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都市と田舎、現代と歴史、世界とワタシ

コテンラジオのリスナーメッセージ紹介の回で、農作業中に聴いてる人の話が紹介されていた。
オレもコテンラジオのヘビーリスナーであるが、そもそもは、辛い辛い田んぼの草取り中の気晴らしに何かないかと、ポッドキャストをあさっていたところ偶然見つけたのだった。

このnoteでは筆者が岐阜県恵那市に移住して12年の農村暮らしから見えた視点をお届けしてます(所要時間3分)。


コテンラジオは農作業と相性がいい

恥ずかしながらオレは典型的な「歴史弱者」であるが、もともと社会学専攻で文化人類学にも興味を持っていたからか、歴史を構造的に俯瞰する切り口が自分にピッタリで、「あれ、もしかして歴史って面白い!?」とハマった。

またパーソナリティの3人の「いまどき」なフレーズによって、歴史というものを現代感覚に翻訳してくれた感じが、今までになく新鮮だった。

何より3人の語り口のテンポの良さは農作業にピッタリで、リスナーに農家が多いのもわかる。

最近では、シンドラー回がとても響いた。儲け主義のビジネスマンで軍需工場を経営する何なら体制側のドイツ人でありながら、立場を利用しコソコソとユダヤ人をかくまう、という、人間性というものが一つの側面では測り切れないことの興味深さがあった。

今ではコテン以外にも古今東西の歴史や思想、社会科学などの書籍等を漁り、知識欲が爆発する事態となった。このようなきっかけを与えてもらったコテンラジオには感謝しきりである。

今と昔がつながる田舎暮らし

自分は歴史は受験勉強以外で触れたこともなく、生まれ育った場所が宅地造成で山を切り開いた場所ということもあって、自分と歴史のつながり感がとても希薄だった。

しかし移住してからは、人間の都合の良いようにいかない自然の中を生き抜いてきた痕跡が暮らしに残る田舎でにおいて、歴史と今というのはそんなに遠い存在にないものと捉えられていることはうすうす感じてた。

ここの集落は江戸時代後期に、北に50キロほど離れた場所から移住してきた数家族から始まっていることがわかっている。今ここに暮す多くの人たち(妻も含む)は、その8~10代目ぐらいの子孫ということになる。

集落は20世帯余りの小さなものだが、同じ苗字を持っている人が多いとか、家の骨組みは江戸時代に建てられたそのままだったりとか、そのころから伝わる集落の小さな神社で毎年祭礼をしたりとか。

豊作祈願の祭礼

残念ながら圃場整備によって、この地で田んぼを開拓したころの棚田の光景は失われたが、田んぼの中には巨石の「田の神」が依然として鎮座している。山を切り開き田んぼを開拓した人たちが触れてきたそのままの形で残っているし、語り継がれるだけでなく今もまだ生活に埋め込まれているものがたくさんある。

自分が生きていない遠い昔のことも、自分ごとで語る人々がいることに、自分の感覚ではなかなか理解できないこともあった。

しかしそんな田舎暮らしも長くなり、自分に子どもも生まれたりして、何か自分という存在が前と後ろをつなぐ輪のように感じたことで、はじめて自分までつながってきた時間の果てしなさ、ということをおぼろげに感じた。
そうすると、歴史を大事にする人たちの気持ちが、完全ではないがやっと理解できた気になった。

コテンラジオで語られる歴史は単なる昔話でなく、現代とどのように接続されているのかという視点から語られている。

点ではなく網目のようにつながった歴史を面白いと感じられたのは、今の暮らしの中での実感と重なっているからかもしれない。

歴史の構造的な理解を通して、今の自分の置かれた場所への理解を深め、あらゆる歴史上の出来事は、今の社会や自分自身を相対的に見るための鏡であることを学んだ。

歴史と田舎はサスティナビリティのヒント

自分は移住という形で、都市と田舎それぞれを長く経験してきたが、そこに歴史と現代という時間軸を合わせてみると、また世界の見え方が変わってくる。

現代的な価値観に逆行するような田舎での暮らしはむしろ、世の中には様々な価値観が存在し、自分の当たり前が当たり前でない世界があることを感じ学べるよきフィールドともいえる。

もちろん、固定化された慣習によって機能不全を起こしている側面は否めない。それでも、一見効率が悪くても現代だからこそ再び見直されるべき営みが残されてもいる。
例えば春の祭礼のような自然への畏怖の念だったり、おすそ分けのような贈与・交換の営みだったり、協同で行う道の草刈りや用水路の掃除のような結(ゆい)的なつながりだったり。

協同でイノシシ柵を設置中

これらを手放しで礼賛するわけはない。だが、それこそ時代の流れによって、うっとうしいもの、面倒なもの、非合理なものとされてきたことが、これからの持続可能性の鍵だと感じている。

その意味で、地域の文化や人々の交流を通して立体的に田舎を体験できるエコツーリズムは、つながりや非合理の本質を理解するためにも、これからとても重要なアクティビティになる。

先日、妻が中心となって、インバウンドを対象としたエコツーリズムのモニターツアーを開催し、地域住民との交流や、今なお生活用水と使っている山水の水源探索などを行い、参加者にも日本人のより深い営みとその知恵を体感できたと好評のうちに終わった。今後は地域をあげて積極的に取り組んでいこうと動き出している。

世界を見る新たな視点と今の社会とのかかわり方を見直す機会を獲得するためにも、田舎には大きな可能性と役割があることを確信している。

そんなつながりと学びの場として、「里山リベラルアーツ」と名付けた学び舎を準備している。

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