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日日是好日《にちにちこれこうじつ》/森下典子

雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。……どんな日も、その日を思う存分味わう。
そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇しても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないのだ。

第十三章 雨の日は、雨を聴くこと
雨を聴く

日日是好日にちにちこれこうじつ』の意味を調べると、それぞれ微妙にニュアンスが違う。
いろいろふまえて私の解釈は、どんな日でもいとをかし。

毎週土曜日の午後、私は歩いて十分ほどのところにある一軒の家に向かう。その家は古くて、入り口には大きなヤツデの鉢植えが置いてある。カラカラと戸を開けると、玄関のたたきには水が打ってあって、スーッと炭の匂いがする。

まえがき

小学生の頃、毎週日曜の13時、習字を習いに一軒の家に通っていた。
当時は貴重な日曜日がつぶれる感覚でしかなかったが、かといって嫌ではなかったと思う。
大人になってからまた習いはじめたのだから。

世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。

まえがき

職場から近いところにみつけた書道教室。
入り口を開けたときの、墨の匂いと濃密な静けさ。
ああ、これが私の原点だ。

「お茶はね、まず『形』なのよ。先に『形』を作っておいて、その入れ物に、後から『心』が入るものなの」
(でも『心』の入ってないカラッポの『形』を作るなんて、ただの形式主義だわ。それって、人間を鋳型にはめることでしょ?それに、意味もわからないことを、一から十までなぞるだけなんて、創造性のカケラもないじゃないの)

第一章「自分は何も知らない」ということを知る
「形」と「心」

書道でお手本通りに書くことを臨書という。
お手本である中国の偉い書家が書いたそれは、正直なところ上手な字とは思えない。
どうせならもっときれいな字、もしくは芸術的にシャシャッと書きたいのに、臨書臨書の繰り返し。
それは点の形、カスレ、筆の軌跡など細部にわたる。
「『ハネ』は、紙から離れる筆の毛先一本までコントロールしてください」
『ハネ』ははねない、と手に覚えさせる。
臨書には技術が凝縮されている。

やがて芸術的なシャッの中にも、痺れるほど美しいものとただ雑なものとの違いがわかってくる。
これが趣味の洗練か。

本書を読むにあたり、副作用が一つだけ。
今すぐお茶を習いたくなる。
それもまた、いとをかし。

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