何それって感じだよね。本当笑えるよ。

 そんな感じで私は毎日やってます。ホテルの調理場でケーキつまみ食いしたりして色気より食い気な感じ。でも、それが何だかいいよ。

 沖永良部にいた時が随分昔みたいで夢みたい。そう言えば、最後、町体の海で撮った写真、二枚現像したのに私が間違って両方持っていっちゃったから送ります。

 また一緒にあの海を見ようよ。何年後でも、老後でもいいから。

 小浜島の海もとっても綺麗だけど、あの海がやっぱり私にとって一番綺麗な海なんだ。何だか第二の故郷って気がする。いつか一緒に里帰りしようね。約束だよ。
                                    美優

 島を出て一週間。東京に戻った私は人の多さと空の灰色の重苦しさにいまだに慣れないでいた。習慣とは恐ろしいものだ。信号が六つしかないあの島では歩く時に信号を気にする必要など全くなかった。それに慣れてしまったせいで、私は東京で何度も信号無視をし、車に轢かれそうになった。

 大学へ復学の手続きをしに行った帰りだった。出かける前、ポストに入っていた美優の手紙をバッグに入れていた私は、渋谷のスクランブル交差点前のスターバックスでそれを読んだ。顔を上げると、信号が変わった直後だった。人波が一斉に溢れて四方八方にまた散っていった。海の代わりに人がいるこの街。

 私は美優からの手紙をバッグにしまい、交差点へと降りた。その時、電話が鳴った。

 バッグの奥底に入れていた携帯がなかなか見つからない。私は店の入り口を避け、センター街の端でバッグを探った。吸殻が散乱する道の隅。吹き溜まりに淀んで流れない風。東京はもう晩秋を迎えていた。ついこの前まで昼間は半袖でも暑いくらいの場所にいたというのに、私は今、上着を羽織っていた。その事が何だか心許なかった。何故、戻って来てしまったのだろう。自分で決めた癖にそんな気持ちが何度もよぎった。

 やっと見つかった携帯を手に取った。しつこいくらいに鳴り響いていた電話の着信画面を見た。表示されているのは龍之介の名前だった。私は慌てて電話を取った。

「おう。お前、遅いわ」

 聞き慣れた龍之介の声が、まるで昨日の続きのように流れて私は今自分が一瞬何処にいるのかわからなくなった。秋風が上着の隙間から入り込む。上を見上げればビルが聳え立つ狭い空だ。もう、ここは東京だ。なのに耳元でだけ、大山から海までいつもさらりと風が吹いているあの島の音がする。

「奈都?」

 黙ったままの私に龍之介がいぶかしげな声を出した。私は慌てて答えた。

「ごめん。聞いてるよ」
「今、何処にいる。もう東京か」

 そう聞かれて私は改めて龍之介と自分の距離を実感した。飛行機で三時間。船で六時間。海外よりも下手したら遠い。こんなに耳元で声が聞こえるのに。

 私はビルの壁にもたれながら答えた。

「うん。センター街。人が多いよ」

 売り込みやらキャッチセールスやら頭上の大画面から流れる何かのCMやらが、いちいち電話の邪魔をした。目の前で駅方面から歩いてくる人々と道玄坂方面から歩いてくる人々がぶつかっていた。お互い謝りもせず、舌打ちだけを漏らして通り過ぎていった。

 何故、こんな風に誰もが急いでいるんだろう。それ程までに急いでいかなければならない程、行きたい場所がこの人達にはあるのだろうか。ならば、何故、こんなにも皆、憂鬱そうな顔をしているのだろうか。小さな苛立ちが誰かの間でどんどん増殖していく。今、目の前にいる人々は誰もがその為に動いているように見えた。

 龍之介が、明るい声で言った。

「渋谷か、テレビでしか見た事がないな」
「見なくていいよ、人が多いだけだもん」

 私は足をぶらつかせながら答えた。それを聞いて龍之介は無言になった。
互いの間に距離を感じた。今いる場所が、あまりにもお互い違い過ぎた。龍之介も私と同じように感じているだろう事がわかった。どうすればいいのかわからなかった。

「龍之介」

 その名前を口に出した瞬間、島の風景が一気に胸に押し寄せてきた。あの空、海、焼けた道路と吹く風、さとうきび畑。ここには、汚れた道路しかない。私は、もう耐えられなくてただ言葉を漏らした。

「島が、恋しい」
「俺が、じゃないのかよ」

 息を詰めた私に、龍之介が笑った。

「何か言え」
「言えない」
「なんでよ」

 笑いを含んだその言葉にも私は何も答えられなかった。そんな私に龍之介はもう一度笑って言った。

「ちょっと待っとけ」

 携帯から、がたりという音がした。何処かに携帯を置いたのだろう。私は首を傾げて、耳を澄ませた。ざわざわとした会話が聞こえてくる。いつもの、彼らの声だ。

「おい、お前、入れた?」

 龍之介が誰かに向かって声を張り上げる。

「入れた入れた」

 シュウの高い声が聞こえる。

「待てっちょ、まだ早い」

 真二が割って入る。

「あ? いい加減、もう引っ張り過ぎっちょ」

 幸弘が不機嫌そうにそう言った。

「いいか、行くぞ」

 龍之介が音頭を取る。全員が声を揃え、言った。

「せーの!」
 
 瞬間、柔らかい三線の音が鳴り出した。いつものあの曲だ。『島人の宝』。

 歌が始まる前から何度もイヤササと合いの手がかかる。奈都、と誰かが叫んでいる声がする。

 私は携帯を耳に当てながら、その場に立ち尽くしていた。足元に肩から提げていたバッグが落ちる。目の前にある安っぽいアクセサリーを売っている店から大音量で音楽がかかっている。けれど、私にはその音がまるで耳に入らなかった。ざわめきの中から聞こえる音の悪い島のカラオケの音楽だけが私の耳を満たしていた。
 
 そして、龍之介の力強い歌声が流れ出した。

 僕が生まれたこの島の空を
 僕はどれくらい知ってるんだろう
 輝く星も 流れる雲も 名前を聞かれてもわからない
 でも誰より 誰よりも知っている
 悲しい時も 嬉しい時も
 何度も見上げていたこの空を

 教科書に書いてあることだけじゃわからない
 大切なものがきっとここにあるはずさ
 
 それが島人ぬ宝
BEGIN『島人ぬ宝』

 間奏と共にグラスとグラスが打ち鳴らされる音がする。踏みならされる足音。合いの手に混じって一気コールが聞こえた。一際大きいコールの声はシュウ。指笛は、真二だ。

 電話が次々と人々の手に回されていく。

「龍之介、いい所、持ってき過ぎっちょ」

 シュウが不満げに呟いた。

「本当っちょ」

 真二がぼやく声が後ろから聞こえる。

「うわ、奈都ちゃん泣いてる。龍之介!」

 龍之介が電話に出た。

「奈都、泣くなっちょ」
「泣いてない」

 そう言った自分の声は思い切り鼻声で、私は我ながら少し笑った。完全に泣いてるわ、と龍之介が笑った。

「もう、本当、泣くなっちょ」

 後ろの方からまた真二やシュウが言った。皆が口々に言う。

「奈都、歌えって」
「そうよ、お前の合いの手ないとしまらないっちょ」
「ほら、二番よ。歌えよ」

 そして、間奏が終わりに近付いた。龍之介が携帯を誰かに渡し、また歌い出した。

 僕が生まれたこの島の海を
 僕はどれくらい知ってるんだろう
 汚れてくサンゴも 減っていく魚も
 どうしたらいいのかわからない
 でも誰より 誰よりも知っている
 砂にまみれて 波にゆられて
 少しずつ変わっていく この島を
 
 テレビでは映せない ラジオでも流せない
 大切なものがきっとここにあるはずさ
 
 それが島人ぬ宝
BEGIN『島人ぬ宝』

 海の情景を歌ったこの歌詞に、一斉にあの島の風景が蘇った。どうしてあの海をテレビで映せるだろう。あれは、あの日あの時、私が誰かと見た海なのだ。他の誰にも映せないし、見る事は出来ない。

 けれど、私の目の前にはその海が大きく広がっていた。きらきらと光を反射してたゆたうあの水面が。それは目にいっぱい溜まっている涙のせいだけじゃなかった。確かに、あの青さがあの澄んだ透明な輝きが、眼前に広がっていた。渋谷の人混みが遠ざかっていく。私は目を瞑った。歌の間奏が変わらず流れていた。またコールがかかり誰かが酒を飲み干した。グラスが割れる音がした。また馬鹿やってる。そう思って私は少し笑った。

「奈都ちゃん、三番よ」

 誰かがそう叫んだ。私はうん、と頷き、携帯を耳に当てた。

 僕が生まれたこの島の唄を
 僕はどれくらい知ってるんだろう
 トゥバラーマもデンサー節も
 言葉の意味さえわからない
 でも誰より 誰よりも知っている
 祝いの夜も 祭りの朝も
 何処からか聞こえてくるこの唄を
 
 いつの日かこの島を離れてくその日まで
 大切なものをもっと深く知っていたい
 それが島人ぬ宝
 それが島人ぬ宝
BEGIN『島人ぬ宝』

 繰り返されるこのワンフレーズ。最後のリフレインを龍之介が歌った。

 それが島人ぬ宝
BEGIN『島人ぬ宝』

 その音が消える前に、私は涙を拭ってこう叫んだ。

「島人、最高!!」

 道路に落ちていたバッグを拾って、センター街を走り出した。

「何あれ、頭おかしくない?」

 高校生が顔をぐちゃぐちゃにして走る私を見てすれ違いざまに呟いた。擦り切れた背広を着た中年男が、突進する私から慌てふためいて飛び退った。

 怪しげな合法ドラッグを売る露天商が、私を見て、あんぐりと口を開ける。

「何だよ、ちゃんと前見ろよ」

 肩先がぶつかった若い男が怒鳴る。私は、それらを全部無視してひたすらに走った。

 走る度、揺れる胸からちゃぷちゃぷとさざ波が漏れているような気がした。ぼやけた瞳の端にはまだ海が映っているように思えた。熱い龍之介のあの手の感触。目尻の皺が寄っていくあの甘い速度。

「いつでも戻って来いよ」

 龍之介が、そう叫んだ。

 私は、頷いた。何度も、何度も、頷いた。
 
 あの場所は、テレビには映らない、ラジオでも流せない。九人乗りのぼろぼろの飛行機で沖縄から二時間、港が荒れたら次の島で下ろすという大雑把な運行の船で鹿児島から十八時間。そんな不便な場所にある、小さな島だ。
 
 けれど、それは、いつだってここにある。

 あの場所は、美しい場所は、いつだってここにあるのだ。
 
 だから、私はこの街で生きていく。
 
 宝物はきっと、この街にもある。

<了>


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作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。