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仏式結婚狂想曲

2016年春に渡仏し、フランス語もほぼ分からない状態で迎えたドタバタ日仏結婚式の話。それでもイラストレーターの意地にかけて(?)招待状は自作しました。

フランスに来て初めて迎えたある春の日、住んでいる街の市役所で、ささやかな結婚式をした。式は16時から始まり、その後自宅に移動して、17時からはパーティ。新郎新婦自ら手料理でおもてなし、といえば聞こえは良いが、私は全く料理に自信がなく、大人数なんて以ての外。当日は自分たちの用意もあるし、絶対時間が足りなくなるはず、よってケータリングを頼みたい、とかなり主張したのだが、40人招いてパーティしたことあるから大丈夫、何とかなる、という節約派(?)の夫に押し切られた。日本から家族も友人も呼ばず、完全にアウェーの状況であるし、それなら逆に夫の好きにさせればいいか、と最終的には腹を括った。

買い物を数回に分けて済ませ、前日には私がキッチンで下準備に数時間、その間夫は家の窓やベランダなどの大掃除。飾り付けは私が前もって少しずつ済ませていたから問題なかった。そう、元々小心者で、いつでも無理したくないタイプなのだ。期限間近に爆発的にパワーを発揮するタイプとは違い、期限が近づけば近づくほど落ち着かなくなり、本来の力が発揮できなくなる気がする。多分この辺の感覚は、同じ部類の者同士にしか分かり合えないものなのだろう。

当日はやはり午前中からバタバタで、というのも夫はこんな土壇場で街へネクタイを買いに行き、開店時間を間違えて足止め(後から聞いたらその時カフェでコーヒー飲んでたって、そりゃ待つしかないんだけど、私は一人キッチンで格闘してたよ)、もう何処からツッコめば良いのか分からない。これが日仏の違いなのか。これもカルチャーショックの一種なのか。

お昼過ぎに戻ってきた夫、焦り過ぎて笑顔もなく黙々と作業する私を和ませようと思ってか、やけにテンション高く、褒めまくりながら全ての料理の仕上げをしてくれた。ドレッシングとかソースを作るのが上手いのだ(と当時思ったが、その後の経過を見るに、あの日は偶々上手く行ったようだ、妙なところで強運の持ち主である)。
そんなこんなで、15時半に結婚式の保証人(男女一人ずつ必要)を引き受けてくれた人達が来た時には、既に服も着替えてメイクもし、夫が室内の飾り付けにプラスしたいという、風船を膨らましていた自分を褒めてやりたい。

結婚式は物珍しく面白かった。豪華だけれど華美ではない、落ち着いた広間で行われ、市役所の人達と、私一人の為に雇った通訳の人、計三人の女性が部屋の正面に立ち、次に新郎新婦の私達が居て、その後ろに夫の親戚や友人達が並んでいた。
二人に結婚の意思があるかを確認されるのは、よくある教会の結婚式のイメージと同じだけれど、その時に夫婦の権利や義務だけでなく、子供を持った場合の、子供に対する親の権利や義務についても、法律の条文に触れつつ説明された。

一通り説明を聞き、宣誓し、書類にサインすると、式は終わり。皆が笑顔と拍手で祝福してくれた。広間を出て、一人一人からお祝いの言葉をもらううちに、何故かホロリと泣けて来てしまって、私にとっては初対面の人がほとんどだけど、そんなことは関係なく、人は温かい気持ちに触れるだけで、自然と涙腺が緩むのだなあ、などと頭の片隅で思っていた。

サマータイムと緯度の影響で、パリは17時と言えどまだ日は高く、雲ひとつないような真っ青な空、街は初夏の陽気だった。数日前まで、まだ朝晩10度を切る寒さだとぼやいていたのに。
パーティはシャンパンを待ちきれない人々の、そわそわした空気の中なしくずし的に始まり、飲み始めてしまえば後はもうご自由にどうぞと、私も夫も来てくれた人と笑顔で話し続けているうちに、いつの間にか日付が変わっていたのだった。

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