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小話|心の病の経験から今を生きる話

僕は大学4回生で鬱病になり、
大学院に進学してからすぐに休学して療養生活をしていました。

原因は研究室の教授と人間関係がよくなかったから。
いや、それが決め手となったわけでして、
特に教授が悪い人だったわけではないです。

それまでの人生というか
色々なものが伏線となっていたので
たまたま教授との関係性がトリガーになったという。

そして丸2年ほど療養生活を経て
無事に社会人になりまして。

今回は、
そんな僕が病気になって
薬を飲み始めてからやめるまでのお話を
ストーリー仕立てにしてみました。

薬をやめたいと思っている方に
参考にならないかもしれないですがどうぞお読みください。

尚、前回と前々回に似たような記事書いていますが
ちょっと自分に入り込めていなかったので、
もっかい描き直しています。

すでにそちらの記事を読まれている方は
重複してしまっていることをお許しくださいませ。


心の病になった原因

2年間の療養期間を経て、
さらに大学院を中退しながらも
無事に新卒枠で社会人になれたことはちょっとした奇跡だった。

休学をした時点で
みんなが進むレールにはもう乗れないんだなぁ…と
当時はかなり不安になっていたから。

だけど、みんなとは違う道を選んだことは
自分にとってはとても大きな意義があったと。
それに気がついたのは本当に最近の話。

入社してからというものの、
思った以上に自分が働けているというか。。。

新卒の仲間
先輩社員
パートのお姉様方たち

みんなからとても熱い信頼をいただいていた。

・・・

思えば高校生時代から
いつも自分はすごいんだぞと思っていた。

言い聞かせている部分もあったのかもしれないけど
客観的に自分を見てもいろんな人から評価されていた。

特に高校生は吹奏楽部で部長をつとめ、
弱小校から脱却できるまでに成長させることもできた。

もちろんこれは僕一人の活躍ではなく
周囲の人全員の力によるものだけど。

一度はバラバラになりかけたこともあって
それを見事にまとめあげたことが評価されてたらしい。

先輩、同期、後輩、そして先生方。
みんなから信頼と評価をいただいていたことは後で気がついた。

だから卒業後も
伝説の先輩ということで数年ほどは名を轟かせていたらしい。

それは部活動以外でも何でもそうで、
わりかし色んなことをそれなりにこなせている感覚はあった。

それは、結構まめというか
完璧主義ゆえの几帳面な性格だからこそだと。

でも、これって結構自分が猫かぶっているというか
自分の気持ちみたいなのは後回しにしがち。

自己犠牲の上で成り立つ信頼ほど
脆弱なものはないなぁとつくづく思う。

それは周りとの関係性というより
自分と自分の中の関係性が弱くなるということ。

だからこそ、
大学の研究室に配属されてから
教授に嫌味を言われることは本当に許せなかった。

僕って本当はすごいのに
なんでそんなに人間性を否定されなきゃならないのか。

この時
自分軸がしっかりしていたら
多分嫌味を言われても気にしなかっただろうに。

でも、
他人からの評価と信頼を何よりも重要視していた僕は
いつからか常に自分を客観的に見るようになっていた。

だからこそ
否定的な言葉には強く反応してしまう。

僕はダメな人間なんだと。

そうやって結局心を壊してしまった。

療養期間と薬の話

療養期間中はそんな弱い自分といつも隣り合わせ。

自分ってなんなんだろう。
なんで生まれてきたんだろう。
将来なんか考えられない。

常にネガティブ。

それ故に自分を傷つけたくなる衝動。

もちろんリスカとかそういう
物理的な傷をつけることはしなかったけど。。。

絶対に吸わないと決めていたタバコもこの時
ほんの少しだけ手を出したこともあった。

メンソールとかそんなのじゃなくて
ちょっとだけ格好つけてマールボロとか吸っていた。

最初に吸った時は、
意外にも咳き込んだりすることもなくて
煙はすんなり肺の中に入ってきてくれた。

でも、
別に吸うことで何かに満たされるわけでもなくて
これで自分が傷ついているという実感が欲しかっただけ。

なので、
全く依存することもなく
1ヶ月ほどであっさりと吸うことはやめていたけど。

・・・

心療内科で処方されていた薬は
精神安定剤、抗うつ剤、過敏性腸症候群治療剤、睡眠導入剤
この4種類だった。

もともと普段から薬は飲まないようにしていたから
最初は本当に副作用に悩まされていた。

頭痛、吐き気、眠気。。。
あと、日の当たるところが本当にダメで
日中外に出て光をあびるとクラクラするくらい。

そういった症状的な副作用は
意外にもなれてしまうのだけれども
一つだけ消えないものがあった。

それは人間性の変化。

何か活動している時を除いて、
基本的に一人でいるときはかなり内気な性格。

人とコミュニケーションも取りたくなくて
ずっと家に閉じこもっていたい感じ。

学校とか部活動とかは
必要だったからこそ
コミュニケーションは積極的だったけど
それ以外の場面ではほとんど取らない。

それこそ一人の時間が好きなので
自分の世界の中に入り浸ってしまうタイプ。

そんな自分が
薬を飲み始めることで全く真逆の性格になる。

友達とか後輩とかに積極的に連絡をして、
遊びに行ったりお茶をしたりすることが増えた。

もともとお悩み相談とか好きだったので
それこそたくさんの人とコミュニケーションをとった。

ただそういうのは病気になる前からも
時々行っていたのでそれほど大きな変化ではないかも。

一番の変化は
全く知らない人にも話しかけてしまうところ。

特に多かったのが
お店の店員さんに声をかけて
相談したりおすすめを聞いたり。。。

町工場にある古い自転車屋さんに行って
自転車を直してもらうついでに
4時間以上も店主のおじさんと話をしたり…。

今までには考えられないほど
かなり積極的になりすぎていた。

いいことのように思えるけど
結局は薬の影響による力が強くて
言ってしまえば躁鬱なような状態。

いいことだけではなくて
落ち込む時はめちゃめちゃ落ち込むので
そんなギャップに逆に苦しんでいた。

でも、この副作用も次第に落ち着いていった。

社会復帰してから薬をやめるまでの話

休養期間を経てからの社会復帰は
結構自分にとって順調だった。

やっぱり自分って
色々と気が利かせながらもなんでもできるもんだと。

でも、
決してそこに驕るわけではなくて
ただ純粋にそう思えることに感謝した。

それが病気になる前となった後の明確な違い。

社会人になってから
少しずつ自信というものが増えていった。

だけど、
一つだけ厄介なことに気がつく。

それは、
薬が中々やめられないということ。

休養期間を経ても、
心療内科には月に2回ほど通院していた。

その2回で同じ量のお薬を処方され、
とりあえず言われるがまま飲み続けていた。

一度飲むことを忘れた日があったが
翌朝体が重くて起きれなくて…

目眩とか動悸に襲われたりと
薬を飲まないと普通に生活できない体になっていた。

でも、
当時は薬の依存に対する恐怖とかなくて
まぁ今は必要なんだと思って飲み続けていた。

この気持ちが多分
依存症にならなかったんだと思う。

・・・

入社してから1年後。
自分よりも年上の方々に研修指導をすることになった。

同時に新しく入った後輩にも指導する立場に。

気がつけば自分はチームリーダーを任されていた。

ベンチャー企業ならではの人海戦術なのかもしれないけど
1年で中々そういう役割を担わされるとは思っていなかった。

そこから半年後
大役を担って福島県へ転勤することになる。

1年前までは
ずっと家にいながら病んでいたとは思えない急展開ぶり。

しかも、
初めての一人暮らしということもあって
病気をしていた僕に家族や親戚たちはみんな心配してくれていた。

僕自身も
本当に辛かったら辞めるという選択肢は常にあったので
そこまで重荷にならずにいざ福島へ旅立った。

そこから初めての一人暮らしの生活が始まる。

幸いなことに
療養期間中は家事とか結構こなしていたので
生活面は全く不自由なく
むしろ色々と自分のペースでできることが本当に楽しかった。

仕事の方も
大役を担う中かなりのプレッシャーだったけど
精神的に追い込まれるようなこともなかった。

でも、ここまで動けるようになっても
薬はまだやめられなかった。

福島に転勤しても
前医の紹介状を持って新しい病院に通院していた。

とても優しくて笑顔が素敵な先生。

環境の変化には色々と気をつけないといけないから
何かあったらいつでも相談しにきてねと。

そして処方される薬は全く変わらない。

まぁこの時も
結構精神的に余裕はあったので
特に言われるがまま薬は飲み続けていた。

・・・

福島生活を半年が過ぎた頃
とある都市伝説系のサークルに入ることになる。

というのも、
療養期間中は世界の滅亡とか本気で願っていたので
そういう陰謀論や都市伝説にハマったこともあって。

でも、
それって陰謀論とかじゃなくて本当に陰謀じゃね?
と思うようになってからは
そういう情報ばかりを取りに行くようになっていた。

その延長線上でサークルに入った感じ。

そこでもたくさんの人と出会って
コミュニケーションを取ることになった。

あんまりこの話は深くできないので割愛するけど、
そこで出会った人たちから色々な話を聞き。
もっともっと自分を大事にしようと考えられるきっかけになった。

薬のこと、食べ物のこと、この世界のこと…。

そこでようやく
自分の飲んでいる薬をやめようと思った。

この薬を飲み続けている限り
自分は本当の自分になれない。
そう思うようになった。

それでも、
やっぱり薬を飲まないと極端にしんどくなる。

これが、
いわゆる離脱症状だということにここで初めて気がついた。

そんなこんななタイミングで、
福島に住んでから1年半で今度は三重県の転勤が決まる。

正直、福島の生活が本当に心地よくて
引っ越すことがすごく嫌だった。

ここに残りたいという気持ちが強く
勤めていた会社の人にも色々と相談したりはしたが、
やはり組織に属していると自分の意思は届かない。

ちょっとそのタイミングで
また精神的に苦しい感じもあってか、
薬をやめようと思っていた矢先、
またしてもやめられなくなることに。

・・・
そんなこんだで
結局三重に転勤となった。

意外にも
引っ越す前はあれほど嫌だったのに
引っ越してみると新しい土地での生活は
思った以上に楽しいものだった。

仕事の方も
結構余裕があるようなポジションになり
精神的にもかなり余裕ができた。

とは言え、
ここでも新しい心療内科に通い、
通院生活は続いた。

仕事に余裕ができると
私生活にもかなり余裕ができ始めた。

福島在住時代に始めたカメラが
三重に来てから本格的に活動をし始めて
一人旅とかを頻繁に行うようになっていた。

一人旅をしていると
広い世界の中にいる自分という存在を
主観的にも客観的にも見つめることができる。

自分はどう生きたいのか
自分は何をしたいのか

ちなみに都市伝説サークルは
福島を引っ越す前にやめた。

あんまり活動が出来なくなったのと
陰謀論的な重たい世界よりも
もっと自分が思うような楽しい世界を作りたい
そう思うようになったから。

三角社会と丸い社会。
その言葉をキーワードに
自分の生き方を見直し始めたのも三重に来てから。

そこでようやく
薬をやめて本来の自分になろうと決意。

最初は通っていた病院に
よくなってきたから薬をやめたいと相談することに。

先生もそこはすんなり受け入れてくれて、
1/3錠ずつ減らしていきましょうと。

え、そんなゆっくり減らすの!?
と思ってしまったものの、
最初は言う通りにやり始める。

でも、
大事なのは自分の意思だ。
自分がしっかりしていれば、
離脱症状とかそんなものも気にしなくて済む。
そもそも離脱症状とか
そう言う情報を見るからそうなるわけで
薬なんてものにはそんな大きな力がないはずだ。

結局は、自分の意思次第。

そうやって思うようになってから
一気に薬を飲むことをやめた。

最初の2、3日はちょっと体が重たい日はあったけど
4日を過ぎた頃にはもう何にもなくて元通り。

本当にあっけなかった。

3年間ほど飲み続けて薬も
わずか2、3日でやめられることに成功したのだ。

そこからは今に至る。

本当に不自由なく
むしろ色々と解放された自由気ままに生きている。

全ては伏線で
全ては最善のタイミング。

きっと今
自分が自由に生きているという感覚を得られるために必要だったということ。

あの時あの選択をしたことで
常に今の自分という人間がいるんだなぁと。

全ての出来事に
心からの感謝を込めて…。

全ては自分の意思次第

僕の薬のやめ方は多分推奨できません。

ただ、
結局は自分の意思次第にはなるんじゃないかとは思います。

本当にもう自分にとって不要と思えたら
それは断薬まであと一歩。

やめるの怖いなぁと思っていたら
それはまだやめられるタイミングではないと思います。

自分の身を大切にできるのは自分だけなので
まずはやっぱり自分と向き合うことが大切です。

それでは今回はここまで!
どうぞ倖せが繋がりますように!

2023年9月8日


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