シン・ムラ社会のコンテンツ
バズ動画や分散型メディアブームに代わり、YouTuberやインフルエンサーなど、個人クリエイターの影響力が増すようになったのが、2019年ごろの話でした。
しかし、最近のSNSはプラットフォーム側のレコメンド露出が増え、自分が「見たい」コンテンツだけに接することが難しくなっています。
港区に憧れる足立区、足立区に興味ない港区
この現象を(例えが悪くて申し訳ないですが)東京だと足立区と港区が一つになったと仮定します。文化も価値観もリテラシーも異なる人たちとの共存を迫られれば、そりゃ、一気に居心地が悪くなります。
ちなみに、もともと民主主義は地方の村レベルのコミュニティが前提だったという指摘が、100年前の著書でされています。
(以下はあくまで例え話です)
つまり、例えば足立区の情報は足立区民だけに向けられたもので、港区の情報は入ってこなかったのですが、現在の民主化されたコンテンツ環境では、足立区の物足りなさを知り、港区の情報をフォローする足立区民が増えたました。
しかし、実際に港区に足を運んでいるわけではないので、不確実な情報に信じたり、港区民と揉めている人間も見られます。
一方で、港区民は足立区の情報には興味がないのでフォローしていませんでしたが、最近のTwitterは、やたらこのような投稿をおすすめ表示するようになり、港区民は不快感を示しています。Twitterとしては、港区よりも足立区を推しているのかもしれません。
いや、もしかすると、足立区の情報を知りたい港区民もいる。
だからこのようなコンテンツが出てくる、のかもしれない。
最初の話に戻るが、バズ動画や分散型メディアは、そういったユーザーにも応えるような取り組みも行なっていたが、長続きしなかった。大多数が、足立区(のような少数派)の情報に興味がなかったからである。
Twitterなど、SNSがそのような期待に応えられるかは未知数ですが、足立区と港区がなるべく共存できるようなフックアップを期待したいし、そのようなコンテンツを作れると良いなと思っています。
(例え話おわり)
人はなぜ情報を欲するのか
リップマンの『世論』では、20世紀初頭までに情報がシステム化された過程について、このように考察しています。
この延長線上にTwitterやInstagramやYouTubeがあり、足立区民も港区民も、自分の活動のために、誰かの経験を必要としている。
それと引き換えに、自分が得た経験を残すために、文字や動画などコンテンツに仕上げて、誰かに届くようにメディアに放っているのである。
今後、コンテンツファーストの波で存在感を出すには、人気やトレンド、プラットフォームに左右されず、好きなことや得意なことで得た体験を、視聴者に印象的に伝えられるか。そういった深いコンテンツを突き詰めていく必要があるかもしれません。
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