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アコースティックは蘇る

妻の親友が古いピアノを修復してお子さん達に習わせる、と言っているのを聞いた。千葉県印西市にあるピアピットという工房でレストアが終わったばかりだという。いろいろアレンジいただき、見学と試弾の許可を頂いたので行ってきた。

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千葉ニュータウンからほど近いが、千葉らしい里山と農村風景が広がる中に現れたのはカリフォルニアのサーファーが住んでいそうなトレーラーハウス風の建物。にわかにはピアノ工房とは信じられない造りだ。代表の渡辺さんは後ほどいらっしゃるとのことで、若い女性の職人さんに工房全体を案内していただいた。最初のエリアはアップライトが中心。ヤマハが目立つのはいうまでもないが、その中に無造作に置かれているのはプレイエル。ショパンが愛したフランスのピアノメーカーだ。聞けば1900年ごろのものと19世紀半ばのものという。デザインにフランスらしい装飾が散りばめられている。もう一つのエリアはグランドが10台以上。桜をイメージしてフレームまで塗装されたヤマハグランドやブリュートナーの年代物が目をひいた。

さて本題。妻の親友がレストアを依頼しているのはシュヴェスターという日本の工房制作ピアノだ。調べてみると完全手作りで調律師が紹介して全国に広まったという「職人」ピアノだ。伝統的なピアノブラックの塗装に誇らしげに金文字で書かれたSCHWESTERのロゴが歴史を感じさせてくれる。ピアノの前に座り気づいたのは、現在では入手不可能な象牙鍵盤が使われている。滑らかな肌触りでありながら、吸湿性があるので演奏中の指の汗を吸うため滑りにくいという理想的な物。現在はワシントン条約の規制により輸出入が禁じられているため入手は不可能だ。さらに気づいたのは鍵盤の角が丸くトリミングされている。素敵だ。年月を経た証の黄色がかった色は、音大時代にレッスン室にあったオールドスタインウェイを思い出す。


手始めにショパン・ノクターンを弾いてみる。最初は鍵盤が少し硬い感じがするが弾き慣れていくにつれ指先の意思が鍵盤に確実に伝わるのがわかる。先日弾いたディアパソンのグランドに似た感覚だ。奏でられる音色は普段弾いている電子ピアノのものとはもちろん違うし、実家にあるヤマハのアップライトとも明らかに違う。一言で表すと「芯がしっかりしているのに柔らかい音色」音量自体も現代のピアノより少し弱めで耳に優しい。
フォルテでは「音の芯」が際立ち、ピアノでは金属の弦を叩いているのにどこか木を感じる優しくエレガントな響きだ。最後の音をずっと聴いていたくなる。弾いている時にはあまり気づかなかったのだが、録音を聴いてみると本人の意図以上に強弱とそれに伴った音色の変化に気づかされた。自分が上手くなった気がするほどだ。

60年以上も前に作られたピアノは蘇っただけではない。21世紀最新のテクノロジーも搭載されたのだ。鍵盤の右下にはハイブリッドピアノの操作板が隠されており引き出してスイッチを入れると最新版の電子ピアノの機能が加わる。人気急上昇のイタリアの職人ピアノ ファツィオリの音色を始め、パイプオルガンやチェンバロなどを含めた10種類の音色で演奏できる。鍵盤の左側のレバーを倒すとサイレントピアノになるので、ヘッドホンを使って夜中でも練習が可能だ。

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ベートーヴェン月光の演奏が佳境に入った所で代表の渡辺さんが現れた。「職人」という言葉からは想像つかない気さくなおじさんだ。ピアノを説明する言葉の端々にピアノへの愛を感じる。それだけではない。工房内には所狭しとコレクター垂涎の様々なものがある。フェンダーのヴィンテージ・エレキギター。モデルガンが無かった時代に映画の撮影で使われていた本物のトンプソン軽機関銃(銃身に鉛を充填したり、アクション機構が全く動かなくするなど、法律に則った加工がしてあります)。ジープのフロントグリル。所さんの世田谷ベースをはるかに上回るマニア感、本物感。渡辺さんは語る。40年近く前に工房を始めた時は資金も銀行融資も受けられず途方にくれた。そこで工房を全てを自分で作ってしまう事にしたのだと。どうせ作るなら仕事してて楽しくなるような空間にしようと。それで合点がいった。このテーマパークのようなワクワク感はそこからきているのだ。大切なことは自分が夢中になれることを突き詰め、他人には出来ない唯一無二なものを手に入れること。簡単な事ではないが、好きな事、夢中になれる事なら楽なもんだ、と心底幸せそうな表情で語るのだ。思えば先ほど案内してくれたスタッフも実に幸せそうな様子でピアノの説明をしてくれていた。情熱は自然と継承されるのだろう。とにかく好きな事をとことんやりなさいと渡辺さんの言葉に勇気づけられた。自分が好きな事を自分にしか出来ないレベルに引き上げる。考えただけでも楽しそうだ。

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渡辺さんとの話は心底楽しくなかなか去りがたいかったが、お昼もだいぶ回ったので工房を後にした。アコースティックは蘇る。60年のシュヴェスターや1世紀以上の歳月を越えて新たな息を吹きこまれるピアノに触れ、その魔法を使う渡辺さんの想いは未来への希望につながっている気がした。

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