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老人ホームで死ぬほどモテたい|上坂あゆ美

読書スランプのときに俳句と短歌が気になって、少しずつ触れるようになった超初心者。
俳句にちょっと感情や皮肉をのせたりするのが短歌なのかな、とか。
好みか好みじゃないかの浅い表面をなんとなくで触っていたら、渡辺祐真さん(スケザネさん)のコラムにであう。

釈迢空(しゃくちょうくう)の「葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり」という歌。これは上の句「葛の花踏みしだかれて色あたらし」で切っても、「葛の花」という季語も備えており、形式上は俳句として成立する。
「行った人がいることはわかる。なんで上の句でわかることを七七でつけるのだろう」
「ところが歳を取ってきてはじめてわかりましたね。先人の声を求めながら山に入って、山びとを求める思いっていうものがあるんだと。」
「上の句だけではちょっと足りないような肉体の気配を感じたいんでしょうね。」

スピン5
詩歌の楽園 地獄の詩歌(一部抜粋)

『葛の花踏みしだかれて色あたらし』
足元の踏まれた葛の花、そう時間は経っていない、少し先を行く人がいたんだなと思いを馳せて、さて、と歩みを強くする。
自分ひとりの世界。

ここに「肉体の気配」。
『この山道を行きし人あり』
おや、とちょっと顔をあげるだろう。
この道の先に誰かいるというのは心強い。
急いだら追いつけるだろうか。
いや、自分のペースを守って着実に進むか。
気配だけでも、そこにもうひとりの存在が大きく立ち上がる。

最近出会った衝撃的な短歌は、これでもかの肉体だった。

下半身から血が出る日にもおにぎりを握り続ける母という人

老人ホームで死ぬほどモテたい

夜勤明けでも一度も休まずお弁当を作り続けてくれた私の母という人。
ありがとうもごめんねも申し訳ないも心配もケンカしてムカつくも頭痛なら寝てていいよもたまには友達のようにパンを買って食べたいのにも全部全部ひっくるめて。
母という人。
春夏秋冬台所に立つ母の背中。
当たり前の光景だったけれど、これが当たり前にできる凄みは子供の頃は気づかない。

ぐっときた二首。

桜舞う森でピースで立ったまま散るな笑うな 最終回かよ

老人ホームで死ぬほどモテたい

残念でした!!!わたし、わたしはしあわせです!!!!!!!!!道にゴミとかあったら拾うし

老人ホームで死ぬほどモテたい