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「面白い」と思われたい男が腐った話


※少し小話にお付き合い頂きたいです。

 あるところに、2人の少年がいた。その2人が共通して持っていた考えとして、「人を笑わすのが好き」ということだった。クラスの皆を笑わすのが好きで、人が自分の話やくだらないことをして笑ってくれるのがとても嬉しかった。

~小学生時代~

 2人は小学生の時は変顔をするのが得意で躊躇いもなく、いつでも全力で変顔をして人を笑わせてきた。みんなが笑ってくれるなら、変顔なんて安いもんだと思っていた。相手が笑う姿を見るのが好きだし、何より「自分が人を笑わせている」、このことにとても充足感を感じていた。心が満たされていたのだ。
彼らはクラスの皆に人気があり、休み時間はいつも友達と話し、周りに人が自然と集まってきていた。

~中学生時代~

 2人は公立の中学校に進学しても、新しくできた友達と上手くやってのけた。2人は人見知りではあったが、一度打ち解けてしまえば、どんな人とでも仲良くできた。中学生になってからも変顔は続けたけど、少し笑いのレベルが上がり、変顔では効き目が薄いなと感じたら、家に帰ってからどうやったら笑わせられるかを考え、次の日の学校ですぐに試した。毎日学校に行くのが楽しみだった。毎日がワクワクしていた。
だから、中学生から急に出てくる「校内カースト制度」のようなヒエラルキーを全く感じていなかったし、どんな人とでも話ことが楽しかったので、ピラミッドの外にいるような人間だった。

2人は勉強が得意ではなかったし、運動も目立つほど得意なわけでもなく、容姿端麗でもないし、身長も低い方だ。しかし、彼らは自分に自信があった。人を笑わせること、誰とでも打ち解けて仲良くなれること。この2つが彼らの心の支えであったし、当たり前のことであった。
しかし、彼らは小学生の頃、人の気持ちを考えないで、面白いと思ったことを実行したこともあった。そういうところは、2人は反省しないといけない。

     高校入学、これを機に彼らの人生が大きく2つに分かれた。

~高校時代~


 2人は高校入学当初、今までと同じく人見知りだけど、話し合って、自分が面白いと思ったことをして笑わせれば、誰とでも仲良くなれる。そう信じていた。しかし、ことは上手く進まなかった。高校入学と共に地元の友達とは離れ、自分の事を面白い奴だと思っている人は0人。さらに様々な学校の出身者が多いということもあり、笑いの文化が違っていたのだ。2人は小学生から得意であった変顔をしてみたり、今まで笑わせてきたことを高校で試したが皆からはなんのリアクションもなく、真顔で返されるだけであった。果敢に自分の思っている「面白い」をぶつけたが、無常にも2人の周りから笑い声はなくなっていった。

そこで彼らに追い打ちをかけた言葉が「つまらない」であった。中学生の頃にも「つまらない」と言われたことは何度もあったが、誰かしらは自分で笑ってくれたし、そのモチベーションから「絶対あいつを笑わせるんだ!」と思い続けることができた。「面白い」の反対は「つまらない」だから人によってリアクションが違うのは仕方ないと分かっていた。しかし、クラス全員からの「つまらない」や憐みの目線を浴び続けることによって2人はションボリしていった。あれだけ楽しかった学校が嫌になってきたのだ。


 ここで2人の考えが分かれた。

1人の少年は「自分が面白いことをしなくても、クラスの誰かが人を笑かしてるし、自分の役割じゃなくてもいいじゃないか。過去に人を沢山笑わせた。この経験を頭で楽しめばいいし、想像でも心は満たされる。つまらないと言われるのは心が痛むし、もう人を笑わすようなことは辞めよう。」と考えた。

もう一人の少年は「人からつまらないと言われることは本当に心が痛むし、自分が生きている意味がなくなるように感じる。けれど、『人を笑わす』ことを辞めたら自分が自分じゃなくなるし、僕の良い所が消えてしまう。どんなに辛くても『面白い』と思ったことはやり続けてみよう。


結果として、2人の高校生活の感想は大きく違った。



一人の少年は「特別、仲の良い友達は出来なかったし、部活はやっていたけど、学校以外で友達と会うことはなかった。なんだか空虚な時間を過ごしていた気がする。いざ、話を振られた時や面白いことを言うチャンスがあった時も、すべて置きにいった。だから皆からつまらないと言われることはなかった。けど、面白いと言われることも一度なかった。ただ、一つ言えることは、時間を無駄にした。この気持ちが強く残った。

もう一人の少年は「最初は高校がつまらなかったけど、最後は物凄い楽しかった。高校では一番仲の良いと思える友達が出来たし、卒業旅行も何人かで行く予定だ。すっごい楽しみ。学生時代の中で一番高校が楽しかったんじゃないかな。確かにつまらないと言われたことは傷ついたし、学校に行くのが億劫だった。けれど、最終的にはつまらないと言ってきた人とも仲良くできたし、一緒に遊んだりもした。やっぱり、人を笑わすのっていいことだなって改めて思った。


 残りの人生を楽しんだ者はどちらか、言うまでもないだろう。

~Fin~



はい。読んで頂きありがとうございました。咄嗟に自分の今の気持ちを書き留めたいと思い、noteに書きました。ただ、書くのでは面白くないのでストーリー調で書きましたが、いかかがだったでしょうか。

え?お前前者の方だろって?





そうです。前者の少年、面白いことを表現することを辞めたのが僕です。正直、人を笑わせたとか書くのはおこがましいし、自惚れてるだけだと、自分のエピソードを美化しているんじゃないかと思いましたが、どうしても書きたくて書きました。


自分の役割だと思っていたことを放棄してからの人生

・今、僕は新大学4年生になる時期なのですが、大学に入ってからの友達はゼロで本当にLINEで現在話している人は0人です。サークルに入るのにも勇気が出ず、この3年間は淡々とした日々を送りました。

人の輪に入ることを恐れている。今、自分の改善した方がいいと思うポイント1位ですね。人の話を聞いて、何かを発言するというのが、高校時代と大学時代併せて6年間ほとんどしてこなかったので、もう輪の中に入るのが怖いというか、入るべきではないと感じていますね。
みんなが輪になって話していたら、違う事をやっているような人間になりました。たぶん、俯瞰で見たら、相当酷いことをしていると実感できそうです。

人生に希望がない。これも今、大きな問題になっていることです。就活を現在やっているのですが、自己分析がたまらなくきついですね。小話でも書いた通り、何も特徴のない人間になってしまいましたから、活かせる能力がどこの業界もない。ましてや、6年間コミュニケーションを放棄していた人間が採用面接で自信満々に話せるわけもなく、21歳という若さで疲れ切ったオーラをプンプン醸し出してます。
正直仕事はなんでもいいと思ってしまっています。選ばなきゃ仕事はある理論で現状、安心している野郎です。だめですね。はい。

心が一生満たされない感じがする。もちろん、彼女はいないのですが、友達とも話さないとなると、ずっと心に穴が開いた感覚になります。大学はしっかり毎日通い、勉強も今まで以上に取り組んだので、卒業見込み判定は出たのですが、そんなこと関係なしに、満足感は1ミリも得られていないような感じです。

最後に

こんな気持ちで今を過ごしているよ。という未来の自分への置手紙のような感覚で書きました。もし、ここまで読んでくれた方がいらっしゃいましたら、感謝です。ありがとうございました。

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