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#8 個人と組織の関係を捉えるための経営学の歴史

組織で働くということ

多くの人は、「組織」の中で働いていると思います。その中で、個人の判断と組織の判断が、なぜ一致しないのかと疑問に思ったことはないでしょうか? 自分がいいと思うことがどうして組織の意図に沿わないことがあるのか、これには理由があります。

組織は、組織の活動を維持することを第一優先とします。言い換えると、誰かが辞めてしまうことによって、組織の活動が維持できないことは組織にとって好ましくありません。一人の力に依存せずに済むようにするために、組織は作られるのです。そのため必然的に、組織の存続に貢献してくれる個人を高く評価します。もし会社に評価されたいのであれば、自分が組織の存続に貢献していることを示すことが大切です。

経営学の歴史

経営学の歴史をひもとくと、古くはテイラーの「科学的管理法」に端を発します。技術者であるテイラーは、カンと経験による非効率な生産現場に疑問を持ち、優秀な労働者の時間研究&動作研究に基づいた「作業の標準化」と、ノルマ(課業)に基づいた差別的出来高給制度「課業管理」、そしてそれに適した組織形態を導入しました。ずく(銑鉄)運びやシャベルすくい作業の動作や所要時間を計測・研究して労働者が長期に渡って継続でき、かつ最も効率的な作業方法を標準として定めるとともに、標準的な作業から割り出した労働者にとって公平な「目標となる仕事量」をノルマとして設定。これを達成した労働者には割増賃金を渡すというしくみを開発することで、組織の生産性を上げることに成功しました。これが後に、経営管理論や生産管理論に発展する礎となったのです。

この科学的管理法は、多くの労働者に恩恵をもたらしました。仕事が効率的になり疲れにくくなったことに加え、より高い賃金を得て貯蓄をするなど労働者の生活が改善されました。さらに監督者を敵ではなく、高い賃金を得られるように導いてくれる味方だと考えるようになり労使関係がよくなりました。

ただし当然ながら批判もあります。例えば、科学的管理法は、人の生産性を左右する要因として金銭や労働環境のような物的条件のみを捉えていました。後に、ホーソン実験が行われたことで、人の生産性は物的条件よりも個人の心理的・情緒的要因の影響が大きいということが分かったため、こうした要因について研究する人間関係論や組織行動論が展開されました(ホーソン実験について説明を始めると長くなるので、興味ある人はWikiなどをご参照ください)。

そして研究が進む中で、人間とは、自由意志を持って自分で決定する存在であること、しかし意思決定のために処理できる情報量には限界があること、が分かってきました(文章で読むと当たり前ですが、こうして言語化されたことが当時としては大きな進歩なのです)。そして、個人の限界を克服するために他者と協働する必要性が論じられ、その協働のシステムを「組織」と呼ぶようになりました。つまり、組織(会社)とは、個人ではできない成果を生み出すことを目的とした存在なのです。だからこそ、組織の活動に貢献してくれる人を優遇し、その貢献に対して給与をはじめとする誘因を提供しようとします。そしてリーダーシップを発揮したり管理スキルが高かったり、会社にとって重要な専門性を高いレベルで保持しているなど、貢献度が高い人にはより多くの誘因を用意しますし、貢献度が一般的である人には一般的な優遇を用意します。これが、組織にとっては合理的な行動なのです。

現代の職場への応用

科学的管理法は、100年後の現代でも通用する部分が多くあります。コロナ禍でのリモートワークや働き方改革が進まない職場は、まず時間研究・動作研究を行って作業の標準化を試みるといいでしょう。ただ一方で、これは労働者がいくらでもいる(労働力の需要<供給)の時代の産物だなとも思います。今はどちらかというと需要>供給ですからいかに労働力を確保するかが重要ですし、作業の高度化によってより優秀でより高額な労働力が必要になっています。貢献に応じた誘因は大前提ではありますが、給料を青天井であげていくと経営が傾きますので、給料以外の誘因もうまく活用して貢献に報いることが現代の経営者や管理職には必要ではないかと思っています。

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