<第5回> サッカー授業でリアルサカつく?
私は高校公民(主に政治経済)と中高保健体育の2種類の教員免許を持っており、政治経済と保健体育の授業を同時期に実施したこともあります。
(1・2時間目が高校1年生の政治経済。3・4・5時間目が中学1年生の保健体育。6時間目が高校1年生の政治経済、なんていう切り替えが困難かつ体力的にハードな日もありました。間違えて、スーツのまま体育の授業をしようとしてしまったことも今となっては良き思い出です)
教員になった当初に驚いたことに「朝が早いこと」と「同じ内容の授業を同日に3回やる」ということがありました。(学校の規模やクラス数、コース制、担当教科などによって実態はさまざまだと思いますが、、、)
また、授業準備をしっかりやればやるほど、授業は熱の入ったものになり、一日中スタンディングのまま、アクティブな講演スタイル(しかも相手は大人でなく、多種多様な生態系の素敵な思春期生徒たち!)になることもしばしばで、「これは体力勝負だな、、、」なんてことも感じていました。
このように授業に関してはさまざまな思い出、経験もありますので今後少しずつ紹介したいと思いますが、今回は体育におけるサッカーの授業で取り組んだことを紹介します。
私はサッカーが非常に下手くそです。いまだにセンタリングでボールが空中に上げられません。(そもそも、体育の授業で競技がうまくなった人ってどれくらい、いるのでしょうか。 ← 運動能力がとても低い私の負け惜しみです💦)
昔ながらの教育学的な体育授業は大まかに以下のような流れでしょうか、、、
1・2時間目 競技のルール解説、仕組み等
3・4・5時間目 基礎スキル練習
6・7・8時間目 ゲームの取り出しドリル練習
9・10時間目 ゲーム形式
かなり偏った見方かもしれませんが、私の体育授業の印象はこういったものです。
最終的にゲーム形式の練習で「楽しかったー」の印象でなんとか終わる。
私が生徒の時を思い出すと、先生によってはゲーム形式ひたすらの、一つ間違えると手抜きかな?なんて思える授業が人気だったような記憶があります。
これは体育に限ったことではありませんが、日本の教育学はとにかく「仕組み」「規則」を教えることが大好きだと感じます。
そして、真面目に順番に教えていく。(結果、時間切れみたいなことも多いような、、、)
歴史の授業なんていうのも私たち世代は縄文時代がやたらと詳しいですよね。
肝心の近代史まで辿り着かないなんてこともあったり、、、
前段が長くなりましたが、サッカーの授業だとどうしてもサッカー部員や経験者が大活躍。私はサッカーが苦手だったので学生時代のサッカーの授業は下手同士の友人とふざけたり、キャプテン翼の真似事をして時間が経過するのを耐え忍んでいるような記憶がありました。
教員で体育の授業を受け持った当時のあるクラスでのサッカー授業。1チーム8人で4チームが作れ、サッカー部員がちょうど4人いました。
思い切って、授業の王道的な流れを一切無視して、1時間目に宣言しました。
「はい!今回のサッカーシリーズはみんなもやったことがあるサッカーゲーム的な授業にしまーす。」
「具体的には、サッカー部員は各チームのプレイングマネージャー(監督)!
教員である私がすべてのチームのオーナー!」
オーナーから各監督へのミッションは以下のようなものにしました。
・チーム8人すべての適材適所を探し、全員がチームに貢献できるような作戦を立案する
・各ゲーム前の休み時間等を活用して、次のゲーム戦略・戦術を8人全員に浸透させる
(方法は各監督任せ。プリントにして配布する監督もいれば5分だけミーティングする監督も。)
・監督以外のプレイヤーの意見を取り入れ、プラスの効果が出た場合は大いに評価する
・ゲームの勝敗以上に全員が躍動し、主体的に、楽しく動けているかどうかを評価対象と
する
・授業の最後の15分は振り返り&NEXTシートを8人全員で完成させる
・その際のミーティングの様子も大いなる評価対象とする
チーム作りに2コマ。(プレシーズンゲーム込み)
その後に総当たり戦を実施しました。
このPDCAサイクルを最初の3コマで回してみたところ、運動嫌いやサッカー嫌いの子も大いに主体的に取り組み始めました。気がつけば、普段は全然仲が良くない子達で集まって昼休みに事前特訓などの光景も。
サッカー部員は絶対的オーナーである私のミッション達成のため「上手だから威張る」ことは一切できなくなり、どうすれば自分以外の仲間の長所を発掘し、生かすことが出来るのかに全力投球で、結果的に彼らのドリブルやシュートの回数も激減しました。
また、チームメイトへの声かけもネガティブなものはマイナス評価になるどころか、チームメイトのパフォーマンスもメンタルも落ちるので、素晴らしい人格者のような振る舞いになっていきました。
「総当たり戦、盛り上がったなあ。次の授業からはどうしようか」と私が考える前に、生徒たちの方から主体的にもっと盛り上がるための案が出てきたり、活躍する仲間が増えるようなルール変更や大会運営方式の変更案が出てきました。
こうなると合計10回の授業が毎回テーマと目的がある有意義な時間となりました。
いまだに「あの、サカつく(サッカーゲームの名前です)の授業は楽しかったなあ」なんて言ってくれる卒業生もいます。
そもそもの体験・記憶として自分自身が子供の頃、休み時間のサッカーで活躍できなかったため、活躍できない同士で違うルールを設定したりしたことを思い出しました。
気がつけばこちら側の方が盛り上がり、参加者多数になっていたなんてことも。
子供の遊びっていうのは本来、自由であり、クリエイティブであり、他者理解・コミュニケーションの機会の宝庫であり。
現代っ子はリアルだけでなく、オンライン上でも世界の仲間と繋がっている。
「あんなのは授業じゃない」「あんなのは本当の遊びじゃない」
経験豊富な大人はこういった言葉がすぐに頭をよぎってしまいがち。
頭をよぎることは決して悪いことではないし、コントロールすべきでもない。
大切なのは「あ、いかんいかん。良くない言葉が頭をよぎったなあ。肯定的に見てみよう!」という切り替えを先輩や立場の上の人間が持てるかどうか。
自分の小さな考えや意見と違うものに対して、ワクワクできるような気持ちを持ち続けていきたいです。
サカつく授業、発展させていけばチームを大きくするために地域商店街から物品提供の協力をしてもらったり、資金調達のために保護者専用のクラファンサイト作ったり、校長に直談判してグラウンドの使用ルール変えたり、いろんなことができそうですね。
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